蘇る本能 #5

「さてと……」

 叶はひと息吐くと、三和土たたきに置き去りにされていたスポーツ新聞を拾い上げて踵を返し、ソファに新聞を置いて居住スペースに入った。

 パーテーションに密着する形でシングルベッドが横たわり、その上は毛布と掛け布団、寝間着代わりのスウェットが占拠していた。ベッドの下に引き出し式の収納ボックスがふたつ在り、中には衣類が詰め込んである。

 奥の壁には大きな窓が嵌まり、白いブラインドが下がっている。右端に五段のシューズスタンドが屹立していて、一番上に丈の長いボクシングシューズ、二段目に黒の皮靴、三段目が空いていて四段目に灰色のデッキシューズが収まり、一番下にゴム製のサンダルが入っている。左端に自立式のサンドバッグが立ち、脇に大きなスポーツバッグが置いてあった。

 パーテーションの上縁に、スーツを掛けたハンガーが二本ぶら下げてある。片方は黒、もう片方は白である。

 叶は着ていたジャージを脱いでベッドに放ると、Tシャツも脱いでボクサーブリーフ一枚だけの姿になった。屈んで引き出しボックスから替えのTシャツと灰色のワイシャツを出して着込み、もうひとつの引き出しから青いネクタイを出して首に掛けて立ち上がり、黒いスラックスをハンガーから取って履き、スウェットに付いているサスペンダーを外して取り付けた。手早くネクタイを巻いてジャケットを羽織り、スニーカーから皮靴に履き替えてデスクへ向かった。

 アームチェアを引き出して腰を下ろし、天板下の平たい引き出しを開けて中からノートパソコンを出す。右側の一番上の引き出しから財布と鍵の束とスマートフォンを出してジャケットのポケットに突っ込み、ノートパソコンを脇に抱えてデスクから離れた。

 出入口に行きかけて足を止め、応接テーブルの上ですっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干し、ついでに史穂が一切口をつけなかったコーヒーを全て胃に収めた。空になった二客のカップを器用にてのひらに乗せて、叶は事務所を出た。

 開店間も無い『カメリア』に入った叶を、ウェイトレス姿の桃子が小走りで出迎えた。

「いらっしゃいともちん」

 その声のトーンの低さを叶が訝る間も与えず、桃子が叶の掌からコーヒーカップ二客をひったくり、腕をつかんで奥のカウンター席へ連行した。

「ちょ、ちょっとどうしたのママ?」

 戸惑いながらカウンター端のスツールに腰を下ろした叶に、桃子が顔を近づけて言った。

「ね、ともちん、店の外見て。変な人が居るでしょ」

 言われるまま、叶が肩越しに振り返って外を見ると、店から数メートル離れた電柱の陰に、頭から爪先まで黒で統一した服装の二人の男が立ってこちらを窺っているのが見えた。

 ひとりは長身で、ソフト帽の下の髪は短く刈り込んでいて、目つきは鋭い。もうひとりは背が低く小肥りで、長めの髪にはパーマがかかっている。丸縁のサングラスに遮られて目つきは判らないが、口髭をたくわえているのが特徴で、長身の方よりも佇まいが落ち着いている。

「あの二人?」と叶が訊くと、桃子はおびえた様な表情で頷いた。

「店を開けようとした時に気づいたんだけど、ずーっとあそこに立ってこっちを見てるの。もう何だか気味が悪くって~」

 確かに二人組には不穏なものを感じるが、桃子をこれ以上不安にさせるのも可哀想と思い、叶は笑顔で言った。

「ありゃきっとママのファンだよ。今こうやってオレと親しげに喋ってるのを見ていてんのさ」

 聞いた途端に、桃子の表情が一変した。

「なぁんだ~そっかアタシのファンか~、それならそうと堂々と言えばいいのに~、ってともちん! ママじゃなくて桃ちゃんでしょ! いい加減覚えて!」

「あ、ゴメン桃ちゃん」

 叶が訂正すると、桃子は大仰おおぎょうに頷いて、

「で、御注文は? いつものサンドイッチ盛り合わせでいいの?」

 と尋ねた。対して叶は、

「いや、カレーライス」

 と答えた。その瞬間、桃子の顔から表情が消えた。


《続く》

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