薔薇の証明 #16
小雨が落ちる灰色の空の下、揃いの喪服に身を包んだ大勢の男女に見送られながら、一台の
一週間前に死亡した中野将人の警察葬が、六年前まで在籍した城西署の管内にある寺院で
寺院を
「随分大がかりだな」
道路沿いに並ぶ警察官達を見下ろして、叶が半ば呆れた様に言った。隣で新田が口角を吊り上げて主流煙を吐く。
「警察ってのはなかなか体育会系だからな、この手の行事はキッチリやるのさ」
「アンタは出なくていいのか?」
叶の問いに、新田は煙草を携帯用吸い殻入れに捩じ込んで答えた。
「おれはあそこの署の人間じゃねぇからな、まぁ尤も、もうすぐ警視庁所属でもなくなるがな」
言葉の意味を計りかねた叶が、不審そうな目を新田に向けた。視線に気づいた新田が、鼻を鳴らした。
「来月から福島県警に
「オイ、それって」
「ああ。岩瀬警視長との取引だ。今回は結構無理を通させたからな、交換条件は飲まねぇと」
ひたすら明るく喋る新田に対して、叶は申し訳ない気持ちになった。
「すまん、巻き込んじまって」
叶の謝罪を、新田は笑顔で
「謝る
「新田さん」
かける言葉が見つけられない叶の肩を軽く叩くと、新田は回れ右をした。
「じゃ、元気でな」
肩越しに振り返って告げると、新田はビニール傘を回しながら遠ざかった。その後ろ姿が妙に誇らしげに見えて、叶は眩しそうに目を細めた。
数日後、事務所のベッドで惰眠を
「誰だよ、日曜日は休業だっつうの」
ジャージのズボンのみを身に着けて寝ていた叶は、昨夜脱ぎ捨てたままのTシャツを拾い上げて袖を通し、スニーカーをつっかけて玄関へ向かった。
「どちら様? 今日休みなんですけど」
すると、扉の向こうから繊細な声が聞こえた。
「あ、ごめんなさい探偵さん、五十嵐です」
「え? あ、桜ちゃん?」
相手の正体を知った叶は慌てて扉を開けた。目の前に立つ桜は中学校の制服に身を包み、小さな花束を手にしていた。後ろには喪服姿の寛子が居て、丁寧に会釈した。叶も頭を下げる。
「この度は、本当にありがとうございました。つい先程、将人さんの納骨を済ませました」
寛子の説明に
「あ、あの、ここじゃ何なんで、下の『カメリア』で待っててもらえるかな? オレ、着替えて降りるから」
「はい。あ、その前にこれ」
桜が差し出したのは、ピンク色の薔薇の花束だった。微笑して受け取った叶が、桜に尋ねた。
「どうもありがとう。これ、花言葉は?」
「感謝、です。探偵さん、パパに会わせてくれて、ありがとうございました」
「どういたしまして。じゃ、待ってて」
礼を述べて扉を閉めると、叶は給湯室からグラスをひとつ調達して水を入れ、薔薇を活けてデスクに置いた。
クリーニングを終えたばかりの白いスーツを着て『カメリア』に入った叶に、盆を抱えた桃子が駆け寄った。
「ねぇともちん、この間言ってた女子中学生ってあの娘?」
奥の四人掛けのテーブルに陣取る桜をこっそり指差す桃子に叶が「ああ」と認めると、桃子が意地悪そうな顔で訊いた。
「結局今回もタダ働きなんでしょ〜?」
「貰ったよ、とっても綺麗な
叶の自慢げな顔を見て、桃子が目を丸くした。
「ウッソ!? 何貰ったの?」
「内緒」
笑顔ではぐらかし、叶は桜と寛子の対面に腰を下ろした。
「ごめんな、桜ちゃん、あんな形でしかパパに会わせてあげられなくて」
叶が謝ると、桜は大きく首を横に振った。
「ううん。確かにあの時は凄くビックリしたけど、パパは全然変わらない、私の知ってるパパのまんまだったから、最後に会って、話せて、本当に良かったです」
叶は
「あの、中野さんの事で警察から何か言われたりしましたか?」
「ああ、詳しくは聞きませんでしたが、とても重要な仕事に就いていて、家族にも危険が及ぶ可能性があったとは説明を受けました」
微妙にぼかした説明だと思ったが、叶は口に出さなかった。今更ここで叶が知る限りの情報を伝えた所で桜には何の足しにもならないだろう。
押し黙った三人の前に、桃子が水の入ったグラスを手早く置いて明るく尋ねた。
「はい皆さん、ご注文は?」
「何か食べるかい? ここはオレが持つから」
叶が告げると、桃子が屈み込んで囁いた。
「何カッコつけてんのよ?」
「こういう時くらいカッコつけさせてよ」
叶が小声で返すと、桃子が桜達から見えない角度で叶の脇腹を小突いた。身じろぎしつつ、叶が先に注文した。
「あ、オレ、サンドイッチ盛り合わせね。あ、本当、遠慮しないで、どうぞ」
すると、桜がテーブル脇のメニューを見ながら、申し訳無さそうな顔で告げた。
「あ、じゃあ、ホットケーキ、ください」
「わたくしは、ボンゴレを頂こうかしら」
寛子も続いて注文し、桃子は営業スマイル全開で請け合った。
「かしこまりました、少々お待ちくださ〜い」
軽快な足取りで離れる桃子を見送った叶に、桜がおずおずと問いかけた。
「あの、それで、お金の事なんですけど」
叶は瞬時に笑顔を作り、大袈裟に手を振ってみせた。
「いいって! さっきのお花で充分だよ」
「でも」
桜が困った様な顔で寛子を見ると、寛子も困惑して言った。
「しかし、それでは申し訳無くて」
「いや、本当にいいんですって。オレがもっと上手くやってれば、あんな状態になる前に桜ちゃんとパパを会わせてあげられたかも知れないんだし」
「はぁ、そうですか、でも」
納得行かなそうな寛子の眼差しに困っている叶を救ったのは、サンドイッチ盛り合わせを運んで来た桃子だった。
「はいお待たせ〜、お先にサンドイッチで〜す」
「お、ありがとう桃ちゃん」
叶の言葉をスルーして、桃子は桜と寛子に告げた。
「心配いりませんよ〜、この人タダ働き大好きですから」
「いや、それフォローになってないから」
叶のツッコミを無視して、桃子は再びキッチンの方へ戻った。程なくホットケーキとボンゴレも届き、三人はそれぞれ食事を始めた。サンドイッチを
六年ぶりに会えた父親の最期を、図らずも看取る形になってしまった桜の心中を計り知る事は、叶には難しかった。後の祭りだが、中野が末期癌だと知った時にもっと強引にでも会わせてあげれば良かったのではないかと、叶は思わずにいられなかった。
食事を終えた桜と寛子が立ち上がり、桜が改めて叶に礼を述べた。
「本当に、ありがとうございました」
「桜ちゃん、元気でね」
「はい」
桜が笑顔で答え、寛子が深々と頭を下げて出入口へ向かった。見送った叶が付け合せのコーヒーを飲んでいると、桃子が桜の元へ駆け寄って何やら耳打ちした。叶が大して気にせずにいると、不意に桜が言った。
「ごちそうさまでした、ともちん!」
叶の口から、盛大にコーヒーが飛んだ。
〈『薔薇の証明』了〉
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