友情遊戯 #12

 『桜川病院』の前にバンデン・プラを路上駐車した叶は、運転席を出て『時間外受付』と書かれた扉を押し開けて中に入った。すぐ脇にある警備員室けいびいんしつの中から初老しょろうの警備員が声をかけて来たが、聞こえないふりをして院内に進んだ。

 中は当然ながら人影はまばらで、自分の足音がやけに耳障みみざわりな程静かだった。叶は近くを通りかかった看護師を捕まえて吉鷹について尋ねたが、いぶかしげな顔で「さぁ?」と返された。

「クソッ、やっぱり意味無いか」

 小声で悪態を吐きながら当てもなく廊下を歩いている叶の視界の隅に、病院では滅多めったに見かけない服装が映った。

「何だ?」

 呟きつつ目を向けた先に、ふたりの制服警察官が立っていた。その近くには背中に『警視庁 POLICE』と書かれた上着を着た鑑識係かんしきがかりと思しき警察官が三人居る。その向こうで蠢いているスーツ姿の男達は恐らく刑事だろう。

 しかめ面で警察官の群れを見つめる叶の横を、別の看護師が通り抜けた。叶は慌てて呼び止め、警察官達に背を向けて尋ねた。

「ねぇ、何かあったの? 警察来てるけど」

 看護師は怯えた様な顔で叶を見返したが、直後に少し警戒を緩めた。

「あ、えっと、叶さん?」

「え?」

 突如名前を呼ばれて困惑こんわくした叶だが、相手が外来診療でここを訪れた時に何度か顔を合わせた看護師だと思い出して安堵した。

「あの、私もよく判らないんですけど……あ、これ外で言わないでくださいね」

「え? あ、ああ」

 看護師の神妙しんみょうな口調に不穏ふおんなものを感じつつ叶が頷くと、看護師は声をひそめて告げた。

「何か、薬剤保管庫やくざいほかんこからモルヒネが無くなったみたいで」

「モ――」

 驚いて大声を出しかけた叶が、慌てて己の口を掌でふさいだ。

 モルヒネとは、がん等の重病患者の身体をおそう痛みを和らげる為に投与される医療用麻薬である。使用目的は医療用でも、麻薬に変わりは無いので過剰投与かじょうとうよすれば中毒におちいる。

「それって、いつ判ったの?」

 叶も声をひそめて訊き返す。看護師はゆっくりと周囲を見渡してから、口の横に手を当てて言った。

「気づいたのは夕方くらいですけど、いつから無いのかは判らないみたいです」

 叶は無言で二、三度頷いてから、思い出した様に再び訊いた。

「あ、そうだ、川上、じゃなくて吉鷹先生って、居る?」

 急に全く趣旨しゅしの異なる質問を浴びせられて当惑しながら、看護師は答えた。

「いえ? 吉鷹先生は昨夜当直だったから、朝の九時には帰られた筈ですよ?」

 予想の範疇はんちゅうの返答に、叶はやや落胆らくたんしつつも看護師に礼を述べてその場を離れた。


『桜川病院』を出た叶が腕時計に目を落とすと、午後二十一時近かった。スマートフォンを取り出して、愛美のメールに記載された吉鷹の携帯電話番号に電話をかけてみるが、やはり通じない。舌打ちしてバンデン・プラの運転席に入り、シートベルトを着けながら愛美に電話をかけた。

『もしもし、叶君? 見つかった?』

 動揺が手に取る様に判る口調で愛美が電話に出た。叶はかぶりを振りながら答えた。

「いや、病院に来てみたんだが、やっぱり朝出たっきりみたいだ」

『そう……』

「そっちに連絡来たか?」

『ううん、全然……もう、何処どこ行ったのよ』

 愛美の口調に苛立ちが混じり始めた。叶はなだめようと口を開きかけるものの、かける言葉が見つからなかった。

「と、とにかく、連絡は取り続けろ。オレも探すから」

『うん、ありがとう……ごめんね』

「何が?」

 突然の謝罪に戸惑った叶が訊き返すと、愛美は軽く鼻を啜ってから答えた。

『だって、叶君は探偵さんだから、本当はちゃんと依頼するべきなのに、昔のよしみで頼んじゃって』

「水くさい事言うなよ。これも何かの縁だ、幸雄は必ずオレが探し出す」

『うん……よろしくお願いします』

 礼を述べる愛美の声は、少し震えていた。


《続く》

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