蘇る本能 #19

「判りました。その条件、飲みましょう」

 色よい返事に、叶は少し口角を吊り上げた。

「OK、じゃあ契約書でも書こうか? あ、いや、借用証、の間違いかな?」

 挑発する様に尋ねる叶に対して、薩摩は柔和な笑みを浮かべて答えた。

「いやいや、今回は私の要望で組むスペシャルマッチですから、特に書面等はいいでしょう。試合の日取りが決まったら、こちらから御連絡を差し上げます」

 叶は二、三度頷くと、湯呑みの中身を勢いよく飲み干して立ち上がった。すかさず薩摩が室外へ声を飛ばした。

「お客様がお帰りだ、お送りしろ!」

 即座に扉が開き、運転手が姿を見せて会釈した。叶は薩摩を一瞥してから社長室を出た。


 運転手の付き添いを断り、ひとりで『鳳金融』を出た叶は、階段で一階へ下りた。外でタクシーを拾おうと車道へ首を伸ばすが、生憎あいにく『空車』のタクシーが通らない。仕方無く、電車に乗る為に駅のある方向へ足を向けた。

 五、六分歩いていて、叶はふと背後に違和感を覚えた。振り返ろうか迷っている所へ、

「叶君」

 と男の声で呼びかけられた。聞き覚えのある声に、叶は眉間に深い皺を作って振り返った。そこには、地味なスーツに身を固めたふたりの男が居た。

 ひとりは髪を緩い七三分けにしていて、穏やかな表情で叶を見据えている。もうひとりは髪に強めのパーマを当て、濃い口髭をたくわえていた。表情はやや硬い。どちらもジャケットの左襟に丸形の赤いバッジを付けている。

 叶は険しい表情で、七三分けの方へ歩み寄って言った。

「久しぶりだな、無能のデカさんよ」

 叶よりも頭半分ほど身長の高い七三分けが返事に窮していると、口髭が横槍を入れた。

「何だその口の聞き方はぁ!?」

「いいんだ、松木君」

 七三分けは松木と呼んだ口髭を制すると、叶に向き直って言った。

「お久しぶりです、こんな所でお会いするとは」

「オレも意外だよ、てっきりアンタはオレに顔向けできないと思ってたからな。ああそうだ、言い忘れてたよ、捜査一課への栄転おめでとう、石橋巡査部長」

 石橋と呼んだ男の顔と左襟に輝く『S1S』と金色の文字で記された赤いバッジを交互に見ながら叶が告げると、またしても松木が割り込んだ。

「何だおまえ警察めてんのか!?」

「松木君、落ち着いて」

 叶につかみかかる勢いの松木を抑えつつ、石橋が返した。

「叶君、あの時は本当にすまなかった。いくらびても許してもらえないだろうが」

「当たり前だ、許してもらいたいなら麻美を見つけてみせろ」

「あさみぃ? 何だそりゃ、おまえのコレか?」

 松木が右手の小指を立てながら口を挟むと、叶は松木を睨みつけて声を荒らげた。

「オマエには関係ねぇ引っ込んでろ!」

「何だとこの――」

 激昂げっこうした松木が叶の胸倉を掴もうと手を伸ばすが、すかさず石橋が止めた。

「叶君、訊きたい事があるんだ、ちょっと付き合ってくれないか?」

 石橋が穏やかに言うと、叶は怪訝そうな顔でふたりの刑事を見返した。松木は未だ興奮冷めやらぬ様子で叶を睨めつけている。

「断ったらそっちの刑事さんに公務執行妨害こうむしっこうぼうがいで引っ張られそうだな」

 からかう様な調子で言うと、叶は周囲を見回した。十数メートル先にカフェの看板を見つけ、ふたりにあごで促してから先に立って歩き出した。


《続く》

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