薔薇の証明 #1

 灰色の空からえ間無く落ちる大粒の雨が、黒光りする大理石を濡らす。

 郊外の寺院の中に広がる墓地の一角に、大きめの傘を差した叶友也かのうともやがダークスーツをまとった身体を縮めてしゃがみ込んでいた。目の前に鎮座ちんざする墓石には『叶家之墓』と刻まれている。備えたばかりの菊の花にも、雨は容赦ようしゃ無く降り注ぐ。

 叶がここを訪れるのは、母親の一周忌以来だった。以前は父親の祥月命日しょうつきめいにちには必ず来ていたが、ここ数年は探偵稼業とボクシングトレーナーの兼業の忙しさにかまけて墓参ぼさんを怠っていた。叶は手を合わせながら、心の中で両親に謝罪した。墓参に来なかった事だけでなく、未だに麻美を見つけられない事も。

「じゃ、また来るよ」

 墓石に向かって告げると、叶は立ち上がって傍らの手桶を取り、歩き出した。

 叶が墓地の出入口に差し掛かった時、不意に若い女性の声がひびいた。

「パパ!」

 その直後、叶の腰の辺りに後ろから何かがぶつかった。咄嗟とっさに足を前に出してこらえた叶が、眉間みけんしわを寄せて己の脇の下から後ろをのぞき込むと、ポニーテールにまとめた黒髪が腰に密着していた。

「え?」

 対応に困った叶が声をらすと、ポニーテールが動いて見えなくなり、代わりに色白な少女の顔が現れた。目が合った瞬間、その化粧っ気の無い顔が明らかに落胆らくたんした。

「違う」

 少女のリアクションに困惑こんわくを深めた叶の耳に、別の女性の声が飛び込んだ。

さくらちゃん!」

 叶が視線を移すと、髪に大分白いものが混じった六十歳台とおぼしき女性が両手に開いた傘を一本ずつ持って駆け寄って来た。墓参に相応ふさわしいフォーマルな服装だが、足元はレインブーツで固めている。桜と呼ばれた少女は叶から離れて女性を振り返った。紺色のブレザーと灰色のプリーツスカートが、雨に濡れそぼっている。

「おばあちゃん、パパじゃなかった」

「だから、違うって言ったじゃない。あ、ごめんなさいね、うちの孫が早合点したみたいで」

 桜に一方の傘を差しかけながら謝る女性に、叶も愛想笑いと共に会釈する。だが桜の方は傘を受け取ろうともせずに俯いている。見かねた女性が注意した。

「ほら、桜ちゃんも謝って」

 すると桜は、やや頬をふくらませて叶を見上げ、申し訳程度に頭を下げた。

「ごめんなさい」

 叶は笑顔で小さくかぶりを振ると、膝を折って桜と目の高さを合わせて問いかけた。

「何で、オレの事をパパだと思ったの?」

「え?」

「あ、あの――」

 今度は桜と祖母が困惑した。叶はジャケットの内ポケットから名刺を一枚取り出して、ふたりに向けて提示した。

「オレ、こういうモンです。良かったら、話してみませんか?」

「探偵、さん?」

 目をらして名刺を見つめる祖母の横で、桜は顔を紅潮こうちょうさせて叶の腕をつかんだ。

「来て!」

「え、ちょ――」

 叶の制止も聞かず、桜は掴んだ叶の腕を強く引いて元来た道を脇目も振らずに戻った。叶は何度も敷石につまずきそうになりながらついて行く。

 叶が辿たどり着いたのは、『五十嵐家之墓』の前だった。やはり墓参を終えた直後らしく、近辺には線香の匂いが残り、菊も活けてあった。だがその中に、叶ならずとも違和感を覚える物が見えた。桜は躊躇ちゅうちょ無くそれを拾い上げて叶に示す。

「これ!」

 真っ白な薔薇ばらが一輪と、もうひとつ白い花弁を着けた花を眼前にした叶は、桜の意図を測りかねて目を泳がせた。その後ろから、やっと追いついた祖母が助け舟を出した。

「あの、その花を置いて行ったのが、桜ちゃんの父親だって言うんです」

 祖母の説明にうなずきながらも、叶は頭の整理がつかずにいた。

 二輪の花を突きつけて真剣な眼差まなざしを向ける桜に、叶は微笑びしょうして提案した。

「取り敢えず、ここじゃ何だから、場所変えようか」


《続く》


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