蘇る本能 #8

 坂下高校が近づくと、帰路にく生徒達が歩道に増え、見えて来た校庭では様々な運動部が活動している。校門に差し掛かると、断続的に吐き出される生徒達の流れに抗うかの様に、史穂が俯き加減で佇んでいた。その両手は、書店の紙カバーに覆われた文庫本を開いている。

 叶が校門の正面に車を停めて、史穂に声をかけようとシートベルトを外した時、ふと見たはす向かいの路地の角に例の二人組の姿を見つけた。

「な……まさか?」

 二人の視線は明らかに史穂に向けられている。叶は舌打ちしつつ身体を助手席の方へ傾け、ドアを押し開けて史穂に声をかけた。

「史穂ちゃん、乗って!」

「えっ? あ、はい」

 急に車内から呼ばれて戸惑いながらも、史穂は小走りに車に近寄った。叶は身体を戻してシートベルトを着け、史穂が座席に収まったのを確認するとすぐに車を出した。途端に二人組が慌てふためいて路地から飛び出した。叶は困惑する二人を横目にアクセルを踏み込んだ。

 陽が落ちかける頃、バンデン・プラは住宅街の中にそびえる十階建てのマンションの前に停まった。ここまで追跡されている様子は無かったが、叶は用心深く周囲を見回してから一旦史穂を下ろし、近くのコインパーキングに車を入れて戻った。すると、史穂が目を輝かせて言った。

「何か、緊張しますね」

 叶が「何で?」と訊くと、史穂は宙に視線を泳がせながら答えた。

「だって、得体の知れない人に追われてるって雰囲気で、あぁわたし今本当に探偵さんと一緒に居るんだって思ったらもうドキドキして来て」

 叶はあきれ気味に微笑しつつ「じゃ、行こうか」と史穂を促した。

 マンションの出入口で史穂がオートロックを解除して中に入り、その後に叶がロビーに足を踏み入れた。モノトーンのソファセットを横目に、奥のエレベーターホールへ進む途中、叶が頻りに周辺を見回しながら史穂に問いかけた。

「ね、階段は?」

「え? あぁ、裏に非常階段がありますけど」

 不思議そうな顔で答える史穂に、叶は笑顔で「あ、そう。ならいいんだ」と返した。小首を傾げつつ、史穂が上昇ボタンを押してエレベーターを呼ぶ。数秒後に到着したエレベーターに乗り、二人は五階に上がった。

 四、五秒で五階に到着し、『開』ボタンを押して待っている史穂に「ありがとう」と声をかけて叶がエレベーターを出ると、外は既に暗く、所々に街灯が点いていた。後から出て来た史穂に続いて通路を進み、角部屋の五〇三号室に入った。

 先に上がった史穂が、脱いだ靴を綺麗に揃えて置いてからスリッパを二足出して「どうぞ」と叶に促した。叶もそれに倣って自分の靴の踵を揃えてからスリッパを履いた。

 玄関から二メートルも進まずに、廊下を挟んで向かい合う扉の前に来た。左側の扉には『SHIHO』というアルファベットを象った木板を貼り付けたコルクボードがぶら下がっていて、ひと目で史穂の部屋だと判る。対して右側の扉には何の表示も無い。その無味乾燥な扉のノブを捻って押し開けながら、史穂が告げた。

「こちらが兄の部屋です。どうぞ」

「ありがとう」

 礼を述べると、叶は坂巻の部屋に足を踏み入れた。部屋には窓が無く、叶の背後の照明が作る影が室内へ伸びる。すぐに史穂が扉の脇のスイッチを入れて、室内を蛍光灯の光で照らした。


《続く》

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