友情遊戯 #32

 声を聞いた叶は、呆れた様な顔で扉を開け、室内に足を踏み入れた。直後、奥から叶目がけて何かが飛んで来たが、首を傾けただけでかわす。

 室内は結構広く、叶のすぐ前に豪華な応接セットが設置されていて、テーブルの中央に置かれたクリスタルの灰皿が異様な存在感を示していた。尤も、その灰皿もテーブルも、その前後を挟む革張りのソファもご多分に漏れず埃を被っている。左側には引き戸の外れかけた木製の本棚があり、中には医学書のたぐいがひしめいていた。右側には鉄製のデスクが置いてある。恐らく秘書ひしよか何かが使っていたのだろう。

 足を踏み出しかけてふと後ろを向くと、出入口の扉の横の壁に、初老の男性の肖像画しょうぞうがが掛かっていた。何となく面影おもかげが吉鷹に似ているので、この男性が吉鷹泰徳院長だろう。

「良い趣味してるよ」

 独りごちた叶が改めて正面に向き直り、応接セットの向こう側に鎮座する重厚な作りのデスクをまじまじと見た。天板の上に『院長 吉鷹泰徳』と記されたプレートが乗り、脇に大きめのスタンドライトが立っていた。その後ろの窓にはブラインドが下がり、隙間から微かに光が差している。

 叶が懐中電灯をデスクに向けると、こちらも革張りのアームチェアが不自然に震えた。応接セットを回り込んでデスクに近づいた叶に、「来るな!」という喚き声と共にまた何かが飛んで来た。これも叶はボクシングのヘッドスリップの要領ようりょうで簡単に避けた。飛んで来た物を確認すると、小さめのトロフィーか何かの様だった。

 叶は大きく息を吐き、デスクの前に立ちはだかって呼ばわった。

「幸雄!」

 その刹那せつな、アームチェアが急速きゅうそく回転して、その脇から人影が飛び出した。叶が素早く懐中電灯で照らすと、人影は反射的に顔をおおった。だが光を遮った手の隙間から、目を細めて相手を確認するとゆっくり手を下ろした。

「叶……か?」

 果たして、人影の正体は吉鷹だった。その頬はこけ、目の下には濃いくまができている。叶は懐中電灯を下ろして窓際へ近づき、ブラインドを上げて外の光を入れた。

「やっと見つけたぜ」

 デスクに懐中電灯を放って、叶は吉鷹を鋭い目で見て告げた。吉鷹は取り乱した表情で返す。

「お、おまえ……どうしてここに?」

「どうしてって? オマエを探しに来たに決まってんだろ」

 叶が答えると、吉鷹は急に声を荒らげた。

「何でおまえが捕まってないんだ!?」

「何?」

 訝しげな顔で訊き返す叶を指差して、吉鷹はつばを飛ばしながら喚いた。

「お、おまえは! お、おれの代わりにあの梶山って男を殺した罪で警察に捕まってる筈だろ!?」

 叶は落胆してかぶりを振り、吉鷹を睨みつけて言った。

「オマエの浅知恵あさぢえが警察に通用すると思ったのか? 甘いんだよ」

「何だと!?」

 目を見開く吉鷹に歩み寄りながら、叶はつとめて穏やかな口調で話しかけた。

「おまえがあの梶山ってヤツを殺しちまった事はともかく、罪を他人におっ被せようとするのはあんまり褒められたモンじゃねぇな」

 すると吉鷹は、側の壁を激しく叩いて反論はんろんした。

「うるさい! あんなタカリのゴミ野郎なんかに、何でおれの人生滅茶苦茶にされなきゃならんのだ? そういう役割はオマエみたいなケチな探偵が担えばいいんだよ!」

「オマエ、やっぱり梶山に脅されてたのか」

 叶の言葉に、吉鷹は更に興奮して喋り出した。

「あの男は! あの男の弟が死んだのはおれの所為だなんて言いがかりをつけて来たんだ! いいか! あいつが救急で来た時に、おれはレントゲン撮るかって訊いてやったんだ! それをあいつは『こんなもん掠り傷だ』なんてぬかして、酒臭い息をばら撒いて帰って行ったんだ! その後倒れて死のうがおれの知った事か!」

「それだけじゃないだろ」

 叶の指摘に、吉鷹は反射的に息を飲んだ。叶は更に吉鷹に近づきながら続ける。

「恐らく梶山は、どっかからオマエが以前に國料大でやった医療ミスの事を嗅ぎつけて、弟の事とセットでオマエを脅したんだ。確証かくしょうはねぇがな。そこで梶山がオマエに要求したのが――」

 叶は一旦言葉を切り、ジリジリ後ずさる吉鷹を本棚まで追い詰めてから再び口を開いた。

「モルヒネだ」

「!」

 その瞬間、吉鷹は両目が飛び出しそうな程に見開き、顔面を紅潮こうちょうさせて歯を食い縛った。図星を突いた確信を得た叶は、全身を小刻みに震わせる吉鷹に顔を近づけて、強い口調で言った。

「梶山の脅しに屈したオマエは、『桜川病院』の薬剤保管庫からモルヒネを盗み出した。だが土壇場どたんばで思い直して、呼び出された公園で梶山に殴りかかった。それで油断した梶山が足を滑らせて階段から落ちて、頭を打って死んじまった。怖くなったオマエは咄嗟とっさにオレを身代わりにしようと思いついて電話をかけ、直後に百十番ひゃくとうばん通報してオレに殺人の容疑が向く様に仕向けて逃げた、そうだな!?」

 叶を見返したまま黙っている吉鷹の額に大粒の汗が浮かび、鼻息が荒くなった。叶は念を押す様に吉鷹をひと睨みしてから顔を離した。

「今ならまだ間に合う。一緒に行ってやるから、警察に出頭しゅっとうしろ」

 叶の説得せっとくを聞いた吉鷹は、身体を震わせたままうつむいた。様子を見ていた叶がふと窓の外へ目を転じた瞬間、右の拳を振り上げて叫んだ。

「うるせぇぇぇ!!」


《続く》




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る