友情遊戯 #33

 唸りを上げて襲いかかる吉鷹の拳を、叶はスウェーイングの要領で上半身をらせてかわした。たたらを踏む吉鷹だったが、無理矢理体勢を立て直して今度は左の拳を思い切り振った。

「おらぁ!」

 叶はバックステップしてくうを切らせ、右足を引いて半身に構えた。両手はまだ胸の辺りで止まっている。鬼の形相ぎょうそうで睨みつけてくる吉鷹を見据えて、叶は大喝だいかつした。

「やめろ幸雄!」

「うるさい黙れ!」

 しかし吉鷹はひるまず、叶と同じ様に右足を引いて半身になると、両手を顔の高さに上げて構えた。少々腰が引けているが、それなりのファイティングポーズになっている。

「おれはなぁ叶、本当は熊谷保みたいなボクサーになりたかったんだ! それなのに親父が急に死んで、爺さんに外科医になれって命令されて、手を怪我するからってボクシングの真似事まねごとすら禁じられたんだ! はっきり言ってつまんなかったよ! だからなぁ、おまえがプロボクサーになったのを知った時はうらやましくて仕方なかったんだ!」

「そりゃ残念だったな」

 叶が構えを解かずに返すと、吉鷹は唾を吐き出してから更に喚き立てた。

「あぁ残念だったさ! それでもおれは、おまえにおれの果たせなかった夢を託して、必死に勉強して爺さんの言う通りに國料大に入って、医者にもなった! それなのにおまえは、理由も明かさずに急に引退しちまった! おれは心底落胆したよ! おれの夢がまた消えちまったんだからな!」

「そいつは悪かったな」

「あぁ悪いね! その所為でおれの生きるモチベーションは下がる一方だったよ! それでもおれは大学を卒業して医者になって、國料大附属の外科に入る事ができた! おまえと違っておれは医者になる事を投げ出さなかったからな! それから一年経って、おれは初めてのオペをやる事になった。このオペを成功させれば、爺さんもおれを一人前だと認めてくれるかも知れない、そうしたら爺さんの病院がおれの物になる、下がりっ放しだったモチベーションが、超上がったよ!」

 言い終わりに笑顔を見せた吉鷹だが、すぐに表情を強張らせて続けた。

「だけどなぁ、そのオペでおれはしょうもないミスをしちまった! おれは慌てたよ、だけどなぁ、オレの周りを囲んでた先輩連中はおれを積極的に助けようとしないで、半笑いで見てやがったんだ! あいつ等はおれの爺さんが大学の名誉教授だから普段は持ち上げてたが、腹の中では馬鹿にしてやがったんだ! あいつ等がおれを助けなかった所為で患者は死んだ! そうだ、断じておれの所為じゃない! あいつはそれをいちいちほじくり返してネチネチとおれをめやがった! おれは、おれは悪くなぁい!」

 ひときわ大きな声を上げた吉鷹が、一気に間合いをめて左右のパンチを叶目がけて連打した。だが所詮しょせん素人しろうとに毛が生えた程度の脇の甘いパンチなので、叶は殆ど足を動かさずにボディワークだけで全て避け、「このおぉぉ!」という咆哮ほうこうと共に繰り出された渾身こんしんの右ストレートを、左の掌でガッチリ受け止めつつ室内の空気を震わせる程の大声で言い放った。

「甘えるんじゃねぇ! 責任のがれも大概たいがいにしろ!」

 気圧された吉鷹が息を飲んで叶を見返した。叶は吉鷹の拳を掴んだ左掌に力をこめながら言った。

「おまえは逃げてるだけだ! 爺さんに怒られるのが怖くて自分の本当にやりたい事を諦めて、勝手にオレに期待しといてオレが引退したら勝手に落ち込んで、手術の時も勝手に周りに期待して、勝手に裏切られたと思って失敗の責任を転嫁てんかして、オマエはずっと自分の事をたなに上げてばっかりじゃねぇか! いい加減にしろ!!」

 掴まれた拳の痛みに顔を歪めていた吉鷹が、空いた左手を叶の顔面へ強振きょうしんした。叶はスウェーイングでかわしたものの、その拍子に吉鷹の右手を放してしまった。自由を取り戻した吉鷹が、叶を睨みつけて言い返した。

えらそうな事を言うなぁ! おまえは自分の夢をかなえておきながら、途中でそれをあっさり投げ出しただろうが!? その結果が探偵? 妹を探す為? 笑わせるな! そんな事の為に子供の頃からの夢を捨てる様な奴に、非難ひなんされるわれは無ぁい!」

 この言葉が、叶の逆鱗げきりんれた。目にも止まらぬスピードで吉鷹に接近した叶は、左右のフックを立て続けに吉鷹の腹へ打ち込み、身体をくの字に折って悶絶もんぜつする吉鷹の顎に強烈な左アッパーを入れてのけ反らせ、ガラ空きの顔面に鋭い右ストレートをクリーンヒットさせた。吉鷹の身体が吹っ飛び、本棚に激突した。衝撃で外れかけていた引き戸が床に落ち、嵌まっていたガラスが粉々に砕けた。床に尻を突いた吉鷹が血の混じった唾を飛ばしながら咳き込む。叶は苦しむ吉鷹を見下ろして言った。

「オレにとって麻美は生き甲斐がいだったんだ! 麻美の為ならオレは命もしくねぇ! オマエには居ないのか?そういう存在が!?」

「な……に」

 苦悶の表情で見上げる吉鷹に、叶は声のトーンを落として言った。

「居るだろ、愛美が」

 吉鷹の両目が、大きく見開かれた。


《続く》


 

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