友情遊戯 #29

 翌朝、叶は日課のロードワークの為にジャージ姿で事務所を出た。走り出す前にメルセデスに歩み寄って中を覗くと、お目付役は昨夜同様大口を開けて眠りこけていた。叶は苦笑しつつ走り出した。

 いつものコースを走り終えて、事務所近くの自動販売機でミネラルウォーターを買って呷っていると、店の前をき掃除していた桃子が駆け寄った。

「ともちんおはよ~」

「おぅ、おはようマ、じゃなくて桃ちゃん」

 叶が挨拶を返すと、桃子は横目でメルセデスを見ながらたずねた。

「ねぇともちん、あの人いつまであそこに居る気ィ~? 正直言って迷惑なのよね~、お客さんが寄りつかなくなっちゃうし、何より恐いし」

「あぁ、アイツ? 心配ない、今日で終わりだよ」

 叶の返答に、桃子が忽ち笑顔になった。

「ホント? 良かったぁ~、これで安心して寝られるわ~。さ、朝ごはん食べよっ、ともちん!」

 朝なのに睡眠を問題にする桃子に半ば呆れつつ、叶は桃子に促されるまま『カメリア』に入った。まだ開店時間前だったが、桃子の誘いは迂闊うかつに断れない。


 カウンター席でサンドイッチ盛り合わせを胃に収めていた叶がふと外を見ると、お目付役が運転席から出て何処かへ歩いて行った。

暫く食事の手を止めて待っていると、右手にコンビニ袋をぶら下げたお目付役が戻って来て、再び運転席に収まった。

「アイツも朝メシか」

 独りごちた叶は、残りのサンドイッチを平らげてコーヒーを飲み干し、カウンターに千円札を一枚置いてスツールから腰を上げた。

「ごちそうさん」

「ありがとうございました」

 奥から大悟の声が聞こえた。他の客のオーダーを取っていた桃子が手を振ったので、叶も手を振り返して『カメリア』を後にした。そのままメルセデスに近づき、運転席の窓をノックした。おにぎりを頬張ほおばっていたお目付役が、あからさまに迷惑そうな顔で窓を開けた。

「あんだぁ~探偵!?」

「よぉ。よく寝られたか?」

叶の問いに、お目付役はダッシュボード上に取り付けたドリンクホルダーから緑茶りょくちゃのペットボトルを取り、ひと口飲んでから答えた。

「うるっせぇ、余計なお世話だ」

「車の中で寝ると身体に悪いぜ。エコノミークラス症候群しょうこうぐんになっちまうぞ?」

 叶が忠告すると、お目付役は口から米粒を飛ばしながら返した。

「ほっとけやコラァ!」

 叶はわざとらしく顔を歪めて手を振り、事務所へ戻った。プライベートスペースでスーツに着替え、スマートフォンで昨日吉鷹の部屋で撮影した写真を確認すると、バンデン・プラの鍵を持って事務所を出た。階段を降りてメルセデスに目を移すと、お目付役が車外で煙草を吸っていた。少々風が強めに吹いているので、煙草の先から灰が続々ぞくぞくと飛ばされている。

 叶は通りまで出ると、大袈裟おおげさにお目付役に向かって手を振ってみせた。怪訝そうな顔でお目付役がこちらを見たと同時に、叶はくるりと背を向けて駆け出した。

「あ!」

 驚いたお目付役が、辺りにひびく声を上げた。肩越しに振り返ると、お目付役が煙草を投げ捨ててこちらに走って来るのが確認できた。

「よし」

 呟いた叶は、お目付役から離れ過ぎない様にスピードを調節しながら走った。後ろから、お目付役の怒号が追いすがる。

「待てコラァー!」

「ボキャブラリーねぇな」

 あきれ気味に言いながら、叶は大通りから路地ろじに入った。なるべく見通しの悪い道を選び、適当な所で止まって壁際に身を寄せて息を潜めた。数秒後、速いピッチの足音と「何処行ったぁコラァー!」という品の無いわめき声が近づいて来た。叶は深呼吸して上半身を屈め、右手を軽くにぎった。そして、お目付役が角に差し掛かった瞬間に姿を現し、右拳を腹部めがけて強振きょうしんした。

「ぐぉぼぇっ」

 叶の右ボディブローをまともに食らい、お目付役は食べたばかりのおにぎりを盛大せいだいに吐き出し、白目をいて崩れ落ちた。

「うわ汚ぇ」

 叶が慌てて身体を引くと、お目付役は自らの吐瀉物としゃぶつに顔をうずめて気絶した。自分がやった事とはいえ、余りの惨状さんじょうに叶は表情を歪めた。

「やっちまったなぁ~、もうちょっと後にすりゃ良かったかな?」

 反省の弁を述べつつ、叶は倒れたお目付役の襟首えりくびを掴んで引っ張り上げ、先程まで自分が居た壁際に寝かせた。

「良い夢見ろよ」

 吐き捨てる様に言い残して、叶は月極駐車場へ向かった。


《続く》

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