おとうと #10

 翌朝、日課にっかのロードワークを終えた叶は、汗ばんだシャツを替え、いつものダークスーツに着替えて『カメリア』に下りた。

 出入口をくぐった叶に向かって、気色悪い声で歓迎かんげいの挨拶が飛んで来た。

「いらっしゃ~い」

 思わず身震みぶるいして店の奥を見た叶に、カウンターの隅に陣取った西条が、色の濃いサングラスをかけたまま笑顔で手を振った。

「ゲッ! 何だオマエ!?」

 のけ反る叶に、桃子が駆け寄った。

「ねぇともち~ん、あのハイエナさんったら、お店開ける前から来てたのよ~! まぁ、お掃除手伝ってもらっちゃったんだけど」

「ギャラは払わなくていいから」

 叶は桃子に耳打ちすると、不快感丸出しの顔で西条に歩み寄った。

「随分早起きだな、それとも徹夜明けか?」

 西条は笑顔のまま叶に席を譲ると、自分は左隣にずれた。

「こう見えても健全な生活してんだぜ! 健康優良不良少年だからな己は」

「不良中年の間違いだろ」

 叶のツッコミをスルーして、西条が質問した。

「で、仕事は進んでるかい?」

 今度は叶がスルーした。

「桃ちゃん、サンドイッチ盛り合わせ」

「は~い」

 甲高い声で返事した桃子を見て、西条が言った。

「あ、それ己も」

「かしこまりました~。今日はキチンとお代払ってくださいね~」

 営業スマイルで毒づく桃子に手を振り、西条は更に叶に訊く。

「あの女子高生とバニー服部との関係、知ってるんでしょ~?」

 叶はまたしてもスルーし、大悟が差し出した水の入ったグラスを受け取ってひと口飲んだ。隣で西条も水をもらう。ひと口でグラスの半分近くの水を腹に流し込んだ西条が、軽くゲップをして呟いた。

「服部美緒」

 途端に、叶が表情を強張らせて西条を見た。西条は叶の強い視線を横顔で受け止めて続けた。

「おいおい、こちとらトップ屋だぜ、身元確認みもとかくにんくらい朝飯前あさめしまえよ。勿論、あの子の親父さんが昔柔道やってたってのも知ってるぜ」

「そんな能力あるんなら、オレにくっつく

必要無いだろ」

「何言ってんの、フリーランスの厳しさはあんたもよく判ってんだろう? だからさ、ここは仲良くやろうぜって」

「断る」

「チェッ」

 やや険悪けんあくな空気が流れるふたりの前に、サンドイッチ盛り合わせが置かれた。

「お待たせ~」

 桃子が営業スマイルで告げると、叶は微笑と共に「ありがとう」と返し、西条は「お! これ美味うまそう!」と声を上げてサングラスを外した。直後にセットのホットコーヒーもふたり分出て来た。叶は早速コーヒーをひと口飲んで口を湿しめらせてから、サンドイッチに手を伸ばした。一方の西条は、右手の人差し指を立ててサンドイッチの上を彷徨わせながら、叶の方を見ずに言った。

「美緒ちゃんには二歳下の弟がいるんだってねぇ~、たださぁ、その弟って柔道やってるらしいんだよなぁ、あのバニー服部の絵柄とは全然つながらねぇんだよなぁ、まぁ、人は見かけによらないって言うしなぁ~」

「ちょっと黙ってろ」

 たまらず叶が横目で西条を睨みつけて注意した。だが西条は一向に怯まない。

「その弟、最近学校に来てないとか……気になるなぁ~」

「いい加減にしろ! メシがまずくなるだろうが!」

 激昂げっこうした叶の一喝いっかつが、店内を稲妻いなづまの様につらぬいた。幸いに他の客は来ていなかったが、桃子は思わずカウンターの中で肩をすくませた。

 今度ばかりはさすがの西条も気圧けおされたのか、ばつが悪そうに頬をふくらませてそっぽを向いた。

 それから暫く、店内は叶と西条がサンドイッチを咀嚼そしゃくする音に支配された。たまらず桃子が、店内にかけているBGMのボリュームを少し上げる。

数分後、サンドイッチとコーヒーを胃に収めた叶が立ち上がり、カウンターに千円札を一枚置いて言った。

「ごちそうさん。ここに置くよ」

「あ、ありがとうともちん」

 カウンターから出て来た桃子に微笑を返すと、叶はまだサンドイッチを頬張っている西条を見下ろして冷たい口調で告げた。

「昨日も言ったが、依頼人に何かしたら承知せんからな。それにオレはオマエみたいなハイエナと組む気は無い」

 怒気どきを含んだ溜息を残して、叶は『カメリア』を後にした。西条は肩越しに叶を見送って、咀嚼の合間に呟いた。

「ヒントはもらったぜ、探偵さんよ」


《続く》


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