薔薇の証明 #13

「岩瀬警視長だ」

「誰だ?」

 叶が間抜け面で新田に訊くと、その新田は眼球が飛び出そうな程目を見開いていた。

警察庁警備局警備企画課長けいさつちょうけいびきょくけいびきかくかちょうのか!?」

 新田の問いに答えたのは、押さえ込まれている劉だった。

「そうだ、その岩瀬だ」

「と言う事は、お前等『ゼロ』か?」

 叶が胸倉を掴んでいる男に新田が訊いた。叶は間抜け面のままリピートする。

「ゼロ?」

 男は苦虫を噛み潰した様な顔でそっぽを向いた。目の前で黙秘もくひされた叶は、新田に訊き返す。

「何それ?」

「警備企画課が指揮する秘密部署だ。尤も、正式な名前は一部の人間しか知らん」

 答え終えた新田が、改めて劉に問い質した。

「お前、岩瀬警視長から命じられて潜入してるのか!?」

 口をつぐむ劉だが、再び咳き込み始める。叶は慌てて目の前の男の鳩尾みぞおちに左ボディブローを入れて気絶させると、劉と新田に駆け寄った。

「新田さん! そんな事よりソイツをバンプラまで運んでくれ!」

「はぁ? 何で」

 今度は劉を押さえたままの新田が間抜け面で訊き返した。叶は苛立いらだちを露わにわめいた。

「決まってんだろ! 娘さんに会わせるんだよ! それがオレの仕事なの!」

「ああそう、仕方ねぇな」

 舌打ち混じりに答えて、新田は劉の片腕を固めたまま引き起こし、叶と共に倉庫から連れ出した。その間も劉の咳は止まらず、口の端からは鮮血がれ出していた。

「オイ、しっかりしろよ、桜ちゃんに会うまで死ぬなよ」

「死ぬ? そんな大袈裟おおげさな」

 半笑いで言った新田を睨みつけて叶が告げた。

「コイツは末期癌なんだ! だから急げっての!」

「何? 本当か?」

 またも目を大きく見開いた新田の問いには答えず、叶はバンデン・プラの後部座席に劉を寝かせるとスマートフォンを取り出して桜に電話をかけた。

『はい、五十嵐です』

 二コールで電話に出た桜に、叶は運転席に座りながらまくし立てた。

「桜ちゃん、オレだ、叶だ。いいか、これからお父さんを連れて行くから、家の前で待ってるんだ、いいね!」

『ほ、本当に! ありがとう探偵さん!』

 声のトーンを上げる桜に断って電話を切ると、叶はエンジンをかけた。すると助手席に新田が乗り込んで来た。

「オイ、アンタは来なくていいんだよ!」

 叶が注意するが、新田は自分のスマートフォンを出しながら不敵な笑みを浮かべた。

「そうは行くか、劉にはまだ色々聞きてぇ事が沢山あるんでな」

「勝手にしろ、ワーカホリックが」

 悪態を吐いて、叶はバンデン・プラを走らせた。

 道すがら、新田が後ろへ身を乗り出して劉に質問を浴びせた。

「劉、いや中野か、お前は何で岩瀬警視長の命令で潜入になったんだ?」

 劉は咳が落ち着いたのか、荒い息を吐きつつもゆっくり上半身を起こした。

「岩瀬とは地元が一緒らしい、それと、おれが大学で中国語を取ってたのを調べて知った様だ」

「それだけか?」

「変に関係が深いと、潜入がバレた時に身許みもと手繰たぐられ易くなるだろ」

 劉の説明に、新田は納得した様に頷いた。我慢がまんできなくなったのか、叶が口を挟んだ。

「なぁ、何で奥さんと桜ちゃんを捨てたんだ? そこまでする必要あったのか?」

素性すじょうがバレたら、家族にも危害が及ぶかも知れんからな、その予防だ」

「だからって」

 叶は納得行かない顔だ。劉は姿勢を正すと、あきらめた様な表情で話し始めた。すかさず新田がスマートフォンを向ける。どうやらボイスレコーダー代わりにしているらしい。

「おれは六年前、急に上司から潜入になる事を命じられた。その時は岩瀬の事は全く知らなかった。言われるまま妻と離婚して家を出て、暫く署の寮の空き部屋にもった。岩瀬から連絡があったのはこの頃だ」

「その時にお前の記録も抹消された訳か」

 新田が訊くと、劉は無言で頷いた。直後に新田が、何かを思い出して劉に尋ねた。

「待てよ、その頃岩瀬警視長はまだ警備企画課長にはなってない筈だ、何処に居たんだ?」

「宮崎県警本部長」

 劉は短く答え、話を続けた。

「当時、宮崎県内の暴力団がチャイニーズマフィアと麻薬の取引を頻繁ひんぱんにしていたらしく、岩瀬はその摘発てきはつ躍起やっきになってた。その為に全国の警察官の中からおれを選んで暴力団に潜入させた」

「最初は『五虎』じゃなかったのか?」

「ああ。おれは三年かけて組長や幹部の信頼を勝ち取り、取引の交渉を担当するまでになった。だが、本格的な取引の直前に問題が起きた」

「問題って?」

 叶がたまらず先を促す。劉はシャツを強く掴んで胸の痛みを堪えながら続けた。

「い、岩瀬は、おれに黙ってヤバい事をやった。その結果、おれの立場が危うくなった」

「何だそのヤバい事ってのは?」

 新田が劉の方へ首を突き出して訊いた。首筋が亀の如く伸びているのが、叶の横目にも見えた。

 苦しそうに咳払いをした劉が、大きく息を吐き出してから答えた。

おとり捜査だ」


《続く》





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