蘇る本能 #11

 アンドラーデはマットに膝を着いたものの右手は放さず、更に左手も用いて佐伯の左脚を引きつけた。右脚一本で立つ格好になった佐伯は咄嗟に金網を掴もうとするが、指が掛かる前にマットに倒されてしまった。すかさずアンドラーデが脚を放して佐伯の上半身にのしかかる。佐伯は両脚をアンドラーデの胴に巻きつけると、右肘を外から真横に振り抜いた。肘の先端がアンドラーデの左目辺りに直撃し、まぶたの上が大きく切れた。またたく間に鮮血が飛び散り、顔の左半分を朱に染めた。

「きゃっ!」

 突如、叶の背後で悲鳴が発せられた。振り返ると、史穂がマグカップを手に蒼白な顔で立っていた。叶は慌てて立ち上がり、史穂の視線をモニターから遮断する様に向かい合った。

「えっと、どうしたの?」

「あ、あの、これ」

 史穂が震える手で差し出したマグカップの中には、ブラックのコーヒーが入っていた。

「あ、ありがとう」

 叶が微笑みつつマグカップを受け取ると、史穂は小さく頭を下げて足早に部屋を出て行った。溜息を吐いて叶がモニターの前に座ると、既にアンドラーデが佐伯に馬乗りになって左右の拳を振っていた。佐伯の顔や身体に返り血が付いて、凄惨せいさんな様相をていしている。

 佐伯はアンドラーデのパンチを両腕でガードしながら時折パンチを返すが、下から上への打撃には威力も乗らず、簡単にかわされてしまう。更に佐伯は脚を振り上げて背中を蹴ろうと試みるが、アンドラーデが前傾姿勢ぜんけいしせいを取っている為に上手く当てられない。

 アンドラーデが、マットに着けた両膝を徐々に前進させて佐伯の脇にこじ入れた。佐伯は何とか相手の体勢を崩そうと腰を跳ね上げるが、かえってアンドラーデの前進を早めてしまう。

「まずいな……」

 叶が独りごちた直後、佐伯が苦し紛れに振った右腕をアンドラーデが掴み、その腕を中心に身体を左へ回転させた。左脚を佐伯の首に押し込み、両足首を組み合わせて股を締め、勢いよく後方に倒れ込んで腕ひしぎ十字固めの体勢に入った。だが佐伯もアンドラーデの動きに合わせて素早く身体を起こして腕が極まるのを防ぐ。アンドラーデは両脚を突っ張り、佐伯は取られた右腕を伸ばされない様に堪える。

 十秒以上せめぎ合いが続いた所で、佐伯が意外な行動に出た。首にかかった相手の左脚に手をかけて押し上げると、目の前のふくらはぎに思い切り噛みついた。

「なっ!?」

 叶の声にアンドラーデの絶叫が被る。佐伯の歯とアンドラーデのズボンの間に、真っ赤な染みが生まれた。その数秒後、今度は佐伯がふくらはぎから口を放して絶叫した。アンドラーデが、佐伯の右手小指を根元から手の甲へ折り曲げていた。それでも佐伯が耐えると、アンドラーデは薬指も同様にへし折った。さすがに、指を二本も折られては佐伯もこらえ切れずに腕から力を抜いてしまった。その機を逃さずにアンドラーデが身体を弓なりに反らせた。佐伯の肘が不自然な方向に曲がり、佐伯が一段高い悲鳴を上げた。

 勝負ありと思ったのか、アンドラーデが全身の力を抜いた。観ていた叶も、つられて息を抜いた。その刹那、佐伯が急に身体を起こしてアンドラーデに覆い被さり、脚の間を割って左拳を顔面に振り下ろした。


《続く》

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