薔薇の証明 #10

 叶は新田の視線を真正面で受け止めて尚も言った。

「アンタ等が劉の先に何を見てるのか、そんな事はオレにはどうでもいいがな、上司に言われてすぐに目の前の仕事を放り出せるのか? アンタのデカとしての矜持きょうじってのはそんなもんか?」

「黙れ! お前に俺の何が判る?」

 激昂した新田がテーブルに拳を叩きつけたが、叶は一切怯まない。

「昨日オレにばんかけた時のアンタからは感じられた気がしたんだがな、ありゃ気のせいだったのか? まぁ所詮しょせんデカっつっても公務員だしな、上司の機嫌損ねちゃ出世もできねぇか」

 新田は数秒叶を睨みつけていたが、溜息と共に視線を外して新たな煙草を咥えた。

「悔しいが、お前の言う通りだ。俺はあくまで組織の人間、上からの命令には従わざるを得ん」

 叶は敢えて口を開かず、新田がライターを使うのを見つめた。多量の主流煙を鼻と口から放出すると、新田は上目遣いに叶を見て話し始めた。

「劉が所属するのは『五虎ウーフー』という組織だ。主な縄張りは四川しせん省と雲南うんなん省だが、香港ホンコンや隣国のベトナムにも勢力を伸ばしてるらしい。武器の密売をシノギにしてるそうだ」

「へぇ。まさかあの中華料理屋もその組織の傘下か?」

「いや、あの店のオーナーが『五虎』の幹部と同郷の昔馴染むかしなじみらしい」

 話を聞いた叶の脳裏のうりに、『諸葛飯店』にボディガード連れで現れた中年男性が浮かんだ。あの男が恐らく『五虎』の幹部だろう。

「なるほど。で、そいつ等は日本で何をするつもりなんだ?」

 叶はソファの背もたれに身体を預けながら先を促した。反対に新田は背中を丸めて煙草を深々と吸ってから答えた。

「現在関東ではふたつの暴力団が勢力争いを続けてる。ひとつは金城組かねしろぐみ、もうひとつは関西の広域こういき指定暴力団鬼塚連合おにづかれんごう系の神山組かみやまぐみ。当初は古株ふるかぶの金城組が圧倒的に優勢だったが、つい最近幹部が捕まってから潮目しおめが若干変わって来て、神山組はこの機に乗じて金城組を追い落とそうとしているらしい」

「って事は、五虎とかいう組織とその神山組が武器の取引をするのか?」

 叶の問いに、新田は煙と共に頷いた。

主筋しゅすじの鬼塚連合が五虎とのパイプを持ってて、その仲立なかだちで決まったそうだ。実は鬼塚連合の幹部が三日前から東京に来ててな、別班が張ってる」

「なるほど、明日の十時に粂崎埠頭ってのは、その取引の事か」

 叶の言葉に、新田が色めき立つ。

「何でお前がそれを知ってる?」

「あの中華料理屋のトイレで劉が誰かに電話でそう伝えてるのを聞いたんだ、日本語でな」

「何だと?」

「ついでに言うと、急に苦しみ出した劉を救急車に乗せたのもオレだ」

 ここまで答えて、叶は劉の病状まで新田に教えるべきか迷った。それを知った所で、今の新田には毒にも薬にもならないだろう。

 新田は煙草を咥えたまま黙りこくった。煙で周囲が白濁はくだくし始めたのを嫌った叶が立ち上がって窓を少し開け、ついでに給湯室に入って冷蔵庫からペットボトルの水を出して戻って来ると、新田が煙草を吸い殻入れで揉み消してソファから腰を上げた。

「叶、とにかく警告だ。悪い事は言わんから手を引け。どうやら劉、恐らく中野将人だろうが、あいつは警察の潜入で間違いなさそうだ、それも俺達が知らん誰かの指示で動いてる。そこへ探りを入れた俺が外されたのが何よりの証拠だ。それにお前も警察官に襲われたって言ってたが、そいつ等を差し向けたのも中野を潜らせた奴だろう。これ以上関わると本当につぶされるぞ」

 叶は新田の対面に戻り、水をあおってから反駁はんばくした。

「余計なお世話だ。オレは受けた依頼を投げ出す事はしねぇ、アンタと違ってな」

 テーブルをはさんで、叶と新田の視殺戦しさつせんが繰り広げられた。だが先に視線を外したのは新田だった。

「勝手にしろ」

 吐き捨てる様に言うと、新田は叶に背を向けて出入口へ向かった。そこで扉に貼られた麻美の顔写真に目を止めた。

「このお嬢さんは?」

「妹だ。八年ちょっと前から行方不明だ」

 叶が答えると、新田は首だけをじ向けて更に訊いた。

「自分で探してるのか? 警察に届けなかったのか?」

「届けたさ、だがサツはまともに探しちゃくれなかった。挙げ句に担当したデカは捜査一課に栄転が決まって麻美の事を見捨てやがった。だからオレは自分で麻美を探し出す為に探偵になった」

「そうか」

 そう言ったきり、新田は深刻そうな顔で押し黙った。叶はもうひと口水を飲み、ペットボトルをテーブルに置いて溜息を吐いた。数秒後、新田がドアノブに手をかけつつ言った。

「お前には判ってもらえないだろうが、警察も所詮は組織だ、組織では上からの命令は絶対なんだ。そのデカも、本心じゃ悔やんでるんじゃないのかな」

 叶は新田を睨みつけて、強い口調で告げた。

なぐさめも気休めも無用だ! さっさと消えろ」

 新田は何かを言いかけたが、軽くかぶりを振っただけで扉を開けて出て行った。階段を降りる足音が聞こえなくなった頃、叶が壁に右ストレートを叩き込んだ。歯をきしらせる音が、事務所の静寂せいじゃくを破った。


《続く》


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