薔薇の証明 #5

 叶はスーツの警察官の後ろにつきながら、左右に首を巡らせてもうひとりの警察官の姿を探した。だがそれらしい人影は何処にも見えない。

 不審を覚えつつも、スーツの背中の向こうに中野らしき男と連れ合いを捉えながら歩を進めた。

 七、八分程歩いた所で、先を行くふたりの姿が見えなくなった。叶ははやる心を抑え、ふたりを尾行するスーツの動きに注意しながら進んだ。すると、スーツが足を止めて左側を見上げた。叶は歩く速さに気を遣いつつ横をすり抜け、直後にスーツの見ている方向を横目で見た。

 そこは五階建ての雑居ビルで、三階と四階に中華料理店が入っていた。恐らくあのふたりはそこへ入ったのだろう。

 叶は二十メートル程先の横道に入って足を止め、やり過ごしたスーツの様子を窺おうと振り返った。その視界に、居なかった筈のジャンパー姿の警察官が飛び込んだ。

「え?」

 虚を突かれて間抜けな声を出した叶の胸板を、ジャンパーが強く押した。不意打ちを食らってたたらを踏む叶の胸倉むなぐらを、ジャンパーが素早く捕まえて側の壁に押しつけた。衝撃しょうげきで軽くき込む叶をにらみつけ、ジャンパーが口を開いた。

「何者だお前?」

 圧迫あっぱく感に耐えながら、叶は大仰おおぎょうに両手を挙げて返した。

「人に素性すじょうを尋ねる時は、自分から名乗るのが礼儀じゃないのか?」

 途端に胸を襲う圧力が増し、叶の顔が紅潮こうちょうする。

「なめんなよチンピラ」

 ジャンパーが額に青筋を立てて凄んだ。叶も負けじと自分の胸倉を押す両手首を掴んで圧を和らげながら視線をぶつける。そこへスーツが現れて叶とジャンパーの間に割って入った。

「ちょっと新田にったさん! なにやってんスか?」

 新田と呼ばれたジャンパーは少し抵抗したものの、舌打ちしながら手の力を緩めた。それに応じて、叶も手を離す。新田は叶を見据えたまま後退り、スーツに向かって訊いた。

九条くじょう! あいつ等は?」

「あの中華料理屋です。エレベーターが三階で止まったんで」

 九条の返答に頷いた新田が、カーゴパンツのポケットから両切りの煙草たばこを取り出して火をけた。叶は居住まいを正すと、新田と九条を交互に見て言った。

「随分荒っぽいばんかけしてくれるじゃねぇか。オレが何かしたか?」

 『ばんかけ』とは、職務質問を表す警察の隠語いんごである。叶の口からそんな言葉が出た事で、新田と九条の表情がけわしくなった。

「お前、ただのチンピラじゃないな」

 警戒感をにじませた口調で言うと、新田はくわえ煙草でジャンパーの内ポケットから身分証を取り出し、叶に見せた。九条もそれにならう。

「警視庁組織犯罪対策そしきはんざいたいさく第二課の新田だ、こっちは九条刑事」

 ふたりの所属を聞いて、叶が少しだけ表情を曇らせた。以前に幼馴染みが起こした事件に関わった際に、暴力団の組長と組んで叶を追い詰めたのが組織犯罪対策第五課の小泉こいずみという刑事だった。その時に拳銃で撃たれた傷が、未だに左肩に残っている。

 溜息ためいきをひとついてから、叶は大袈裟おおげさにジャケットの前を開いてから内ポケットに手を入れ、名刺を取り出してふたりに示した。

「探偵の叶だ」

 新田は叶の手から名刺をひったくると、九条と共に数秒凝視してからカーゴパンツのポケットにじ込んだ。

「その探偵が何の用だ?」

 新田のえて焦点をぼかした質問に、叶は微笑しつつ返した。

守秘しゅひ義務、で許しちゃくれなさそうな雰囲気だな」

「任意で引っ張ってもいいんだぞ」

 新田がするどい眼光と共におどし文句を飛ばしたので、叶は肩をすくめて言った。

「探してる男に似てる奴があそこに泊まってるって聞いたもんでね」

「探してる男って?」

 今度は九条が訊いて来た。一瞬躊躇ちゅうちょしたが、叶は仕方なくスマートフォンを出して中野の顔写真を呼び出した。

「中野将人。六年前から行方不明だ」

 まず九条が写真を見て、「似てませんか?」と新田に問いかけた。怪訝そうに顔を近づけた新田が、数度頷いた。

「確かに、似てると言われればそんな気もするな。何者だ?」

 上目遣うわめづかいに訊く新田に、叶は気の抜けた様な顔で答えた。

「元アンタ等の仲間」

「警察官か!?」

 新田は瞠目どうもくし、九条は慌てて手帳に名前を書きつけた。叶はスマートフォンをしまい、通りの方に目をやりながら言った。

「こっちの手持ちはさらしたんだ、今度はそっちの番だぜ新田さんよ」

「何ッ」

 気色けしきばんだ九条を制して、新田が答えた。

劉恩海ラウエンハイ

「それがアイツの名前か?」

 叶の問いに無言で頷き、新田は短くなった煙草を携帯用吸い殻入れに押し込んだ。

「一週間程前に、香港の組織から連絡員がふたり日本に入るという情報が入ったらしく、俺達組対二課がそいつ等をマークする事になった。その連絡員が劉ともうひとり、郭林成グオリンチェンだ」

 説明を聞いて、叶は更に表情を険しくした。まだ同一人物だという確証がある訳ではないが、中野がチャイニーズマフィアの一員に身を落としているとなると、身元の確認は困難を極めるだろう。

「アイツ等の情報ってのは、どっから来たんだ?」

 叶が質問すると、新田は厳しい口調で返した。

「そんなもんは知らん。俺達はただ命令に従うだけだ」

「ご立派だな。デカのかがみだ」

 叶の嫌みを受け止め、新田は言い放った。

「何とでも言え。とにかく、今後はアイツ等の周りをチョロチョロするな。場合によっちゃ公妨こうぼうでパクるぞ」

 公妨とは、公務執行妨害こうむしっこうぼうがいの略である。叶は呆れ顔でかぶりを振ると、新田と九条の間をすり抜けて通りに出た。

「オレはアンタ等の仕事を邪魔するつもりはねぇ。ただそのラウとかいう男が中野将人かどうか判ればいいだけだ」

 肩越しに振り返ってふたりに告げると、叶は元来た道を戻った。後ろで、新田が煙草に火を点ける音がした。


《続く》

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る