友情遊戯 #11

 数日後の夕方、叶の元に待ちに待った連絡が来た。事故で車体後部を大きく破損した愛車バンデン・プラの修理が、漸く終わったのだ。

 叶は身支度みじたくととのえて事務所を出て、表通りでタクシーを拾った。十五分ほど走ってタクシーを降り、路地ろじを進んだ先にる『(有)武野自動車たけのじどうしゃ』へ足を踏み入れた。

「チワッス、叶でーす」

 大きめのガレージの様な建物のわきにある扉を開けて叶が声をかけると、中から男の声で返事が聞こえた。

「おーぅ」

 数秒後、奥から薄汚れた白いツナギを着た、叶と同じくらいの年の男がサンダルの音を立てながら現れた。

「よぉ友也、早いな」

「オッス、タケ先輩」

 叶が『タケ先輩』と呼ぶこの男は、かつて叶が所属した高校のボクシング部の主将だった、武野克彦たけのかつひこである。

 武野の同級生が外で飲酒し、暴力事件を起こした所為でボクシング部が廃部になり、その後叶は現在の『熊谷ボクシングジム』に入門したが、武野はボクシングから足を洗い、家業かぎょうであるこの『(有)武野自動車』を継ぐ為に専門学校せんもんがっこうへ進学した。

 叶はボクシング部に入った当初から武野の事を『タケ先輩』と呼んでしたっていて、武野が家業を継いだ後は、バンデン・プラの車検や整備を頼んでいる。今回も格安で修理してもらっていた。

「こっちだ」

 武野は叶を促し、建物の裏へ歩を進めた。

 裏側には工具等を入れた物置や、数本のドラム缶が置かれていて雑然ざつぜんとしていた。その片隅、トタン板のひさしの下にバンデン・プラが車体前部をこちらに向けて停まっていた。ボディは新品同様にかがやいている。

「おぉ……」

 叶は声をらしながら、ゆっくりとした足取りで愛車に近づいた。車体前部から運転席側を回り、激しく追突されて大きく凹んでいた後部を恐る恐る覗き見て、また声を漏らした。

「おぉー」

 無惨な姿を晒していた車体後部は、事故がうその様に綺麗きれいな状態だった。顔を綻ばせた叶が、武野を振り返って告げた。

「ありがとうございます! さすがタケ先輩」

「いやいや、友也には色々世話になってるからな、このくらいは当然だよ」

 事も無げに言うと、武野はツナギのポケットに手を突っ込み、バンデン・プラのイグニッションキーを取り出して叶に放った。右手でキャッチした叶は、キーを見つめてから武野に会釈した。武野は微笑で受けてから告げた。

「ガソリンは満タンにしてあるから。あ、そうだ、飯食ってけよ、用意させるから」

「え? そんな、悪いッスよ」

遠慮えんりょすんなって。ホラ、来いよ」

 慌てて固辞こじしようとする叶をかして、武野は踵を返した。叶は頭をきながら後をついて行った。


 食事を終えたのは、午後七時を大きく超えた頃だった。夕方に到着してから、三時間以上経過していた。

「すみません、長居ながいしちゃって」

 出入口の扉を開けながら言う叶に、見送りに出た武野が返した。

「いや、久々にゆっくり喋れて楽しかったよ。また来いよ」

「オッス、できれば仕事抜きで」

 叶は笑顔で請け合い、武野に深く頭を下げてからバンデン・プラへ向かった。運転席に座り、キーを差し込んでエンジンをスタートさせると、軽快な駆動音が車内に木霊した。またも叶の顔が綻ぶ。

「さぁ帰るぞ、相棒」

 独りごちて、叶はゆっくりアクセルペダルを踏んだ。

 約十五分のドライブを経て、バンデン・プラは月極駐車場つきぎめちゅうしゃじょうに帰って来た。指定のボックスに入れて停車した叶が、シートベルトを外した所で少し身を震わせた。

「ん?」

 叶がジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出して画面を確認すると、『根岸愛美』と表示されていた。

「愛美?」

 訝しげな顔で、叶が電話に出た。

『あ、叶君? 私、根岸愛美』

「あぁ、どうした?」

 愛美のやや慌て気味の口調に、叶は更に表情を険しくしつつ訊いた。

『あのね、幸雄が、今日は当直明けでうちに来るはずなんだけど、今になっても来ないのよ。何度か電話してみたんだけど、出なくって』

 話す内に狼狽ろうばいを深める愛美を落ち着かせる様に、叶はやや声を張りつつも、つとめておだやかな口調で言った。

「愛美、今までこういう事はあったのか?」

『ううん、急患きゅうかんだったりした時は電話かメールを必ずくれてたし、こっちに来ない時は事前に教えてくれてたから……こんなの初めてで』

 叶の声で少し狼狽が収まった愛美だったが、しゃべる内にまた声色が不安定になった。叶は一旦スマートフォンを顔から離して息を吐いてから、愛美に告げた。

「判った。オレも探してみるから、えず待ってろ。ああそれと、アイツの携帯の番号、メールしてくれ」

『うん……ごめん』

「気にすんな、じゃあな」

 叶は電話を切り、外したシートベルトを再び着けて、バンデン・プラを駐車場から出した。

「何やってんだ幸雄のヤツ!?」


《続く》


 

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