おとうと #18

「藤堂の事ですか?」

 訊き返した叶が、何気なくバックミラーに目を転じると、彼方に見覚えのあるオープンカーの一部が見えた。胸騒むなさわぎを覚えた叶は、話を続けようとする風間を遮って早口で告げた。

「あ、すみません風さん、後で店にうかがいます!」

 返事を聞かずに電話を切り、スマートフォンを上着のポケットにねじ込んで運転席を出た。

 小走りにバンデン・プラの後方へ向かうと、果たしてそこにはオープンカーの運転席の背もたれを倒して煙草をふかす、サングラス姿の西条が居た。

「あれ、見つかっちゃった!? やっぱ己くらいになると消したくても消せない存在感ってのがにじみ出ちゃうんだな、それにしても雨が上がって良かったな、探偵さん」

「ふざけるな、オレの依頼人に手を出すなと言った筈だぞ!?」

 叶が睨みつけるが、西条はどこ吹く風とばかりに上半身を起こしてサングラスを外した。

「美緒ちゃんにはもう用はねぇよ、己が用があんのはバニー服部、つまりさっきあんたが連れて来たデッカい兄ちゃんだ。本当はあんたが居なくなった所で突撃インタビューをかますつもりだったんだけど、まさかあんたが家に御招待されるとは思わなかったもんでね」

「それで路駐ろちゅうして待ってたのか? よっぽど暇なんだなハイエナのクセに」

 立ちのぼる副流煙ふくりゅうえんを手で払いながら叶が皮肉ると、西条は運転席から飛び上がって車外に出ると煙草を横に吹き捨て、叶と正対した。

「何とでも言え、特ダネは己の存在意義だからな。目的の為には手段は選ばねぇよ」

「何?」

 叶の怒気を含んだ視線を微笑でかわすと、西条は踵を返して忍の家の方へ歩き出した。

「オイ、待て!」

 叶が呼び止めつつ西条の肩に手を掛けると、西条は振り向きざまに右フックを叶の顔面めがけて振るった。だが叶は頭を後方へ反らしてあっさりかわす。ボクシングの防御ぼうぎょ技術のひとつ、スウェーイングだ。

「このっ」

 自信を持って放った一撃を軽くかわされた西条が、ムキになって左右のパンチを立て続けに出すものの、叶の巧みなボディワークの前にかすりもしない。

「野郎!」

 完全に頭に血が上った西条が、思い切り右脚を振り上げた。叶は両腕を交差こうささせて西条の渾身こんしんの蹴りをブロックした。衝撃でしびれた腕を軽く振ってから、叶は西条を見据みすえて言った。

「次はこっちの番だ」

 言い終えたと同時に、叶の左手が一閃いっせんして西条の顔がのけ反った。面食めんくらってよろける西条の腹にワンツーパンチがめり込み、身体がくの字に折れる。返す刀で左アッパーが炸裂さくれつして、今度は身体が大きく後ろに反る。ガラ空きの顔面に、トドメの右ストレートがクリーンヒットし、西条は派手に吹っ飛んで地面に突っ伏した。

 うめき声を上げながら身体を起こそうとする西条に歩み寄り、叶は語気を強めて言った。

「いいか! もうこの件は単なる人探しの域からはみ出してるんだ、オマエみたいなハイエナの出る幕じゃねぇ!」

 何とか身を起こした西条は、傍らのブロックべいに背中を預けて息を吐き、叶を見上げて言った。

「や、やるじゃねぇか……さすが、元日本スーパーライト級二位だけあるな」

「フン、やっぱりオレの事も調査済みか」

 冷たい表情で返す叶に、西条は力無く微笑んだ。

「当然……だけど、八年かそこらブランクあるから、今は大した事ねぇと思ってたぜ……へ、へへ、甘く見ちまった」

「探偵稼業かぎょうも楽じゃないんだよ」

 吐き捨てて立ち去ろうとした叶に、西条がき込みながら問いかけた。

「なぁ! あんた、何でボクサー辞めて探偵なんかになったんだ? そんなにいいもんか、その商売?」

 叶は足を止め、肩越しに西条を振り返って答えた。

「大事なものを得る為には、別の大事なものを捨てなきゃならないんだ」


《続く》


 

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