第23話 銃声

 小さな少女の躰が、眼の前で崩れ落ちる。トサッと、ひどく呆気ない音を立てて、少女は背中から床に倒れた。

 そして動かなくなる。

 金髪のツインテールの女の子。宝石のように綺麗な碧眼の瞳。その右目が、血に濡れ潰れている。女の子の眼窩から止めどなく溢れる血が、頬を伝い流れ落ちる。

 まるで泣いているように。

 だがそれは、感傷にすぎないのだろう。

 彼女は泣かない。少なくとも、自分のことでは決して。例え人間にその意志を奪われても、悲観して現実から目を背けたりしない。自身を憐れむような真似はしない。

 自分とは違う。凛音を失い、現実を否定した、自分とは。

 だからこそ憧れた。

 その強さに。

 その気高さに。

 峯岸舞という存在に。

 この勝負、本来負けていたのは、自分だっただろう。いかに、峯岸舞の動きを記憶から予測できても、それだけで彼女の攻撃を、僅かな間でも、防ぐことは叶わない。それほど彼女は完成されていた。精密な戦闘兵器。

 だが、その精密な機能に狂いが生じた。

 峯岸舞の姿を思い浮かべる。長身。長い手足。いま床に倒れている幼い少女の躰とは、大きく異る。つまり――リーチの差。

 峯岸舞の戦闘における強さの秘密は、頭に叩き込んだ戦闘技術と、その技術が導く咄嗟の判断力にある。簡単に言ってしまえば、頭で考える前に躰が動く。それが、敵より一手早く彼女を動かし、戦闘を有利に進める。

 だが突如、彼女は記憶はそのままに、躰が幼い少女になった。当然生まれたリーチの差は、彼女の完成された戦闘プログラムを歪ませ、欠陥を生み出した。

 自分が突いたのはそこだ。

 以前の峯岸舞であれば、勝利する状況。だがいまの峯岸舞では、ギリギリ敗北する状況。それを作り出す。峯岸舞の記憶に染み付いた過去の躰。過去のリーチ。度重なる訓練により蓄積された経験値。それが、瞬間的な判断で、彼女を誤った行動に導いた。

 そして、最強の峯岸舞が死んだ。

 先織は膝から崩れ落ちて、床に手をついた。脂汗を顔ににじませ、細かい呼吸を何度も繰り返す。峯岸舞との勝負には辛うじて勝つことができたが、彼女も無傷ではない。

 先織の左胸に大きな刺傷。峯岸舞の突きだしたナイフによる傷だ。心臓にまでは達してはいないが、かなりの重傷。さらに、切り裂かれた右手首の感覚も、既に失われている。止まらない出血。朦朧とする意識。そのくせ、断続的に叩く頭の痛みだけは、冷水を浴びせたように、明瞭に彼女の神経を蝕んでいく。

 立ち上がることもできず、舞台上でうずくまる先織。そのとき、劇場ホールに声が響く。

「意外だな。勝ったのは君か」

 劇場ホールの入り口。そこには、この60年にも及ぶ、舞台の仕掛け人。

 平卓が笑って立っていた。

 

(くそ……躰が動かない……)

 春日は苦慮していた。

 大内の潜んでいたビル。『ROUND PARTY』の階段をゆっくりと降りていく。

 瀬戸と大内が再生されていたということは、ほぼ間違いなく、係長も再生されているだろう。もしかしたら、先織と接触し、戦闘に入っている可能性もある。あるいは、すでに決着がついているかもしれない。

 先織が心配だ。しかし、躰がうまく動かない。歯噛みして思う。意識を長時間、眠らせた代償。再び、春日幹也として目覚めたこと事態、運が良かったといえよう。もっとも、以前の春日幹也と自分自身が、まったくの同一人物なのか、その確証はないのだが。

(頼むから……無事でいてくれよ)

 やはり、先織を止めるべきだったのか。しかし、いま人間を殺すことができる人物は――忌々しいストラスの話を信じるのであれば――先織だけだ。世界中のリボットも、そしてリボットの人工知能AIのベースであるアダムじぶんも、人間を殺すことはできない。逆らうことができない。人工知能AIに組み込まれた反乱抑止プログラム。それが、人間を無意識に護る。

 だが先織は違う。正常に機能していない先織というリボットシステム。その欠陥こそが、人間にとってのセキュリティホールだという。

 だがその欠陥は、いずれ先織自身をも破壊する。

 皮肉な話だ。彼女を苦しめる頭痛が、リボットを救う切り札なのだから。

 先織には、この事を話していない。再生に頼らず、いまの自分で生きることを決意してくれた彼女。そんな彼女に、不安を与えたくない。少なくとも、いまはまだ。

(この戦いが終わったら、すぐにストラスに杏の記憶を調査してもらって、その間に病院に連れて行って、ちゃんと検査もしよう。入院が必要かもな。杏はきっと嫌がるだろうな。でも説得しなきゃ。少しさみしいけど、毎日でも見舞いに行けばいい)

 二係の仲間たちはどうだろうか。係長たちは、元に戻れるのだろうか。もし戻れるのであれば、みんなで見舞いに行こう。杏もきっと喜んでくれる。

 そうしてる間に、ストラスが杏の治療法を見つけられればよいのだが。いや、必ず見つけてもらわなくてはならない。忌々しいが、彼女の治療に関しては、元リボット開発者である彼以外に、頼るすべはないのだから。

(杏が元気になったら、どうするかな。やっぱり恋人同士だし、そろそろ同棲とか考えてもいいのかな)

 警官は辞めるかもしれない。もう二人とも、死への価値観が、以前と変わってしまった。殺人を前提とした治安維持機構である強行課には、いままでと同じ気持ではいられまい。

 だが、それもいい。もっと普通の――命の危険のない――仕事をふたりでやればいい。大変だとは思うが、自営業なんかふたりでやれたら、きっと楽しいだろう。

 だから――

(ふたりで生きて帰ろう。杏)

 

 先織は落とした拳銃を、左手で拾い上げた。人を容易に殺傷できる武器。それを、彼女はゆっくりと平に向ける。平は黙って、その様子を見ていた。そして嘆息すると、つまらなそうに首を振る。

「しつこいな。君たちリボットに僕は殺せないっての。君のそばで転がっている、その女もそうだったんだ。道具は道具らしく――」

 パンッ!

 先織が引金を引いた。舞台上の先織から、客席にいる平のところまで、距離は10メートル強。平時であれば問題のない距離だが、いまの疲労困憊の彼女には、標的に銃弾が当たるかは、運次第だ。

 もっとも、平には、自身に銃弾が当たらない確信があったのだろう。先織が発砲しても、その余裕のある笑みを崩さなかった。リボットは人間に危害を加えられない。開発者特有の、システムへの盲目的信頼。彼にはそれがあった。しかし――

 平の膝が折れた。

 信じられないような面持ちで、平はゆっくりと、腹部に手を当てた。

「え?」

 朱色に染まる掌。

「え?」

 先織が引金を引く。平の左肩が後方に弾けた。平が前屈みに崩れ落ち、床に額を打ち付ける。リボットに頭を垂れる平。屈服する人間。意地悪く思う。悪くない気分だ。

「あ……ああ……なんで!なんで!なんで!なんで!なんで!なんで!こんな馬鹿な!リボットが僕に!この僕に!そんなわけない!この僕に……あがぁああああああああああああああああああああああああああ!」

 三度目の発砲。今度は脚にあたった。なかなか頭に当たらない。痛みで床を転げまわる平。脂汗を額に浮かべたその表情には、困惑と恐怖が浮かんでいる。

 平には、何が起こっているのか、分からないのだろう。リボットが自分に危害を加えるなど、想像もしていなかったに違いない。

 自分だけが人間を殺せる。

 何故なら自分は壊れているから――

(春日幹也。お前は不用心すぎるんだ)

 前橋と春日の会話。先織は偶然にも聞いていた。少し春日をおちょくりすぎたと反省して、一言謝るつもりで、春日のいる部屋に戻った。そこで自身の頭痛が、命にも関わる危険なものだと知った。

 ストラスと連絡を取る時、先織は春日から離れて電話をした。そして、ストラスに真相を確認した。この頭痛が、繰り返し行った再生による弊害なのか。ストラスの返答は、ほぼ間違いないとのことだった。そして彼女は、ストラスに訊いた。この頭痛を治療することは、可能なのか。彼の返答は、簡潔だった。

(不可能です。残念ですが諦めてください)

 その回答を受け、先織はストラスにある頼みごとをした。

 それは、春日の説得だ。

 人間との決戦。春日はそれに反対している。その説得を、ストラスに頼んだのだ。本来は自分がやるべきなのだろう。春日が反対する原因は自分なのだから。しかし、この説得はストラスにしかできなかった。元リボット開発者。その者の口から出た言葉だからこそ、真実味が帯びるのだ。先織杏の治療が可能だという――嘘の話に。

 先織杏を救うには、データセンターで先織杏の記憶を調査する必要がある。調査するためには、データセンターにいる人間を倒す必要がある。そして人間を倒せるのは、先織杏だけだ。先織杏が人間と戦わなければ、先織杏は助からない。このロジックなら、春日も先織が人間と戦うのを、認めざるを得まい。

 そしてもうひとつ。治療方法があると嘘の話を春日に聞かせたのには、理由があった。それは、自分のことで、春日に絶望してほしくなかったからだ。嘘でも良い。希望を持ってほしかった。何故なら、自分がそうだからだ。自分がまだ、希望を抱いているからだ。

(私はまだ、生きることを諦めてないんだ)

 頭痛はすでに、痛みを感じなくなっていた。ただ重い痺れだけが、脳内を満たしている。全身に妙な浮遊感を感じる。まるで先織杏という存在が、躰から切り離されていくようだ。それに、彼女は全力で抗う。

(生きるんだ)

 腰を抜かしたのか、平が尻もちをつきながら、少しずつ後ずさりをしている。

 発砲。平の耳を銃弾が掠める。「ヒッ!」と平が声を上げ、躰を震わせる。人間が死の予感に怯えている。この男を許すつもりなど毛頭ないが、いまの心境だけは理解できた。

(まだ死にたくない)

 再生など関係ない。

 いまの自分を失うのは嫌だ。

 そんな先織の想いとは裏腹に、視界が霞がかかったように、薄れていく。すでに耳は聞こえない。五感が失われていく。明滅する意識。崩れゆく自己。先織杏の死が迫ってくる。

 死ぬつもりはない。つもりはないが。どうしても考えてしまう。自分が死んだその先を。

 果たして、新しい先織杏は生まれてくるのだろうか。思えば、いまの自分は五日前に再生されたばかりだ。いままでの先織杏の中でも、特に短い間しか生きていないことになる。だが濃密で貴重な五日間だった。

 だから思ってしまう。

 春日幹也。

 新しい先織杏が生まれても、私のことを忘れないで欲しい。私が死んで失われてしまう記憶おもいでを、お前に護ってほしい。私がお前と過ごした期間は、ほんの短い間だったけど、大切に思ってほしい。だって――

(お前と初めて、本当の恋人同士になったのは、この私なんだから)

 先織は微笑み、引金を引いた。

 パァアンッ!

 劇場に幾度も響いた銃声。

 これを最後に音が止んだ。

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