友情遊戯 #14

 翌朝、日課のロードワークを終えた叶が、いつもの様に事務所近くの自販機じはんきでペットボトルのミネラルウォーターを購入こうにゅうしてキャップに手をかけた時、聴きたくない音に耳を襲われた。眉間に皺を寄せて振り返ると、ルーフ上に旋回灯せんかいとうを輝かせた覆面ふくめんパトカーが、けたたましいサイレンと共に叶のすぐ側まで来て停まった。

「何だようるせぇな」

 小声で文句を言いながら、叶がペットボトルを片手に事務所へ引き上げようとすると、運転席のドアが開く音の直後にだみ声で呼びかけられた。

「おーい、ヘボ探偵」

 叶は足を止めて、きわめてけわしい表情で天をあおぎ、深い溜息を吐いて再び振り返った。

 覆面パトカーから降り立ったのは、今までに事件がらみで何度か顔を合わせ、その度に異常に目のかたきにして突っかかってくる、警視庁捜査一課けいしちょうそうさいっか松木直道まつきなおみち刑事だった。いつもなら、たくわえた口髭くちひげを不機嫌そうに歪めながら叶に対して暴言を吐くのだが、今日は妙に機嫌が良さそうで、その強面こわもて気色悪きしょくわるい笑みが浮かんでいた。

「何だよ? 暇潰しの職質なら他当たってくれ」

 叶が突き放す様に言うと、松木は目を輝かせて近寄って来た。

「そんなつれない事言うなよ叶~、おれとおまえの仲じゃねぇかよ」

 叶は小声で「どんな仲だよ」と言ってから、ミネラルウォーターをひと口飲んで松木と正対せいたいした。一拍いっぱく遅れて、松木の後ろからスーツ姿の若い男が近づいて来た。恐らく、松木と組んでいる所轄署しょかつしょの刑事だろう。という事は、何か捜査本部が設置される様な事件が発生したのか、と思った刹那、昨夜遭遇そうぐうしたあの男の死体が脳裏のうりよぎった。

「もったいぶらずに用件を言え」

 死体の事などおくびにも出さずに叶が言うと、松木はニヤけ面のまま言った。

「ちょっと訊きたい事があるんだ、署まで同行してくれ」

「ほぉ、なかなかまともなデカらしい口利くじゃねぇか、そりゃ任意か?」

 叶が不遜ふそんな表情で松木に訊くと、後ろの若手が口を挟んだ。

「確かに任意ですが、拒否すると心証が悪くなりますよ」

 この言葉で叶は直感した。間違いなく、重要参考人じゅうようさんこうにんあたりのレベルで同行を求められていると。

「判ったよ、そう教科書通りに言われちゃ拍子抜けだ」

 叶はわざとらしくかぶりを振って、松木の横をすり抜けて覆面パトカーへ向かった。

「おぉ、今日は随分素直だな」

 気を良くしたのか、松木が叶を小走りに追い越してパトカーの後部座席のドアに取り付き、オーバーな動きで開けて叶を促した。叶が松木を一瞥してから乗り込み、直後に松木が隣に陣取った。若手が運転席に収まり、覆面パトカーを発進させた。


 叶が連れて来られたのは、昨夜死体と遭遇した『山西公園』に程近い、『警視庁池中警察署いけなかけいさつしょ』の取調室だった。格子こうしまった窓を背にしてパイプ椅子に座る叶の前に、心底嬉しそうな笑顔の松木が腰を下ろした。その右後方には、例の若手が叶に身体の右側を向けて椅子に座り、デスクの上に置かれたノートパソコンに視線を落としている。取り調べの際には、必ずこうして記録係が同席し、取り調べの内容を一言一句いちごんいっく残らず記録する。

 その反対側、松木の左後方に、松木よりも強面の四十代後半と思しき男が、羽織はおったブルゾンの下で腕を組んで、叶を凝視していた。当然警察官なのだろうが、目の前の髭面とは明らかに異なる独特な雰囲気をかもし出している。

 数秒の沈黙を、不敵な笑みを浮かべた松木が破った。

「叶、おまえ、梶山久志かじやまひさし、知ってるな」

「梶山? 誰だそれ?」

 叶が訊き返すと、松木は顔から笑みを消して机をひと叩きして声を荒らげた。

「とぼけんな! 夕べおまえが殺したホトケだろうが!」

 憎悪ぞうお丸出しの松木の視線を真っ直ぐ受け止めて、叶は言い返した。

「オレが殺した? 何か証拠でもあんのか?」

「おまえな、今の内に認めた方が身のためだぞ。夕べの十時頃、山西公園の中から慌てた様子で出て来るおまえを、第一発見者のカップルがバーッチリ見てるんだよ。モンタージュ見せようか?」

 公園を出る時にぶつかりそうになったカップルの事を思い出し、叶は小さく首を振った。その様子を見て、叶が弱気になったと思ったのか、松木がかさにかかって攻めて来た。

「それになぁ、ホトケの顔には殴られた跡が残ってたんだ。おまえ確か、元プロボクサーだよな? 得意のパンチで吹っ飛ばして、階段から落としたんだろ?」

 松木が勝ち誇った顔で解説してくれたおかげで、叶は梶山という男が死に至った状況を、ほぼ正確に把握した。松木に気づかれない様に小さく二度頷いて、叶は松木に向かって身を乗り出して言った。

「オイ、元ボクサーじゃなくたって、人を殴って階段から落とすくらいできるだろ。もしかしてオマエ等、そんなテキトーな理由でオレを引っ張ったのか? そんな事だからこの世から冤罪えんざいがなくならないんだろうが」

「何だと――」

「やめたまえ、松木君」

 反論はんろんしかけた松木を、左後方の強面が制した。反射的に振り返った松木に目配めくばせすると、強面は松木に代わって叶の対面に腰を下ろした。

「叶友也さん、私は警視庁組織犯罪対策第五課そしきはんざいたいさくだいごか小泉こいずみと言います。叶さん、知っていると思いますが、我々警察は当てずっぽうで捜査はしません。少しでも事件に関係しているという確信があるからこそ、こうして同行を求めています。貴方の嫌疑けんぎを晴らす為にも、知っている事は隠さずに話して頂けませんか?」

 小泉の口調は穏やかに聞こえるが、その根底には確固たる信念が感じられた。叶は居住まいを正して答えた。

「その梶山という男の事は本当に知らないし、オレが見つけた時には既に死んでいた」

「では何故、あんな時間にあの公園に行かれたのですか? あそこは貴方あなたの事務所からはかなり離れていますし、トレーナーをしている『熊谷ボクシングジム』からも遠い。よっぽどの理由があった、と考えるのが自然なんですがね」

 小泉の更なる問いに、叶は言葉をまらせた。ここで吉鷹の名前をだせば、遅かれ早かれ愛美の元にも捜査の手が及ぶ。そうなれば、愛美に余計な心配をかける事になる。叶としては是が非でも避けたかった。

 叶の沈黙を怪しんだのか、小泉の目つきが鋭くなった。その時、取調室の扉が二度ノックされた。

「ん?」

 小泉が叶から目を外して肩越しに扉の方を見た。すぐに松木が反応して、扉を少し開けて外へ顔を出した。数秒後、松木が頓狂とんきょうな声を上げた。

「な、何ですってぇ!?」


《続く》

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