薔薇の証明 #6

 一時間後、叶の姿は『レストラン&バー WINDY』にあった。いつも座るテーブル席ではなく、風間が調理を行うキッチンに近いカウンター席に陣取っている。ウェイトレスから受け取った水をひと口飲んでから、目の前で看板かんばんメニューのビーフシチューを煮込む風間に話しかけた。

「すみません風さん、さっきは中途半端に切っちゃって」

「まぁいいさ。それよりどんな依頼なんだ?」

 風間がなべから目を上げて訊く。叶は周囲を見回してから答えた。

「行方不明のサツカンを探してます」

「ほぉ」

 他人事ひとごとの様な顔で相槌あいづちを打つ風間の手が、シチューを盛る皿に伸びる。それを見ながら、叶は続けた。

「中野将人って言うんですが、六年前まで城西署の生安せいあんに居たそうです。本庁に行ってたかどうかは判りません。年は生きてれば四十四」

 風間は皿に盛ったシチューをカウンター前に置くと、「はい十番さん上がったよ」とウェイトレスに呼びかけてから叶を見て言った。

「材料にとぼしいが、取り敢えず当たってみるか」

「ありがとうございます」

 片手で拝むポーズをしながら礼を述べる叶に、風間がビーフシチューを皿に盛って差し出した。

「はいお待ちどうさん」

 叶は今度は両手を合わせて軽く頭を下げ、かたわらのスプーンを取った。

「いただきます」


 翌日、叶は再び『ホテルサンセットヒルズ』へ向かった。昨日の今日で組対二課に見つかる訳には行かないので、バンデン・プラは昨日とは違うコインパーキングに停めて、周囲に気を配りながら慎重にホテルに近づいた。当然ながら、遠巻とおまきに見ただけでは刑事が何処で張り込んでいるかは判らない。

 思案した叶が再び周囲を見回すと、ホテルの斜向はすむかいの雑居ビルの二階に『ギュスターヴ』という喫茶店を見つけた。さいわい、通りに面した窓際の席は空いている様だ。叶は素早くビルに入り、階段で二階に上がった。

 出入口はガラス扉で、その横の壁もガラス張りになっているので、入る前から店内の様子は手に取る様に判った。叶は何気ない体をよそおって張り込みの警察官らしき姿が居ないか注意深く観察ししつつ、店の中に足を踏み入れた。店員に席を指定されなかったのを良い事に、窓際の席を確保した。

 ブレンドコーヒーを注文して、叶はホテルの出入口に目を向けた。どちらかと言うと、出て来る人の方が目立つ。すでに午前十時を過ぎているので、恐らくチェックアウトした宿泊客だろう。

 運ばれて来たコーヒーを啜りながら尚も観察していると、ホテルの正面から五、六メートル程離れた路上に銀色の車が停まっているのが見えた。ホテルの前の通りは片側一車線で、他に路上駐車ろじょうちゅうしゃも見えない。叶が注目していると、その後方から別の黒い車が近づいて来て、銀色の車の前に縦列じゅうれつ駐車した。直後に銀色の車から新田が出て来て、黒い車に取り付いた。叶は新田に自分の姿を目撃された可能性を考慮こうりょしながら、新田の様子を見続けた。

 暫く何事か話していた新田が、車から離れた。その直後に後部座席のドアが開き、男がふたり降りてホテル内へ入って行った。ふたりを見送った新田が銀色の車に戻ると黒い車は直進、新田の車は横道を利用して方向転換てんかんし、その場を離れた。

 叶が安堵あんどの溜息をらしてコーヒーを飲み干し、通りかかった店員におかわりを頼むと、ジャケットのポケットでスマートフォンが振動した。画面を見ると、知らない番号からの着信だった。胸騒むなさわぎを覚えつつ、叶は電話に出た。

「誰だ?」

『ご挨拶あいさつだな探偵、新田だ』

 叶は一瞬天をあおぎ、軽く咳払いをしてから返した。

「何か用か?」

『どうせまた、劉を監視してるんだろ?』

 新田の指摘に少し眉を動かしたが、カマをかけられているかも知れないと思い直し、つとめて穏やかな口調で答えた。

「言ったろ、アンタ等の邪魔はしないって」

『お前にそのつもりは無くてもな、こっちからすりゃお前みたいなのにマル対の近くをうろつかれるだけで目障りなんだよ』

 マル対とは、捜査対象者を表す警察の隠語である。

「フン、オレに言わせりゃアンタ等の方が目障りだぜ、アイツの警戒心が強くなっちまってホテルにカンヅメって事になりかねねぇ」

 叶が言い返すと、新田が語気を強めた。

『黙れ、とにかくお前は大人しくしてろ。いいか、お前の事はもう仲間に伝えてあるからな。今度見つけたら問答無用もんどうむようでワッパかけるぞ』

 叶の反撃をシャットアウトする様に電話が切られた。舌打ちしてスマートフォンをしまうと、叶は二杯目のコーヒーをひと息に飲み干した。


 一時間程滞在たいざいしたものの、例の劉と言う男はホテルから出て来なかった。一旦監視を打ち切って『ギュスターヴ』を出た叶は、新田達と交代した連中の動きに警戒しながら近くのコンビニエンスストアに入り、パンとペットボトルのコーヒーを調達してコインパーキングに戻った。駐車料金を支払ってバンデン・プラに戻り、パンをかじりながらパーキングを出た。

 ホテルの前の通りに出ると、新田達の車が停まっていた辺りにバンデン・プラを停めて食事を続けた。すると、またもスマートフォンが振動した。今度は風間からの着信だった。

「叶です。早いッスね風さん」

 明るめのトーンで喋った叶に対して、風間の声色こわいろは真逆だった。

『おい、今回はヤバい匂いがプンプンするぞ』

「どういう事です?」

 叶が戸惑い気味に訊くと、風間は深刻しんこくそうに答えた。

『お前さんが言った中野将人って警察官な、記録が抹消まっしょうされてるそうだ』

「え?」

 パンを口に運ぼうとした叶の手が止まった。

『理由は判らん。推測すいそくはいくらでもできるが、無責任な事は言いたくないからこれ以上は言わん。おれから言えるのはひとつだけだ。気をつけろよ』

「あ、はい。ありがとうございます」

 風間の忠告ちゅうこく神妙しんみょうな表情で答えて、叶は電話を切った。


《続く》


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