おとうと #19

 それきり叶は西条を一切気にせずにバンデン・プラに戻り、エンジンをかけた。その後ろで、西条が口の端からひと筋の血を流しながら天をあおいで溜息じりに呟いた。

つえぇ~」


 叶が『WINDY』を尋ねた頃には、既にランチタイムも終わって店内はすっかり落ち着いていた。

 出迎えたウェイトレスにコーヒーを注文すると、叶はカウンターの奥の席に陣取り、洗い物をしている風間に目礼した。風間も黙って頷く。

 数分後に、風間が自らコーヒーを淹れたカップを持ってキッチン越しに叶と向かい合った。

「はい、お待ちどお様」

「ありがとうございます」

 叶はコーヒーカップを受け取り、ひと口飲んで満足げに微笑した。その様子を見届けた風間が、一度周囲を見回してから前方に首を突き出して訊いた。

「所で、さっきはどうしたんだ?」

「え? ああ、ハイエナが待ち伏せしてたもんで」

 叶が答えると、風間は眉を上げて頷いた。

「ああ、西条とか言う奴か。そいつ、なかなか面白い奴だぞ」

「調べてもらえたんですか? 別についでで良かったのに」

 申し訳なさそうに言う叶に、風間はかぶりを振りながら言った。

「いやいや、寧ろそいつの方が簡単だったよ。西条誠、高校じゃサッカーで鳴らしたみたいだが、大学からはスポーツは全然やってない」

「辞めたんですか? サッカー」

「らしいな。で、大学二年の時に喧嘩けんかで捕まってる。ギリギリ未成年だったから送検そうけんはされなかった様だが。それで、四年を二回やって出版社に就職してる。そこではスポーツ関係の記者やってたそうだが、ここでまた問題を起こした」

「問題?」

 叶が訊き返すと、風間は頷いて続けた。

「当時ドーピング疑惑があった陸上競技の選手が住んでたりょうに夜中に侵入しんにゅうして、に警備員に見つかって殴っちまった。後に逮捕たいほされて出版社はそくクビだ」

「なるほど……」

 叶は納得顔でコーヒーを飲んだ。特ダネ命といきがってはいたが、今の西条にとっては特ダネを取れるかが正に死活問題なのだ。それに、あの腰の入った蹴り上げの威力も、サッカー経験者ならうなずける。

 残りのコーヒーを飲み干した叶が、思い出した様に顔を上げて風間に尋ねた。

「それで、肝心の藤堂は?」

 風間は「ちょっと待て」と告げて一旦奥に引っ込み、グラスに水を注いで戻って来た。早速ひと口飲んでのどうるおすと、軽く咳払せきばらいを入れてから話し始めた。

「お前さんの言う藤堂ってのは、恐らく藤堂秀信とうどうひでのぶの事だな」

「藤堂秀信……何者です?」

「藤堂は、深町体育大学で柔道部に所属していて、全日本選手権にも出場経験がある。卒業後は警視庁に採用されて、機動隊を皮切りにほぼ警備畑けいびばたけ一本、だが三十二歳の時に重要人物警護、つまりSPをやっていて功績が認められたらしく、推薦組すいせんぐみとして警察庁に転属になってる」

「推薦組?」

 叶の問いに、風間はまた水を飲んでから答えた。

「今はもう無くなった制度だが、かつてはノンキャリアの警察官でも何らかの功績を挙げたりすれば、上の推薦を受けてキャリア、つまりは国家公務員こっかこうむいんになれたんだ。藤堂もそのひとりなのさ」

「フン、本当に功績なんですかね?」

 叶が吐き捨てる様に言うが、風間はえてスルーして話を続けた。

「晴れてキャリアになれたものの、昇進すればするほど座れる席が少なくなるのが官僚かんりょうの世界だから、推薦組の藤堂は出世レースじゃ圧倒的に不利だったんだろうな。四十五歳で警察庁の外郭団体がいかくだんたいに出向、五十一歳で退官した後は、『福水警備保障ふくみずけいびほしょう』という警備コンサルタントの顧問をやってる」

「それって、天下りって奴ですか?」

 叶の皮肉を込めた問いに、風間は首をひねった。

「さぁな、ハッキリとは判らん。尤も、元上司の口利きが無ければそこまでスムーズに再就職はできんだろうがな」

 苦虫にがむしつぶした様な顔で頷く叶が、ふと気づいて風間に尋ねた。

「確か、藤堂は深町体育大学出身って言いましたよね?」

「え? あ、ああ、それがどうした?」

 訊き返す風間に曖昧あいまいに応えると、叶はカウンターに一万円札を一枚置いて頭を下げた。

「風さん、助かりました」

「お、おう」

 風間が戸惑いつつも素早く札を掴んだと同時に、叶はスツールから腰を上げた。


《続く》


 

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