匿う男 #3

 翌朝、日課のランニングを終えて事務所の玄関扉を開けた叶の目に、非常に不満そうな玲奈の顔が飛び込んだ。判っているとは言え、麻美そっくりの顔が突然現れると、戸惑いは隠せない。

「うぉっ! な、何だよ?!」

 困惑こんわくをごまかす様に尖った口調で訊く叶に、玲奈は唇を突き出して返した。

「シャワー浴びたい」

「ねぇよ」

 叶がにべもなく返した途端、玲奈が機関銃きかんじゅうごとく罵声を浴びせた。

「はぁ? ありえないし、アンタここで生活してんでしょ? シャワーも無くて平気な訳? それ人間としてどうよ? ねぇ!」

 叶は首に巻いたタオルで額の汗を拭ってから、苛立ちを露わにして言い返す。

「うるせぇな! オレは副業ふくぎょうでボクシングジムのトレーナーやってて、シャワーはジムで浴びてるから問題ねぇの!」

「副業? 何それ意味判んない、じゃ家帰る」

 き捨てて事務所を出ようとした玲奈の腕を、叶がつかんだ。

「ダメだ」

「何でよ?」

「オマエねらわれてんだろ? それにもう警察が入ってるかも知れねぇぞ」

「そんなの判んないじゃん」

「とにかく今はダメだ」

「何よケチ」

 頬をふくらませて室内に戻り、ソファに荒々しく座る玲奈を尻目に、叶は居住スペースに入ってジャージからスーツに着替え、戻って玲奈に告げた。

「メシ食い行くぞ」

「え、何処どこに?」

 玲奈の問いに、叶は右手の人差し指を立てて下に向けてから玄関扉を開けた。玲奈が慌てて後を追う。

「あ、ちょっと待ってよ!」

 追いついた玲奈を先に外へ出してから扉を閉めて施錠し、叶はエレベーターのボタンに手を伸ばしかけた玲奈の腕を引いた。面食らった玲奈が足をもつれさせたが、叶に支えられて転倒はまぬかれた。

「危ねぇな、急に引っ張んなよ!」

「若いんだから自分の足で歩け」

 悪態に説教せっきょうで返して、叶は先に立って階段を駆け下りた。大きく舌打ちをして、玲奈が後から下りる。

 事務所の真下にある喫茶店きっさてん『カメリア』は、午前八時三十分の開店以後、数名の客が朝食をっていた。

「おはようッス」

 自動扉をくぐって叶が中に入ると、店のマスターの妻でウェイトレスの椿桃子つばきももこ満面まんめんみで出迎えた。

「おはようともちん!」

「あ、ママ、じゃなくて桃ちゃん、おはよう」

 難迷惑がためいわくなニックネームで呼ばれた叶が苦笑しながら返した後ろで、玲奈が盛大に吹き出した。

「ともちん? アンタともちんって呼ばれてんの? だっさ」

 陰から聞こえた誹謗ひぼうに、桃子が怒りをにじませた顔で反駁はんばくした。

「失礼ね! 誰そこに居るの?」

「ウチ?」

 叶の後ろから顔を出した玲奈を見て、桃子が息を飲んだ。

「――! と、と、ともちん、も、もももしかしてこの子」

 目を大きく見開いたまま、必死に言葉をしぼり出す桃子に、叶は申し訳なさそうに告げた。

「あぁ、驚かしてごめん。物凄く似てるんだけど、麻美じゃないんだ」

「え? そうなの? だってこんなにそっくりじゃなぁ~い!」

 言うが早いか、桃子は玲奈を捕まえて出入口脇へ連行し、そこに貼られた麻美の顔写真と並べて比較ひかくして見せた。その様子を見た他の客からも「似てる」「そっくり」等と感想が漏れる。玲奈は眉間みけんしわを寄せつつ桃子から離れ、桃子を指差しながら叶に訊いた。

「ねぇ何なのこのオバサン、ウザいんだけどぉ~!」

「あ、バカ」

「ちょっと! 誰がオバサンですって!?」

 玲奈の言葉に素早く反応した桃子が、顔面を紅潮こうちょうさせて玲奈にめ寄ろうとするが、叶に制止されてしまう。

「あ、も、桃ちゃん、落ち着いて。玲奈、オマエそこに座ってろ!」

 叶に指示されて、玲奈は頬を膨らませながら近くの二人掛けテーブルに取り付いた。

「ねぇともちん! 何なのよこの子!? 超ムカつくんですけど!?」

「ご、ごめん桃ちゃん、事情は後で。それより、カレーライスくれる?」

 叶の注文を聞いて、それまで鼻息を荒くしていた桃子が少し落ち着きを取り戻した。

「カレー? て事は、ともちんお仕事入ったの?」


《続く》


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