匿う男 #13

 翌朝、日課のランニングの為に事務所を出て階段を駆け下り、一階に着いた叶の前に、人懐っこそうな笑みを浮かべた若い男が立ち塞がった。

「おはよう、探偵さん」

 ほがらかな口調で挨拶する男を、叶はいぶかしげな顔で頭から爪先まで見下ろした。海外ブランドのTシャツにダメージジーンズ、フード付きのフルジップパーカーという出で立ちは、繁華街でよく見かける服装だ。

「どちら様? まだ営業時間外なんだよ、依頼なら後に――」

 丁重ていちょうにお引き取り願おうとした叶の胸の前に、細身のナイフが無造作に突き出された。思わず言葉を詰まらせた叶に、男が笑顔を貼りつかせたまま言った。

「ジョギングか何か知らないけど、今日はお預け」

「……何のマネだ?」

「取り敢えず事務所に戻ってよ、詳しい事はそれから」

 楽しげに話す男に促され、叶は仕方無く引き返した。階段を上ろうとすると、男がエレベーターを指差して言った。

「ねぇ、こっちで行こうよ」

「生憎だが、オレは階段を使う事にしてる」

「だめだよ、おれさぁ、余計な体力使いたくないんだよね」

 喋りつつ、男がナイフの切っ先を叶の首筋に移す。さすがに、叶の顎が少し上がった。

「さ、乗ろっか」

 男の指示に無言で頷き、叶はエレベーターの前に行って上昇ボタンを押した。二階にあったゴンドラが下りて来て扉が開き、叶が乗り込もうとした瞬間に、また男が指示した。

「あ、両手上げといて」

 反撃のチャンスを潰された叶がゆっくり両手を肩の上まで上げると、男はナイフを叶の首筋から肩甲骨けんこうこつの間に移し、拳で軽く背中を押した。叶が先にゴンドラの中に入り、男がその脇をすり抜けて内側の壁に背中を着けた。

「ボタン押してよ。でないと上がれないよ」

 男に言われるまま、叶は操作盤そうさばんの方を向いて二階のボタンを押した。

 ゴンドラが二階に着いて扉が開くと、男がまた叶の背中を小突こづいた。叶が外に出ると、男が間を置かずに出て言った。

「ほら、中に入んなよ」

 小さく溜め息を吐いて、叶はズボンのポケットから鍵束を取り出して解錠し、扉を押し開けた。その時、妙な気配を感じて後ろを振り返ると、いつの間にかもうひとり、アーミールックの男が立っていた。瞠目した叶の腹が、突如強い衝撃を受けた。二人目の男の右前蹴りをまともに食らい、叶の身体が給湯室の扉に叩きつけられた。

「がはっ」

 無防備むぼうびな状態での一撃に、叶はうずくまってき込んでしまう。

「おい、乱暴だなぁタンク。見ろよ、むせちゃってるじゃんか」

 最初の男が笑顔で言うが、タンクと呼ばれた男は応えずに玄関をくぐり、ジャングルブーツをいた右足で叶の頭を踏みつける。

「いいから早く娘を探せよラビット」

「OK」

 ラビットと呼ばれた最初の男が、叶を踏んづけているタンクの横を通って、事務所の中に入った。

「へぇ、結構きれいじゃん」

 ラビットが室内を見回して感心していると、パーテーションの裏からボサボサ頭の玲奈が顔を出した。

「なぁにぃ~、うるさいよ探偵さん」

 玲奈を見た途端、ラビットの笑顔がはじけた。

「みーっけ!」

 叶ではない声を聞いて、違和感を覚えた玲奈が寝ぼけ眼で室内を見回し、ラビットの姿を認めた瞬間に目を大きく見開いた。

「ウソッ」

 慌てて顔を引っ込めた玲奈だったが、ここが二階で逃げ道も無い事に気づいて狼狽ろうばいしている間に、ラビットが居住スペースに侵入して来た。顔を強張らせる玲奈に、楽しげな口調で言う。

「そんなに怖がるなって。まだ殺さないからさ」

「来ないでよ!」

 玲奈が咄嗟に枕を掴んで投げるが、ラビットに易々とかわされ、あえなく捕まって右腕をねじり上げられてしまう。

「痛っ」

「まぁまぁ、もう少しで楽になるから」

 玲奈の耳元でさとす様に告げるラビットに、玄関からタンクが声をかけた。

「何やってる!? 早く娘からブツの在処ありかを聞き出せよ!」

「ブツ?」

 腕の痛みとタンクの言葉に対しての疑問で、玲奈の顔が歪む。その後ろでラビットが言い返した。

「待てよ! 面白い事思いついたからさ、その探偵を中に入れなよ」

「あぁ?! ……判ったよ」

 ラビットはタンクの返答を待たずに、玲奈の腕を極めたまま居住スペースを出てデスクの脇に出ると、同時にタンクが叶の襟首えりくびを掴んで引きずり、応接セットを蹴散らした。叶はタンクに引っ張られて締まりかかっているのどに指を引っ掛けて気道を確保しつつ、何とか抵抗を試みるが、タンクは意に介さずにラビットに訊く。

「で、どうすんだ?」


《続く》


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