友情遊戯 #30

 叶はスマートフォンのナビゲーションアプリに打ち込んだ住所を頼りにバンデン・プラを隣県りんけんに走らせた。たっぷり三十分程走って、漸く目的地付近に辿たどり着いた。コインパーキングを見つけて駐車し、そこからは徒歩で向かった。

 到着したのは、真っ白な高いへいに囲まれた豪邸ごうていだった。正面玄関に掛けられた表札ひょうさつには、『吉鷹』と表記されている。

 叶は家の規模きぼに圧倒されそうになりつつ、咳払せきばらいをしてインターホンを押した。数秒後、スピーカーから女性の声が聞こえた。

『はい、どちら様でしょうか?』

 叶はインターホンに顔を近づけて答えた。

「恐れ入ります、ワタクシは吉鷹幸雄君の同級生の叶と申しますが、お母様にお話をおうかがいしたいのですが御在宅ございたくでしょうか?」

 スピーカーから軽く雑音が聞こえた後、にわかに沈黙が訪れた。空振りも覚悟した叶だったが、ねばり強く待つと再びスピーカーから声が聞こえて来た。

『少々お待ちくださいませ』

 返事から二十秒くらいって、玄関の向こうから足音が聞こえた。叶が居住まいを正して待っていると、玄関の扉が開いて、六十代と思しき女性が姿を現した。叶が会釈えしゃくすると、女性も頭を下げてから言った。

「叶様、ですね。奥様がお会いになるそうです。どうぞ」

「え? あ、どうも」

 叶は戸惑いながら女性の後について行った。対応と言葉遣いから、恐らくこの女性は家政婦かせいふだろうと叶は見当をつけた。

 青々とした芝生の中に敷き詰められた敷石を踏み締めて前庭ぜんていを進む。目の前にそびえる母屋はかなり大きい。吉鷹の祖父、泰徳の生前の財力が窺えた。

 母屋おもやの玄関に到着すると、家政婦が鍵を開けて扉を開け、叶を中へ促した。

「どうぞ、お入りください」

 叶は再び会釈して中に入り、靴を脱いで用意されていたスリッパに足を入れた。何故か緊張感きんちょうかんが高まる。遅れて入って来た家政婦が先に立って案内したのは、『叶探偵事務所』全体くらいの広さを有するリビングルームだった。

「おぅ……」

 溜息混じりに呟いた叶は、奥に設置せっちされた応接おうせつセットに通された。そこには、家政婦よりも若い、五十代前半と見られる女性が待ち構えていた。女性は叶を見るなり言った。

「叶、友也君? 随分久しぶりね」

「あ、覚えててくれたんですか?」

 その女性、吉鷹の母である真喜子まきこと叶は、かつて吉鷹が叶と同じクラスに居た頃に何度か顔を合わせていた。だが叶は真喜子が自分の事を覚えているとは全く思っていなかったので驚き、かつ喜んだ。

 真喜子に促されて、叶は対面のソファに腰を下ろした。そこへ家政婦がコーヒーの入ったカップを運んで来た。「お構いなく」と告げつつカップを受け取った叶が前を見ると、既に真喜子の前にはカップが置いてあった。どうやら中身は紅茶らしい。

 叶は、コーヒーをひと口飲んでから口を開いた。

「あの、正直に申し上げますと、ワタシは今訳あって幸雄君を探しています」

「え? どういう事?」

 動揺する真喜子に、叶は自分の名刺を取り出して見せた。まじまじと見つめた真喜子の口から、「探偵……さん?」という言葉が漏れた。叶は無言で頷いて続けた。

「守秘義務ってのがありますから依頼人は伏せますが、ともかく今幸雄君は行方が判りません。依頼人は警察には頼みたくないと仰っているのでお引き受けしたんですが、あの、幸雄君が行きそうな所に何か心当たりはないですか?」

「そんな……幸雄が」

 叶の問いを聴いているのかいないのか、真喜子は深刻しんこくそうな表情で目を泳がせた。ここで変に突っ込むとかえって情報が出なくなると判断した叶は、コーヒーを啜って反応を待った。

 暫くして、真喜子も紅茶を飲んでから口を開いた。

「叶君も知ってると思うけど、幸雄は昔ボクサーになりたがってたのよね。それが、父の命令で外科医の道に進まざるを得なくなったの」

 その事は、叶もある程度承知していた。

「最初は、父に進路を決められる事に不満を持っていたみたいだけど、父は厳格げんかくな人だったし、幸雄も怖がっていたので逆らえなかったんです。私も昔から、父に反抗する事はできませんでしたから」

「そうでしたか」

 叶の相槌に頷き、真喜子は続けた。

「ただ幸雄は國料大に入ってからは、真面目に医者を目指していました。それも多分、父から一人前の外科医になったら病院をやると約束してもらえたからなんでしょうが」

「あの、立ち入った話ですが、そのおじいさんの病院は、かなりの負債ふさいを抱えていた様ですね?」

 叶が質問を割り込ませると、真喜子は困った様な顔で返した。

「よく知ってるのね。そう、父の病院は莫大ばくだいな借金を抱えてたわ。それもこれも、最新の医療設備を揃える事にはやたらこだわった父が、患者に対しては『医は仁術じんじゅつだ』なんて綺麗事きれいごとを並べて治療費をおさえたものだから、収支のバランスが物凄く悪かったみたいで、ある時病院についてた会計士の方から言われたんです。『この病院、何で今までやって来られたんですか?』って。私は経営の事にはそれほど明るくなかったけど、それでも設備投資額の異常な多さは判ったわ」

 叶は難しい顔で深く頷いた。要するに泰徳は、理想を追い求め過ぎて病院の経営を圧迫し続けた訳だ。患者への負担を軽減しようとした心情は察するが、それで病院を潰してしまうのは本末転倒ほんまつてんとうだ。

 真喜子は紅茶で口を湿しめらせてから続けた。

「だから、幸雄が父の死後に病院の経営状態を知った時は、物凄くショックを受けてたわ。葬儀そうぎの時にはもう顧問弁護士こもんべんごしの方が病院の売却ばいきゃくを進めていたので尚更ショックが大きかったみたいで、火葬場かそうばから戻っても口も聞いてくれなかったわ」

「そうだったんですか……」

 叶は溜息を吐いてソファの背もたれに身体を預けた。少し考えてから、身体を起こして真喜子に訊く。

「その病院は、今どうなってるんですか?」

「それが、なかなか買い手がつかなくて、閉鎖へいさしたままで何も手をつけてないの。一応周りはフェンスと塀で囲ってあるけど」

 答えた真喜子も、深い溜息を吐いた。

 叶は再び考えを巡らせ、残りのコーヒーを飲み干して立ち上がった。

「判りました。突然お邪魔してすみませんでした」

「あ、ねぇ叶君、もし幸雄が見つかったら教えてくれる?」

勿論もちろん。必ずお知らせしますよ」

 笑顔でけ合うと、叶は真喜子に向かって深々と頭を下げ、離れた所で控えていた家政婦に「ごちそうさま」と告げてリビングルームを出た。家政婦が送ろうとするが、固辞こじしてひとりで玄関へ向かった。


《続く》

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