友情遊戯 #1

 愛車バンデン・プラ プリンセス一三〇〇の運転席で、叶友也かのうともやは疲れた表情でハンドルを握っていた。チラリと見上げたルーフミラーには、後部座席で不機嫌ふきげんそうに唇を突き出しながら、寝転がってスマートフォンを眺める仁藤玲奈にとうれいなの姿が映る。

「ねぇ~まだぁ? お腹空なかすいたんだけどぉ~ねぇアニキィ~」

 視線をスマートフォンに固定したまま、玲奈が文句をたれる。叶は顔をゆがめて言い返す。

「うるっせぇな、オマエちゃんと座れよ! 危ねぇだろ」

「ええ~だってぇ、つまんなかったんだもぉん」

 玲奈はシートの上で身をよじりながら尚も文句を言う。叶があきれ顔でかぶりを振った。

「仕方ねぇだろ、ボクシングの試合が全部スカッとKOで決まる訳ねぇんだからよ」

「判ってるけどぉ~」

 今日、叶と玲奈はプロボクシングを観戦しに『格闘技の聖地』と呼ばれるホールへ行っていた。所属する『熊谷くまがいボクシングジム』でプロボクサーを目指す玲奈に、一度プロの試合を生で観たいと頼まれた叶が、会長の熊谷保くまがいたもつを通じてチケットを入手して連れて行ったのだが、ふたを開けてみれば全十試合の内KOもしくはTKOで決着したのはたったの二試合で、しかもメインイベントの日本ライトフライ級タイトルマッチがフルラウンド判定の末に引き分けと言う、何とも締まらない決着だった為、期待を裏切られた玲奈がすっかりへそを曲げてしまったのだ。叶も玲奈の気持ちは判らないでもなかったが、こればかりは思い通りに行かない事も充分承知しているので、放っておくしか術が無かった。

「ねぇ早くぅ~、ふうさんとこのシチュー食べたいぃ~」

「だからうるせぇっての、ちょっと黙ってろ」

 風さんとは、郊外で『レストラン&バー WINDY』を経営する風間荘助かざまそうすけの事である。叶と風間は旧知きゅうちの仲で、叶が頼りにする存在だ。以前に玲奈を初めて連れて行った時に、風間の得意料理のひとつであるビーフシチューを食べさせた所、玲奈がすっかり味の虜になり、以降事ある毎に玲奈から『WINDY』に連れて行けとせがまれる様になっていた。

 先の信号機が、黄色から赤に変わった。叶は溜息ためいき混じりに速度をゆるめ、停止線の前でブレーキをかけた。その刹那せつな、後ろから激しい衝撃に襲われた。

「うぉわっ!」

「きゃあぁっ!」

 ふたりの悲鳴が同時に車内に木霊こだました。叶は上体を大きく前方につんのめらせ、玲奈はシートから転げ落ちた。

「何だ、っ痛!」

 後ろを振り返ろうとした叶の首に激痛が走った。反射的に首に手を当てがいつつゆっくり顔を後ろに向けると、リアガラスに数本の亀裂が入り、その外にわずかに白煙が上がっているのが見えた。その手前で、玲奈が身体を起こしながら悪態あくたいいた。

「もぉ何なのよ急にぃ~! あぁ痛かった」

「大丈夫か?」

 おざなりに玲奈の安否を確認して、叶はシートベルトを外して車外へ出た。車の後ろへ回り込むと、車体側面に『(株)タニモト』と書かれた軽自動車がバンデン・プラの後部に鼻面はなづらを突っ込んでいた。車体前面は潰れ、フロントガラスは粉々に砕けていた。

 首の痛みに顔をしかめながら叶が運転席をのぞき込むと、運転者が力無くシートにもたれているのが見えた。顔面と衣服はおびただしい量の鮮血に染まっていた。

「うわ、何これひどっ」

 後から来た玲奈が、惨状さんじょうを目の当たりにして引いている所に、叶が首をさすりながら言った。

「玲奈、救急車」


《続く》

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