匿う男 #18

 数日後、熊谷ジムに行った叶は、おのが目を疑った。

「な……に?」

 リングの上で、パステルカラーのジャージに身を包んだ玲奈が、両拳に真っ赤なパンチンググローブを嵌めて、気色悪きしょくわるい笑顔でミットを構える熊谷の声に合わせてリズミカルにパンチを打っていた。せんだって玲奈にボディブローを貰って悶絶した片岡も、エプロンサイドで玲奈に声援を送っている。

 三分経過のベルが鳴ったと同時に動きを止めて、熊谷に頭を下げて礼を述べた玲奈が、呆然ぼうぜんと見つめていた叶に気づいて手を振った。

「あ、探偵さーん!」

 呼ばれて我に返った叶が、困惑した顔のままリングへ駆け上がり、挨拶する熊谷をスルーして玲奈に問いかけた。

「オマエ、何やってんだ!?」

「ウチ、決めたの。プロボクサーになるって」

 玲奈の答に更に度肝を抜かれた叶は、二の句も継げずにただ玲奈を見返すのみだった。

「いやー、この娘やっぱり筋がいいよ、逸材いつざいかも知れんなぁ。感謝するぞ友也、こんな素晴らしい娘を連れて来てくれて」

 熊谷が叶の肩を叩きながら言うと、叶は苦笑しつつ返す。

「いや、そういうつもりじゃなかったんスけどね……」

「叶さん、本当は嬉しいんじゃないスか?」

 エプロンサイドから片岡がニヤけ面で言うと、叶はむきになって言い返した。

「うるせぇな! オマエも練習しろ!」

「へいへい」

 おどけて退散たいさんする片岡を舌打ちして睨みつける叶に、玲奈が尋ねた。

「ね、これからは練習生とトレーナーって関係になる訳じゃん? だからさ、探偵さんって呼ばない方がいいよね? ねぇ何がいい?」

「あ? 好きにしろよ」

「あっそう、じゃーあ……」

 玲奈は一旦言葉を切って考え込む様な素振りを見せてから、含みのある微笑を作って告げた。

「お兄ちゃん、は?」

「やめろバカ!」

 提案を瞬時に拒否されて頬を膨らませた玲奈だったが、またすぐに何か閃いたらしく、今度は朗らかな笑顔で言った。

「判った! じゃあ、ともちん!」

 直後、熊谷と片岡が同時に吹き出し、叶ががっくりと肩を落とした。


〈『匿う男』了〉

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