おとうと #9

 自分のカレーライスと、何故か西条が飲んだコーヒーの分の代金まで払う羽目におちいった叶は、しかめ面で『カメリア』を出て、階段をけ上がって事務所に戻った。

「クソ、あのハイエナ」

 上着のポケットから西条の名刺を取り出してデスクに叩きつけ、ソファに腰を下ろしてノートパソコンを開いた。改めて、『服部源治郎』で検索する。

 服部源治郎は、深町体育大学在学中ふかまちたいいくだいがくざいがくちゅうに全日本柔道選手権九十キロ級で二連覇を達成したものの、世界選手権では準優勝止まり、五輪に関しては選考対象の試合で結果を出せず、三十六歳で引退するまで無縁だった。

 大学卒業後に入社した大手警備会社を定年退職した後は、母校の柔道部で監督をするかたわら日本代表のコーチにも就いていたが、昨年体調不良の為にいずれも退任たいにん、とある。美緒の言う通り、この辺りで肝臓を悪くしたのだろう。

 次に叶は検索エンジンに、美緒と忍、それに玲奈が在籍する「升淵ますぶち高校」と入力し、スペースを空けて「柔道部」と追加した。

 升淵高校の柔道部は、全国的にはそれほどではないが、インターハイの地区予選では何度も優勝していて、ここの所は二年連続で個人、団体共に出場を果たしている。その立役者になっているのが、どうやら藤堂義勝とうどうよしかつという部員の様だ。

 藤堂は二年続けて個人戦七十キロ級と団体戦の両方にエントリーし、いずれも優勝している。インターハイ本戦では個人戦三回戦、団体戦準決勝敗退はいたいが今の所の最高成績だが、それ以前の最高成績が団体戦三回戦敗退だという事を考えると、藤堂の加入が成績を押し上げたのは事実だろう。恐らく、入りたての忍に投げ飛ばされた主将とは、この藤堂で間違い無さそうだ。

 叶はノートパソコンを閉じると、スマートフォンを取り出して玲奈にメールを送ろうとしたが、少し考えて止めた。画面の右上の時計表示を見ると、もう十九時近かった。

「……行くか」

 ひとりごちた叶は、ソファから腰を上げてノートパソコンをデスクの引き出しにしまい、デスクの後ろに立てたパーテーションの向こう側にある自分の居住スペースに入った。


 十九時三十分過ぎに、叶が『熊谷ボクシングジム』に姿を現した。

「オーッス」

 挨拶あいしつしながら中を見回すが、玲奈はまだ来ていない様だった。だが念の為、叶はすみで鏡に向かってシャドーボクシングをしているプロボクサーの片岡護かたおかまもるに歩み寄り、鏡越しに問いかけた。

「オイ護、玲奈来てるか?」

「え? あ、いやまだ来てないんじゃないスか?」

 軽い口調で答える片岡に無言で頷くと、叶は事務所でテレビを観ながら饅頭まんじゅう頬張ほおばっている熊谷保くまがいたもつ会長に挨拶して更衣室に入った。

 五分ほどでジャージに着替えて更衣室を出た叶が出入口を見ると、丁度良く玲奈が入って来た。

「チーッス」

「あ、玲奈ちゃん! オイッス!」

 満面まんめんみで挨拶する片岡に愛想あいそを振る玲奈を、叶が手招てまねきして呼んだ。

「玲奈! ちょっと」

「あ~? なぁにアニキィ」

 大きめのスポーツバッグを重そうにかつぎながら近づく玲奈に、叶は小声で言った。

「悪いが、オマエに頼みがある」

 玲奈はアルバイト終わりの疲れた表情をやや引き締めて訊き返した。

「何? 今日の依頼の事?」

「ああ。服部忍と、それから今の柔道部の主将の事、ちょっと調べてくれないか?」

「えぇ~? メンドクサいな……あ、ギャラくれる?」

「ギャラぁ? しっかりしてるな……考えとくよ」

「OK、判った。何とかしてみる」

「頼む」

 叶は軽く頭を下げ、玲奈から離れて身体をほぐし始めた。玲奈は事務所の熊谷に挨拶してから、女子更衣室に消えた。


《続く》

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