匿う男 #12

 数分後、ジャージに着替えて身体をほぐす叶の前に、女子更衣室から出て来た玲奈が駆け寄った。借り物のTシャツとハーフパンツを見せびらかして、自慢げに言う。

「ジャーン! 可愛いでしょ」

「服はな」

「何それ? ムカつく」

 不満げな玲奈に、熊谷が笑顔で近づいた。

「おぉ、よく似合ってるな。よし、じゃあウォーミングアップしようか」

「はぁい」

 呑気のんきに返事して、玲奈は熊谷について行った。叶はその後ろ姿を見送ってから、玲奈から受けた手痛い一撃からようやく回復した片岡を呼び、パンチングミットを持ってリングに上がった。


「あぁ~サッパリしたぁ!」

 濡れた髪にバスタオルを巻きつけた玲奈が、バンデン・プラの助手席で大きく伸びをした。

「サッパリし過ぎだ、三十分もシャワー占領せんりょうしやがって。おかげで帰りが遅くなっちまったぞ」

 運転席の叶が言うと、玲奈が顔を突き出して言い返す。

「いーじゃん、二日ぶりだったんだから。それに、ボクシング超楽しくて、久々にたーっくさん汗かいちゃったんだもん」

「楽しかったぁ? 本当かよ?」

「本当だって! 会長さんの教え方がすっごく上手くて、ミットにパンチした時なんてもぉスカッとした!」

 初めてのボクシング体験を思い出して興奮したのか、玲奈が両拳を振り回し始めた。

「オイオイ危ねぇな! 撃滅げきめつのセカンドブリットは勘弁かんべんだぞ!」

 叶が注意しても、玲奈のシャドーボクシングは止まらない。呆れつつも、叶は微笑を浮かべてハンドルを操作した。

 駐車場にバンデン・プラを滑り込ませてひと息吐いた叶が、隣の静けさに気づいて顔を向けると、玲奈がいつの間にか首を傾げて穏やかな寝息を立てていた。

「……しょうがねぇな」

 溜め息混じりに運転席を出た叶は、助手席側に回り込んでドアをそっと開け、玲奈を起こさない様に注意深くシートベルトを外し、玲奈の身体を抱えて外に出した。

「世話の焼ける奴だ」

 独りごちながら、叶は玲奈をおぶってドアを閉め、事務所に向かって歩き出した。途中で、玲奈の口から寝言が漏れる。

「パパ……行かないで」

 玲奈が無意識に両腕を引きつけた為、叶は呼吸を阻害そがいされて息苦しくなったが、表情は妙に嬉しそうだった。


「ビンゴだ!」

「あぁ、意外と早く見つかったな。で、どうする? もうやるか?」

「焦るなって、チャンスを待とうよ」

「……そうだな、確実に行かないとな」

「心が躍るな」


 玲奈をベッドに寝かせて、叶がソファに身体を横たえようとした時、電話が鳴った。叶は慌てて電話に飛びつき、受話器を取り上げた。

「ハイ、叶探偵事務所」

『あぁ、俺だ、風間だ』

 相手が風間だと判って、叶は表情を引き締めてアームチェアに腰を下ろした。

「あ、風さん、どうも。何か判りましたか?」

『あぁ。仁藤という男、出版社に居た頃に名誉毀損めいよきそんで訴えられてるな』

告訴こくそ、ですか?」

 ジャーナリズムとプライバシーが相容あいいれない事は叶も承知しているつもりだが、告訴の事実には驚きを隠せなかった。

もっとも、その裁判は仁藤と一緒に訴えられた出版社側が示談に持ち込んで収めたらしいんだが、その時に出版社側が仁藤の解雇かいこを提案して、原告もそれを受け入れたそうだ』

「それで仁藤はフリーに……」

『だがその後がどうも良くないみたいでな』

「何です?」

『仁藤は解雇されただけでなく、賠償金ばいしょうきんまで背負わされて、そのせいか判らんがパパラッチみたいな事をしていた様なんだが、その中でいくつか恐喝きょうかつを働いてたって噂だ』

「恐喝……なるほど」

 叶の頭に、昼間の松木の言葉がよぎった。

「という事は、仁藤は他人を強請ゆすれるネタをまだ持ってた可能性もありますね」

『さぁな。とにかく、俺が調べられたのはこのくらいだ』

「お手数かけました、ありがとうございました」

 叶が礼を述べると、風間が声の調子を上げて言い返した。

『今度は仕事抜きで来いよ』

「……ハイ」

 叶は苦笑しつつ受話器を置いた。アームチェアから立ち上がり、そっとパーテーションの裏を覗く。

 ベッドの上に、頭にバスタオルを巻いたままの玲奈が、毛布にくるまって眠っていた。

 父親が生前に何らかの犯罪行為を行っていた事を知ったら、この娘はどう思うのだろうか?

 平和そうな顔で寝息を立てる玲奈を、叶は曇った表情で見つめた。


《続く》

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