友情遊戯 #6

 二週間がち、叶は再び『桜川病院』外科外来を訪れた。担当医からの絶対安静の言いつけを守り、『熊谷ボクシングジム』に顔を出す事も我慢してひたすら事務所と『喫茶 カメリア』の往復のみに努めたおかげか、漸く首をおおっていたわずらわしいコルセットを外す許可が下りた。

 看護師の手を借りてゆっくりコルセットを外し、恐る恐る首を動かしてみたが、全く痛みは感じなかった。

「あぁ、良かった」

 思わず安堵あんどの溜息を漏らす叶を見て、担当医も看護師も苦笑した。


 自由を取り戻した叶が、こぼれる笑顔を隠そうともせずに意気揚々と会計へ向かうと、出入口が何やら異様な雰囲気に支配されていた。会計を待つ患者達は皆、一様いちようおびえた表情を浮かべている。

「何だ?」

 叶が眉間に皺を寄せて彼方を見ると、明らかにスジ者と判る風体ふうていの男が、対面に並んで立つふたりの白衣の男をめつけて罵声ばせいを浴びせている。よく見ると、白衣の男の片方は吉鷹幸雄だった。吉鷹は硬い表情で男を見返し、隣の初老の男は毅然きぜんとしている。

 スジ者風はリノリウムの床につばを吐き捨てて病院から出た。直後、患者達の緊張が一斉に解け、張り詰めていた空気も緩んだ。

 叶はスジ者風を見送りつつ、吉鷹に歩み寄って声をかけた。

「オイ幸雄、今のは――」

 だが吉鷹は叶を一瞥しただけで、足早に立ち去ってしまった。もうひとりの初老の男は、はなから叶を気にもめなかった。

「……何だアイツ?」

 旧友の素っ気ない対応に不満を覚えながらも、叶は会計を済ませて病院を後にした。


 叶が電車の駅に向かって歩き出すと、不意に後ろから呼びかけられた。

「よぉ、とーもちん」

「あぁ?」

 からかう様な口調に、叶が苛立ちを隠さずに振り返ると、そこにはニヤけ面で煙草をくわえる西条誠さいじょうまことが居た。相変わらずダークスーツの下に派手な柄のシャツを着ている。

「何だ、ハイエナか」

 あからさまに不快ふかいな顔で吐き捨てると、叶は西条に背を向けて歩き出した。

 西条とは、ある依頼を受けた時に知り合い、その際に依頼人と玲奈を助けてもらったが、基本的には好ましく思っていなかった。特ダネ狙いのトップ屋という、決して堅気かたぎとは言えない仕事をしている事もあるが、今の様に常に相手を小馬鹿にしているかの如き応対が、叶のかんさわるのだ。

「ちょちょちょ、ちょっと待てよ」

 西条が慌てて叶の横に並びかけた。叶は心底嫌そうな顔で訊いた。

「何か用かよ?」

「いや、こんな所で会うなんて奇遇きぐうだな~って」

「運命なんか感じなくていいぜ、迷惑だからな」

「そんなつれない事言うなよ、なぁ、何であの病院に居たの? 依頼か何か?」

 叶の心情を慮る事無く食い下がる西条に、叶は思わず足を止めて声を荒らげた。

「うるっせぇな! オマエに関係ねぇだろ!?」

 常人なら絶句してしまいそうな程の迫力を出した叶だったが、目の前のトップ屋は少し目を見開いたものの、ほとんどど動じずに言葉を続けた。

「いや、依頼とかじゃないんなら別にいいんだよ。つぅか、逆に己の邪魔じゃまして欲しくないんだよね」

「何?」

 西条の思わせぶりな物言いに苛立ちながらも、叶は少しだけ興味を持った。ハイエナの如くスクープの匂いをぎ取るこの男が、『桜川病院』の何を探っているのかが妙に気になった。

「オマエ、あの病院に何かあるのか?」

「へっ、言う訳無いじゃん。あんた流に言うなら『守秘義務しゅひぎむ』って奴」

「ふざけるな!」

 叶は更に凄味すごみを増した声で怒鳴どなりつけ、左手で西条の胸倉を掴んだ。西条は反射的に両手を上げて無抵抗をアピールする。

「オットー、暴力反対」

「寝言言ってんじゃねぇぞチンピラ、サッサと教えろ!」

 本当に暴力にうったえそうな勢いで迫る叶に、西条は苦笑してかぶりを振りつつ応えた。

「もぉ、しょーがねぇな。判ったよ、言うから手ぇ離せよ」

 叶は鼻から大きく息を吐いて、西条の胸倉を掴んでいた左手を離した。西条は乱れた服装を整えると、上着のポケットから携帯用吸い殻入れを取り出して煙草を押し込み、ポケットに戻してから口を開いた。

「ある大学病院でな、以前に医療ミスで患者を死なせた医者が、ここに飛ばされたらしいんだよ」

「医療ミス?」

 叶が訊き返すと、西条は新しい煙草を一本抜き出しながら頷いた。上着のポケットからオイルライターを取り出した所で、ふと手を止めて叶に告げた。

「今日車じゃないのか? なら送るよ、ついでにめしでも食いながら話そうぜ」

 西条が示した腕時計は、午前十一時四十分を差していた。叶は数秒思案してから、溜息混じりに応えた。

「OK。但し、オマエのおごりだ」

「仕方ねぇな」

 け合った西条の後について、叶は路上駐車ろじょうちゅうしゃしてあったアルファロメオ・スパイダーに歩み寄った。


《続く》


 

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