蘇る本能 #27

 叶が入って来た方の反対側にスポットライトが当たり、坂巻が入って来た。思い詰めた様な表情で叶を見据え、ゆっくりとオクタゴンに入った。

『赤コーナー、元プロボクシング日本スーパーライト級三位、叶-、友ー也ー

!』

 紹介を受けて、叶は軽く右手を挙げた。

『青コーナー、元柔道六十六キロ級日本代表、坂巻-、功太ぁ郎ぉー!』

 坂巻は観客席に向かって軽く頭を下げ、再び叶に正対した。総合格闘技の選手時代に着用していたショートタイツに身を包んだその肉体の所々に、生々しい痣や傷跡が見えた。

 リングアナウンサーがオクタゴンから出た直後に、試合開始のゴングが鳴った。ガードを上げながらオクタゴンの中央へ進んだ叶の顔面に、坂巻の左拳が飛んで来た。頭を右にずらしてかわすと、すぐさま右拳が追撃した。これも頭を下へ半円を描く様に動かして避けて、叶は素早く左へ回った。

 坂巻は体勢を立て直すと、低く構えて両手を少し前に出した。両足へのタックルを警戒して、叶も身体をやや前傾ぜんけいさせる。

 数秒睨み合った後、坂巻が勢いよく踏み込んでタックルを仕掛けた。すかさず叶が左ジャブを合わせる。拳頭がひたいにヒットし、坂巻が頭をのけ反らせて足を止める。その隙に、叶は再び左に回って距離を取る。そのまま、少しガードを下げて坂巻の周囲をサークリングし始めた。時折坂巻が間合いを詰めようとすると、鋭いジャブで牽制けんせいする。

 二分以上そんな状態が続き、れた観客が口々に野次やブーイングを飛ばし始めた。

「いつまでグルグル回ってんだ!?」

「真面目にやれ! 金かかってんだぞ!」

 叶はこの手の野次は現役時代に散々聴かされたので何処吹く風だった。だが対峙する坂巻は、観客以上に焦れていた。叶を険しい表情で睨みつけると、強引な右オーバーハンドを振り下ろしながら飛び込んで来た。余りに大振りなので、叶は余裕を持って左へ身をかわした。すると、遅れて振り上げられた坂巻の右脚が、叶の腹に吸い込まれた。

「ぐほっ」

 意表を突かれた叶は右ミドルキックをまともに食らい、身体をくの字に折る。直後に坂巻が叶の首を取りに来た。膝蹴りが来ると直感した叶は、頭を押し下げようとする圧力に逆らって上体を伸ばしながら、空いた坂巻の脇腹に左ボディブローをめり込ませた。

「うっ」

 今度は坂巻が身体を折ってうめく。その隙を逃さず、叶は右腕を畳んで坂巻の下顎をアッパーカットで突き上げた。坂巻の頭が跳ね上がり、両手のロックもゆるむ。すかさず叶が両手で坂巻の身体を押し離し、再び距離を開けた。

「危ねぇ」

 まだボクシングの一ラウンドほどの時間しか経過していないのに、叶の息は上がり、全身は汗まみれだった。対する坂巻はやや息を荒くしているが、汗は殆どかいていない。

 数秒後、またも坂巻が大きく踏み込む。タックルを警戒して左ジャブを伸ばす叶だったが、拳は空を切り、直後に左脚に衝撃が走った。

「うぉっ」

 坂巻はスライディングして、右脚で蹴りを放ったのだった。予想の範疇を超えた攻撃に、叶は大きくバランスを崩してマットに左手を着いてしまう。だが坂巻はマットに仰向けになったまま、追撃の素振りを見せない。体勢を立て直した叶が、坂巻を見下ろして言った。

「何だそれ? アントニオ猪木か?」

 坂巻は怒気を含んだ目で叶を見上げて返した。

「お前こそ、真面目にやる気あるのか!? 元ボクサーだか何だか知らんが、モハメド・アリにもなれてないぞ!」

 苛立ち混じりに繰り出された坂巻の蹴りをかわすと、叶は両腕を下げて身体を前傾させながら言った。


《続く》

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