薔薇の証明 #11

 翌朝、叶は劉が運び込まれた病院へ向かった。組対二課が張り込んでいる事は充分予想できたが、裏に回らず正々堂々と乗り込むつもりだった。だが正面入口からバンデン・プラを入れようとした所で、異変に気づいた。

 本棟ほんとうの出入口付近で、複数のスーツ姿の男達が右往左往していた。路肩に停車して様子をうかがっていた叶が、その男達の中に見知った顔を見つけた。新田と共に叶に職務質問をかけた九条だ。と同時に、叶は事態をおおむね把握した。

「そりゃ、大人しく寝てる訳ねぇよな」

 独りごちると、叶はスマートフォンを取り出して素早くナビゲーションアプリを立ち上げた。劉が病院に居ないという事は、行き先はひとつだ。

 叶が目的地として打ち込んだのは『粂崎埠頭』だった。

 ナビゲーションの音声ガイドが始まる前に、叶はアクセルペダルを踏み込んだ。


 四十分近く走って、ナビゲーションが目的地に近づいた事を知らせると、叶はアプリを止めて数メートル先に見つけたコンビニエンスストアの駐車スペースにバンデン・プラを入れた。埠頭が近い所為か、他に停まっているのは殆ど運送業者のトラックだった。

 握り飯やパンをいくつかと、缶コーヒーを三本購入してコンビニを出た叶は、バンデン・プラを埠頭の中へと進めた。居並ぶ倉庫群の周辺では作業員達が搬入作業を行っていた。まだ取引の時間には早いので、当然ながら『五虎』や取引相手の神山組らしき人の姿は見えない。

 倉庫群を抜けて、南端の岸壁がんぺきに辿り着いた叶は、バンデン・プラを停めて食事を摂り始めた。次第に眠気が襲い、欠伸あくびの数が増えた。昨夜は興奮が冷めずになかなか寝付けず、睡眠不足気味だった。

 いよいよ眠気にあらがえなくなった叶は、一本目の缶コーヒーを飲み干すと運転席の背もたれを倒して仮眠に入った。


 窓を強くノックする音が、叶の安眠を強制きょうせい終了した。顔をしかめながら身体を起こした叶の目に映ったのは、制服に着られている感じがぬぐえない印象の若い警備員の姿だった。片手をズボンのポケットに突っ込み、ガムが何かを噛みながら車内をのぞき込むたたずまいからは、勤労意欲きんろういよくというものは微塵みじんも感じられなかった。

「何?」

 叶が窓を開けて訊くと、警備員は至極しごくかったるそうな口調で告げた。

「これから荷揚にあげすっから、どっか行って」

「ご挨拶あいさつだなオイ、もうちょっとマシな口聞けねぇのか?」

 叶が言い返すと、警備員は首筋をきながら腰にぶら下げた誘導灯ゆうどうとうを掴み、まるではえでも払う様に振った。

「あーうるっせぇな、いいから早くどっか行けよオッサン」

「判ったよ」

 返事と同時に窓を閉めて、叶はバンデン・プラをバックさせた。そのついでに、岸壁に近づく貨物船を観察する。船体側面に『常山貿易公司』と大書されているのが見えた。

 船の接近と共に、複数の人影が岸壁に歩み寄った。その中に劉と郭の姿を認めた叶は、バンデン・プラを彼等から見えない場所へ停めて観察を続けた。

 よく見ると、劉達の後ろに『諸葛飯店』で見た中年男性が居た。あの時同様、ボディガードふたりを連れている。中年が同行している手下とおぼしき男達に何やら命じ、彼等は一斉に接岸せつがんした貨物船に向かって駆け出す。

 それから十分程かけて、三つの大きめの木箱が船から降ろされた。後から来た税関の職員らしき男は、中年とふた言三言交わしたかと思うと、手にしたバインダーを中年に差し出した。中年が受け取って表面に何かを書き付けて男に戻すと、男は受け取るなり笑顔で会釈えしゃくして足早に去った。入れ替わりに大型のフォークリフトが寄って来て、木箱をすくい上げて倉庫の方へ転換した。叶はバンデン・プラをスタートさせ、数棟の倉庫を挟んでフォークリフトを側面尾行そくめんびこうした。

 二分程走って、フォークリフトが停車した。叶は通りをオーバーランし、ひとつ先の角を曲がって慎重に近づいた。

 フォークリフトが停まったのは、『(株)須原倉庫』という会社が所有する貸倉庫のひとつだった。恐らく『五虎』が借りているのだろう。フォークリフトは開け放たれたシャッターをくぐって中に乗り入れた。叶は倉庫の正面が見える位置にバンデン・プラを停め、運転席から様子を窺った。すぐに身軽になったフォークリフトが出て来て、再び岸壁へ向かった。残りふたつの木箱を運び込むのだろう。

 その後、フォークリフトは岸壁と倉庫を二往復したが、劉達はいつまで経っても倉庫に来なかった。

「メシでも食いに行ったか?」

 ダッシュボード上のコンビニ袋に手を突っ込みながら呟くと、叶は惣菜そうざいパンを掴み出して袋を開けた。そこへ、助手席側の窓を誰かが叩いた。また警備員かと思って振り向いた叶の目が、大きく見開かれた。

 窓越しに中を覗き込んでいたのは、咥え煙草の新田だった。しきりにドアロックを解除しろとジェスチャーで要求している。叶は数秒逡巡しゅんじゅんしたが、ここで新田に騒がれて万が一『五虎』の連中に見つかっては厄介なので、仕方なくロックを外した。直後に新田が副流煙と共に助手席に乗り込んだ。

「アンタもう担当じゃねぇんだろ? 何しに来た?」

 叶が惣菜パンをかじりながら訊くと、新田は携帯用吸い殻入れに灰を落として答えた。

「どうやら俺にもあったらしいんだよ、お前の言う矜持って奴がな」

 叶は鼻を鳴らして更に訊いた。

「いいのかよ? 命令違反は出世にひびくぜ」

「心配すんな、今日は有休だ」

 ほがらかに返して、新田は車内に盛大に煙を撒き散らした。たまらず叶が窓を全開にする。

「勘弁しろよ、メシがまずくなる」

「そいつは悪かったな」

 言葉と裏腹に、新田は美味そうに煙草を吸った。


 かたむいても、『五虎』の連中は倉庫に現れなかった。叶が腕時計を見ると、午後七時近かった。

「どういう事だ? あと三時間で取引じゃないのか?」

 眉間に皺を寄せて叶が言うと、新田も同調した。

「確かに、取引があるなら周辺を警戒させる筈だ。それが周りに人っ子ひとり居ねぇとは」

 難しい顔で煙草を取ろうとした新田だったが、箱の中身が空だと気づいて舌打ちする。叶が缶コーヒーを飲んでから告げた。

「買って来いよ。まぁコンビニまで歩いたら二十分くらいかかるけどな」

 新田はしばらく無言でくちびるをいじっていたが、やがて大きく溜息を吐いて「そうするか」と呟いた。だがドアを開けようとした時に、何かに気づいて動きを止めた。

「劉だ」

 新田が小声で言い、反応した叶が薄暗くなった倉庫周辺に視線を飛ばした。果たして、岸壁とは反対の方向から劉がひとりで倉庫に歩み寄った。正面シャッターの脇にある扉を開けて、周囲を警戒しながら中に入った。

「ひとりか、他の奴等はどうしたんだ?」

 叶が独りごちると、新田がドアを開けながら言った。

「劉に聞いてみりゃ判る」

「え? オイ、ちょっと待てよ」

 車を降りて倉庫へ向かった新田を、叶は慌てて追った。


《続く》



  

 



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