おとうと #14

 灰色の空が広がる午前の、様々なジャンルのマニア達が集まる街の片隅にあるインターネットカフェから、ひとりの巨漢きょかんが背中を丸めながら出て来た。全身をジャージに包み、大きめのスポーツバッグを肩からげてうつむき加減で歩く姿には、覇気はきが全く感じられない。行き交う人々が容赦ようしゃなく視線を浴びせるが、気づかないのか巨漢は全く意に介さずに進む。

 その巨漢の背後から、ひとりのスーツ姿の男が近づいて肩を二度叩いた。

「服部忍君?」

 スーツの男が呼びかけた途端、巨漢の顔が強張った。

 巨漢の手が肩にかかった男の手を取った、と思った次の瞬間、男の身体がちゅうを舞い、背中から地面に落ちた。見事な一本背負いである。

いたっ!」

 完璧かんぺきな一本負けを食らったのは叶で、投げたのは叶の指摘してき通りの服部忍だった。忍は足元で悶絶もんぜつする叶に小声で「ごめんなさい」と謝ってから、その場を立ち去ろうとした。叶は歯を食いしばって背中から全身に広がる痛みに耐え、忍の後ろ姿に呼びかけた。

「待てよオイ! お、オレはオマエの姉さんに頼まれてオマエを探してる探偵だ!」

「え? 姉ちゃんが?」

 忍が足を止めて、困惑こんわくした顔で振り返った。叶は背中に手を当てがいながら身体を起こし、上目遣いに忍を見返して言った。

「ああ、姉さん、心配してるぞ」

「姉ちゃん……」

 佇んで目を泳がせる忍に、叶が歩み寄る。

「まぁ取り敢えず、話聞かせてくれよ」

 叶に促され、忍は無言で頷いた。


 ふたりは街の中心からやや離れた所にあるカフェに入った。忍は辞退するつもりだったが、叶がおごると請け合ったのでソイラテをオーダーした。叶はブレンドである。

 数分で注文した物がそろい、ふたりは店の奥の階段を上った。二階の客席は比較的空いていたので、叶は窓際にある二人掛けのテーブルを選んで忍をエスコートした。

「やっぱり、ネットカフェを渡り歩いてたな」

 椅子いすに座るなり叶が切り出す。忍は頷いてから口を開いた。

「はい、そうです。他に行く所が思いつかなくて」

「だと思ったよ」

 呟いた叶が、コーヒーをひと口飲んでからさらに訊いた。

「しかし、漫画も柔道も捨ててにわかネットカフェ難民なんみんとは、随分杜撰ずさんな逃げ方だな? そんなに嫌になったのか?」

「いや、それは……ちょっと、違うんですけど、あ、そう言えば、何で僕があそこに居るって判ったんですか?」

 忍の逆質問に少々面食らったものの、叶は大欠伸おおあくびをしてから答えた。

「そりゃあ、夕べ遅くまであっちこっちのネットカフェに聞き込みかけて、ようやくオマエの目撃情報を得られたから、あそこで張り込んでたんだよ」

 叶の差し示した窓の外には、バンデン・プラが路上駐車ろじょうちゅうしゃされていた。忍は数回頷いてから言った。

「そうですか……でも、僕はまだ家には帰れません」

「帰れないって、思い詰め過ぎじゃないか? オマエが腱鞘炎けんしょうえんだって事は、こっちは調べがついてるぜ」

「えっ?」

 驚く忍に、叶は微笑して続けた。

「ちょっと苦労したが、オマエがかかってる整形外科を見つけてな、そこで聞いたんだよ。オマエが学校で手を気にしてたって話を耳にしたし」

「は、はい……」

「柔道やる時は相手のえりやら何やらを自分の手で強く握る必要がある。片や漫画を描く方はペンを握って細かい線までしっかり描かなければならない……そんな調子で二足のわらじいてりゃ腱鞘炎にもなるだろ」

「え、ええ……」

 図星ずぼしを突かれたのか、忍の声がトーンダウンした。叶はコーヒーをもうひと口飲んで続けた。

「柔道はともかく、漫画の方は編集者に頼んで新連載の開始を遅らせてもらえばいいだろうがよ?」

「それが、ダメなんです」

「はぁ? 何でだよ」

 叶が疑問をていすると、忍は居住まいを正してから答えた。

「せっかくデビューさせてもらえるのに、こっちの都合で先延ばしにしてしまったら、連載できなくなっちゃうかも知れないし……」

 尤もらしく聞こえる忍の理由付けに、叶は苛立いらだちを覚えて問いかけた。

「それなら、何で柔道辞めないんだ? 漫画家になるのが子供の頃からの悲願だったんだろ? それともそんなに親父さんが怖いのか?」

「違います! そうじゃなくて……」

 急に気色けしきばんだ忍の複雑な表情を見て、叶がカマをかけた。

「オマエ……もしかして、親父さんに褒められたいのか?」

 忍が瞠目どうもくして、叶を見返した。


《続く》

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