匿う男 #11

 夜になり、叶は玲奈をともなって熊谷ジムに行った。叶自身は、一応探偵としての仕事中なので行くつもりは無かったのだが、玲奈がどうしてもシャワーを浴びたいとゴネた為、連れて行かざるを得なかった。

「オーッス」

 いつもの様にスポーツバッグを提げた叶が玄関をくぐると、練習生達が挨拶あいさつを返して来るが、後から入って来た玲奈を見た途端、皆一様に息を飲んだ。

「ん? 何だ?」

 突然ジム内の雰囲気が変わった事に戸惑った叶が周囲を見回すと、奥で指導していた熊谷保会長が目を真ん丸に見開いて駆け寄った。

「お、お、おい友也!? そ、そのは、ま、まさか?」

「え? あ、あぁ、残念ながらコイツは麻美じゃないッスよ。似てますけど」

 熊谷の動揺を見て、雰囲気が変わった理由を察した叶が苦笑しつつ返すと、熊谷は安堵あんどとも落胆らくたんともつかぬ表情で溜息を吐き、練習生達も緊張を解いた。

「……またかよ」

 またしても麻美に間違われて、玲奈は心底うんざりした顔で呟いた。叶が肩越しに振り返って言う。

「悪いな。ジムにも麻美の写真貼らせてもらってるんだ」

「あっそ。んな事いいから早くシャワー浴びさせてよ」

「判った。ちょっと待ってろ」

 頭をく玲奈に告げると、叶は改めて熊谷に向き直った。

「あの、タモさん、実はちょっと頼みがあって」

「何だ?」

 叶は熊谷と玄関脇の事務室に入り、今までの経緯いきさつを話し始めた。

 一方の玲奈は、買ったばかりの下着を入れた袋を抱えたまま所在なげに佇んでいた。そこへ、ジム所属のプロボクサー、片岡護かたおかまもるが近づいて、玲奈に話しかけた。

「初めまして。君、叶さんの親戚か何か?」

「は? 違ぇし」

 玲奈のにべもない対応にもめげず、片岡は更に訊く。

「可愛いね、年いくつ?」

「いいだろいくつでも」

「つれないな、彼氏居るの? まさか叶さんの事――」

「うるっせぇな!」

 言うが早いか、玲奈は右手を袋から離して片岡の腹に思い切りぶつけた。

「おごぇっ」

 情けない声を出して、片岡が膝から崩れ落ちた。玲奈の拳が鳩尾みぞおちにクリーンヒットしたのだ。ジム内の全員の視線が醜態しゅうたいさらす片岡に集中する。叶と熊谷も慌てて事務室から飛び出す。

「おい片岡! どうした?!」

 熊谷が屈み込んで訊くと、片岡が涙目で熊谷を見上げ、力無い声で訴えた。

「か、会長……この娘、凄ぇボディブロー打ちます……よ」

「はぁ? お前この娘にやられたのか? それでもプロかよ!?」

 熊谷が呆れる傍らで、叶が玲奈に詰め寄る。

「何やってんだオマエはぁ!?」

「だって、ナンパして来てウザいんだもん」

 玲奈の答に、叶も呆れ顔で片岡を見下ろす。

「護、衝撃のファーストブリット食らっちまった様だな。ま、もっとボディきたえろって事だ」

「か、叶さん……マジに、見えなかったッスよぉ……」

 うなだれる片岡を置いて、熊谷が玲奈に尋ねた。

「君、ちょっとやってみる?」

「え?」

「え?」

 異口同音いくどうおんに驚く叶と玲奈をよそに、熊谷が女性の練習生達に声をかけた。

「誰か、ジャージか何か余ってないか?」

「タモさん――」

 叶が制止しようとした所へ、玲奈が割り込んだ。

「面白そう、やる!」

「オイ、ちょっと油断してた奴に一発当てたくらいで調子に乗るなよ」

「いいじゃん、終わるまで眺めてるだけなんてつまんねぇし」

 叶を振り返って抗弁してから、玲奈は熊谷の案内で女性の練習生と共に女子更衣室に消えた。

「……まぁいいか」

 独りごちると、叶も男子更衣室に入った。


《続く》



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