おとうと #4

「と言うと?」

 眉間みけんしわを寄せて叶が訊くと、美緒が軽く頷いてから口を開いた。

「忍は、本当は柔道はやりたくなかったんです。けど、父の言いつけと言うか、命令で、仕方なく」

「そうなんだ、でもお父さんはどうして弟さんに命令なんてしたの?」

 叶の質問に、美緒は言いよどんで目を泳がせた。叶が先を急かさずに待っていると、やがてあきらめた様に言った。

「……私の、せいなんです」

「え? どういう事?」

「私は、生まれつき心臓が悪くて……単心室たんしんしつって言うんですけど、難病なんびょうにも指定されていて、完治は、しないんです」

 叶は、しばし言葉を失った。先ほどの桃子の訪問ほうもんに対しての反応から、何かしら身体に問題を抱えているであろうとは予想していたが、聞かされた事情は叶の貧困ひんこんな想像を遥かに凌駕りょうがした。

「一応、手術はしたんですけど、やっぱり運動とかには制限がかかってしまって、ましてや柔道なんてとんでもないっていう状態で」

 美緒の説明に頷きつつ、叶はスマートフォンに「単心室」とメモする。その対面で、憂鬱ゆううつそうに顔をくもらせて、美緒が話を続ける。

「私の病気の事を知った時は、父も母も落胆らくたんしたそうです。特に父は、子供ができたら絶対に柔道をやらせて、自分が果たせなかったオリンピック出場の夢を代わりに叶えさせようと意気込んでいたそうですから」

「よくある話だな」

 若干の皮肉を込めた叶の相鎚あいづちに、美緒は苦笑を見せる。

「なので、二年後に忍が生まれた時は、父はもう本当に喜んだそうで、あんなに嬉しそうな父は見た事が無かったって、母も言ってました」

 顔をほころばせた美緒が、一旦言葉を切ってミルクティーを口に運んだ。合わせる様に叶もコーヒーを啜る。小さく息を吐いてカップを置いた美緒の表情が、再び曇った。

「でも、当の忍は凄く大人しい性格で、柔道に全く興味を示さなかったんです。それを、父が無理矢理道場に連れて行ってやらせたんです。忍は最初、物凄く泣いて嫌がっていました。でも父は許してくれなくて」

「親のエゴってのは、子供には迷惑だからな」

 今度の叶の相鎚はスルーされた。

「ただ、暫くやらされている内に、隠れていた才能が開花した、と言いますか、血は争えないと言いますか、ともかく上手くなり始めたんです。私もたまに道場で稽古けいこを見学していたんですが、それはもう、見ててうらやましくなるくらい」

 話している美緒の顔に、わずかに嫉妬しっとの色がうかがえた。自分がやりたくてもやれない事を、好まないにも関わらず上手にこなす弟に、複雑な心情があるのだろう。

「でもそれなら、お父さんとの関係はむしろ良くなったんじゃないの?」

 叶のもっともな切り返しに、美緒が絞り出す様に応えた。

「それが……そうは行かなかったんです」


《続く》


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