蘇る本能 #29

「たったひとりの家族にすら会えないってのはな、アンタが想像するより遥かに辛い事なんだ、アンタは史穂ちゃんをひとりぼっちにして平気なのか? だとしたらアンタは兄貴失格だ!」

 痛烈な批判を受けて、坂巻の顔がみるみる紅潮した。上目遣いに叶を睨みつけると、握り締めた拳を振り上げて、

「黙れぇぇぇぇっ!」

 と雄叫びを上げて叶に襲いかかった。その気迫に、静まり返っていた観客が再びどよめく。

 渾身の力を込めた坂巻の右ストレートが叶の顔面に伸びた、と思った刹那、紙一重の差で叶が頭を右にずらして避けた。その直後、叶の左拳が坂巻の顎を打ち抜いた。見事なクロスカウンターだった。

 首を左へじ曲げ、口から血反吐ちへどを吐き出しながら坂巻が腰からマットに崩れ落ちた。

 叶が大きく息を吐いた直後、観客席から大歓声が上がった。すると、突如叶がくぐった入場口の扉が開き、男の声が場内に響き渡った。

「違法賭博の現行犯だ、全員逮捕する!」

 声の主は松木だった。その後ろから大勢の制服警官が雪崩なだれ込んで、観客席に殺到した。突然の乱入に、観客達は一様に取り乱し、手にした札束を投げ捨てて場内を逃げ惑う。

 蜂の巣をつついた様な騒ぎの中で、叶はひとり安堵の溜息を吐いた。

「やれやれ、やっと到着か」

 オクタゴンに歩み寄った松木が、叶に対して声を張り上げた。

「おい探偵! 警察を顎で使うとはいい根性してるなぁ、え!? 傷害でパクってもいいんだぞ?!」

「そんな事より、石橋さんは?」

 負けじと叶も大声で返す。松木は叶を睨みつけて舌打ちしながら言った。

「今薩摩を逮捕しに行ってるよ! ああそれと、坂巻史穂さんは無事に救出したからな」

「さすが本庁捜一、彼女は何処に?」

「あぁ? 『鳳金融』が契約してる貸倉庫に監禁されてたよ、事務所のチンピラ締め上げたらアッサリ吐いたよ」

 右拳を掲げて松木が自慢げに言うと、叶は顔を背けて「暴力刑事デカ」と呟いた。すぐに松木が「何か言ったか?!」と凄んだが、叶は肩をすくめて受け流した。そこへ、

「叶君! 無事か?」

 と石橋の声が飛んで来た。叶と松木が同時に目を転じると、石橋が薩摩を連れて近づいて来た。薩摩の両手首は手錠で繋がれている。

「君のおかげでこいつを逮捕できたよ。ありがとう」

 石橋が礼を述べると、叶は迷惑そうにかぶりを振った。

「そんなつもりじゃねぇよ、オレはただ、史穂ちゃんと坂巻を助けたかっただけだ。今回は借りとくぜ」

「そうか……じゃあ後で」

 石橋が薩摩を連行しようとすると、薩摩が踏みとどまって叶に言った。

「叶さん、貴方の本気の試合が観られなくてとても残念です」

 叶は微笑すると、松木に扉を開けさせてオクタゴンから出て、薩摩を見据えて応えた。

「悪いな、オレは探偵なんだ」

 薩摩が不満そうな顔で叶を睨む。その視線を真っ直ぐ受け止めた叶が、

「石橋さん、ちょっと目をつぶっててくれないか?」

 と告げた。後ろから松木が「何だ?」と口を挟むと、叶は「アンタもだ」と言った。石橋は少し考えたが、無言で頷いてそっぽを向いた。仕方無く松木も目を逸らす。

 叶はふたりの視線を確認すると、薩摩をもう一度真っ直ぐ見据えてから、強烈な右ストレートを顔面に叩き込んだ。

「ぐぉっ」

 呻き声を上げて薩摩が吹っ飛ぶ。石橋は冷静に見ていたが、松木は「あっ!」と声を上げた。叶は倒れた薩摩を見下ろすと、怒気を含んだ声で言った。


《続く》

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