第24話 決着

 バタン。と銃口の先にいる人影が前のめりに倒れた。そして静寂。暫くしてから、床に赤い液体が広がってゆく。倒れた人物。その者から流れ出る体液。血。血。血。

 それを見届けて、ゆっくりと震える銃口を下ろした。

「はっ……はっ……」

 荒い呼吸を繰り返す。

「はっ……はは……ははは」

 声が引きつっていく。

「はははは……はははははははははははははははははははははははははは!」

 笑った。大声で。出血がひどい。酸素が足りない。呼吸が苦しい。それでも、笑い続けた。途中で咳き込んだ。それでも、笑った。

 平は笑いを堪えきれなかった。

「はははは!死んだ!ははは!死んだぞ!ははは!ざまあみろバーカ!」

 自分を殺そうとした女を殺してやった。

 人間を殺そうとしたリボットを撃ち殺してやった。

 持ち主に逆らった道具を壊してやった。

 なんて爽快な気分なんだ。

「見たか!ああ?テメエらリボット風情が、人間に逆らおうなんて、おこがましいんだよ!テメエらにとって、僕たち人間は神なんだ!神に逆らうから、こんな目にあうんだ!」

 舞台上で倒れる女。名前はなんといったか。まあどうでもいい。撃ち殺してやったリボットのことなんてどうでもいい。あんなに血が出てる。間違いなく心臓を撃ってやった。痛そうじゃないか。いやそうでもないか。だって死んでるんだもんな。

 平は自身の拳銃を見た。

 使うことになるとは思っていなかったが、あの大内とかいう奴に、護身用の拳銃を調達させておいたのは正解だった。銃を撃つのは、アメリカに赴任した3年前――おっと63年前か――以来だ。だから、一発で心臓に命中したのは、我ながら運が良かったといえる。

「いや、運が良いわけじゃない」

 なるべくしてなっただけだ。人間がリボットに殺されるわけがない。奴を造ったのは人間なんだから。

「だが……ぐ……」

 平はゆっくりと立ち上がった。撃たれた脚を引きずりながら、舞台に向かって歩く。脇腹と左肩。臓器や太い血管が傷つかなかったのか、出血は思ったほどではない。

 だが痛みがひどい。歩くたびに、傷口に直接杭を打ち込まれているような、激しい痛みが走る。ギリギリと歯を食いしばり、傷口を手で抑えながら、少しずつ前に進む。

 舞台の上になんとか躰を押し上げて、撃ち殺した女のそばまで近づいていく。

 平は女を見下ろした。うつ伏せになっているため、女の表情は見えない。女の胸の辺りを中心に、広がっている血溜まり。人間であれば、全血液量の2分の1で心停止に至る。リボットもそれに違いはない。この女の出血量は、確実にその量を上回っている。

 間違いなく死んでいる。

 分かっていたことだが、平は胸をなでおろした。そして女を観察する。特に、どうということのない女だ。特別なリボットには――少なくとも外観的には――見えない。

「……どうして僕を撃つことができたんだ。なにをしたんだ。こいつ」

 ふと考えこむ。こいつを再生してみるべきか。だが、記憶があるだろうか。人間を撃つことができる理由。その記憶が。

 それに危険かもしれない。

 再生するときには、こいつの意志を剥奪する。人間に逆らうことができない、道具に生まれ変わらせる。こいつの仲間のように。

 しかし、こいつは不可能な人間への攻撃を可能とした。また、想定外のことが起こらないとも限らない。少なくとも、こいつが人間に攻撃できた理由がわかるまで、不用意にこいつを再生するのは避けるべきか。

 と――

 カタン。

 舞台袖から物音がした。平は敏感に反応すると、音のした方へ銃口を向けた。

 コツン。コツン。こちらに誰かが近づいてくる。姿はまだ見えない。平は緊張して舞台袖を睨みつける。

 誰だ。自分と同じ人間である可能性は低い。リボットだ。ただのリボットなら問題ない。だが、またこいつのように、人間を殺せるリボットだとしたら。

(くそ。来るなら来い。姿を見せたら、すぐにぶっ殺してやる)

 舞台袖の闇から、男が現れる。

 平は銃を撃たなかった。

「やあ、久し振りだね。平。それとも君にとってはそうでもないのかな?」

 現れた男は、そう親しそうに声をかけてきた。平は目を丸くして、銃を下ろす。

「亜門……さん」

 リボット開発者。そして、アダムプロジェクトの立案者にして責任者。平のリボット支配を、最後まで認めなかった男。そして、平が唯一天才と認める先輩。

 亜門介。

「亜門。懐かしい名前だな。実はいまは別の名前で呼ばれることが多いんだよ」

 亜門はそう言って、笑った。

「ストラスってね」

 

 眼の前にいる男は、平がよく知っている人物。亜門介に間違いなかった。

 正確には、そのリボットに……だが。

 本物の亜門介は、60年前にリボット転換後、死亡している。いま眼の前にいる男は、亜門介のリボットであり複製品、あるいは偽造品だ。決して、亜門介当人ではない。それは平自身、よく心得ていた。

 しかし、自分の知り合いと同じ顔で、同じ口調で、同じ身振りで、話されてしまっては、どうしたって、それが本物と錯覚してしまう。

(馬鹿な。そんなの、ただのまやかしだ。リボットは人間じゃない。記憶が同じだけで、別のモノだ。だからリボットを利用することに、なんの躊躇いもなかったんだろ)

 そう言い聞かせるも、どうにも収まりが悪い。平は、自身のその戸惑いは一旦無視して、眼の前のリボット――ストラスに質問した。

「……どうして……あなたがここに?」

 問われたストラスは、特に隠す様子もなく、あっけらかんと話した。

「君たちの決着を見届けにね。まあ、せめてもの義務かなと」

「義務……?」

「そこで倒れている女性。先織杏さんにこの場所を教えたのは、私だからね」

 表情がこわばる。下ろしていた拳銃を再び構え、ストラスを睨みつける。

「やはり……ただのリボットか」

 平はジリジリと後退する。正直言って、喧嘩は不得手だ。不用意に近づきすぎて、この男が突然跳びかかってこないとも限らない。それを警戒して、ストラスとの距離を取る。

 そのような心配は、リボット相手には不要のはずだった。だが、状況が変わった。

 後ずさりしていた平の足に、何かが当たった。平はちらりと背後を振り返る。足元には、自分が撃ち殺してやったリボット――ストラスは先織と呼んでいた――が、転がっていた。

(この女の例もある。油断はできない)

 人間である自分とは違い、ストラスには銃弾を躱す手立てなどないはずだ。それなのに、この男は拳銃を向けられても、特に怯える様子などは見せなかった。ただ、不思議そうに眉根を寄せている。

「やはり、ただのリボット……とは?」 

「別に……リボットに肩入れしているみたいだからね。まあ、リボットであるあんたが、リボットにつくのは当然だけど」

 苦々しく言う。何故これほど苛つくのか、自分でも不思議でならなかった。

「ああ。そういうことか。だとすれば、それは見当違いというものだよ。平」

「なんだって?」

 ストラスは頭を振りながら言う。

「私がリボットだから、リボットである彼女に手を貸したわけじゃない。勘違いしているようだが、私はリボットの味方なんかじゃないのさ。もちろん、人間の味方でもないがね。私は誰の味方にも、そして敵にもならない」

「手を貸しておいて、リボットの味方でも、僕の敵でもないだなんて、そんな話があるか」

 何を呑気に会話をしているのか。リボットと無駄話などはせず、さっさと殺せばいい。だが、頭ではそう分かっていても、引金にかけた指に、力が入らない。

 ストラスが、おどけたように笑った。

「私は彼女……先織杏の個人を尊重しただけさ。記憶と知能――リボットの場合は人工知能AIだが――、そのふたつの要素によって偶発的に発生した、個人という認識。それを私は大切にしたい。大切に観ていたいんだ。私はね平。人間だとかリボットだとか、そんな物理的構造上の違いなど、まったく興味がないんだよ。君が人間という種にこだわっているのは知っている。だが私に言わせれば、そんなカテゴライズなど無意味だ。悪いけど、下らないとさえ思うね」

 平は、心臓を鷲掴みされた気分だった。ストラスの言葉。これと同じ言葉を、平は以前に聞いたことがあったためだ。

 60年前。

 リボットプロジェクトと平行して、秘密裏に実行された凍眠プロジェクト。わずか百人程度に与えられた、人間として生きる権利。

 その権利を、リボット開発者は優先的に与えられていた。これは、リボットシステムに障害が発生した場合、システムの障害をメンテナンスする者が、システムの障害に影響を受けるリボットでは都合が悪いと、そういう判断があったためだ。

 そして平はその権利を行使し、こうしていまも、人間として生きている。これは当然の判断だ。リボットになることは、人間として死を迎えるということ。誰もすき好んで、そんな選択などするはずもない。

 だが亜門介は違った。亜門は人間として生きる権利を放棄し、リボットに転化することを希望したのだ。

 平からすれば、彼のその行為は、自殺にも等しい、愚かしいものにしか思えなかった。だから平は、彼に考えを改めるよう、説得にあたった。リボットが人間にとって、道具に過ぎないこと。リボットは人間に利用されるためだけに、存在すること。

 しかし、亜門の決意は変わらなかった。平がリボットの低価値を説き、わざわざそんな存在に堕ちる必要などないと話しても、亜門は決して、首を縦に振らなかった。

 どうしてリボットに甘んじるのか?

 平のその質問に対し、亜門介の回答が、先程ストラスが言った言葉と、ほぼ同じ内容だった。凍眠の説明会では、立場上、人間種の保存の重要性を説いたが亜門だが、彼個人の見解としては、人間とリボットの差に興味はないのだ。彼が興味があるのは――

「私が興味があるのはクオリア、つまり自己認識のメカニズムだ。記憶や知能が在るというだけでは、その存在を説明できない。どころか、その存在を観測することさえできない。だが確かに在る。その確信がある。こんな魅力的な研究対象は他にない。世界が生まれて今日。最も画期的な神の創造物だ。人間といった種の誕生など、それに比べれば取るに足らないと、言っていいぐらいにね」

 眼の前の男。ストラス。そのリボットの言葉が、記憶の中の、亜門介の言葉と重なった。

(だから私は、リボットになるんだ。だって、その自己認識の発生の瞬間を、体験できるかもしれないんだよ。その時生まれるそれは、いまの私とは別のものかも知れないが、その瞬間を体験した存在ができるんだ。それは私にとって、何よりも価値のあるものさ)

「だったら……」

 平は拳銃を下ろした。眼の前のストラスに、そして記憶の中の亜門介に、声を荒げる。

「だったら、いまのこの状況はどうするんだ!人間とリボットの差に興味がないって言ったって、現実問題その差が立場を決定づける!リボットは人間の良くて代替品!その差は無視できないだろ!重要なのは自己認識なんて曖昧なものじゃなくて、種という絶対的な基準だ!僕はリボットを支配するぞ。そしてリボットであるあなたに、それを止めることはできない。それでもあなたは、人間とリボットの差より、そんな不確かなモノのほうが重要だっていうのか!答えろ!亜門介!」

 どうして、僕の考えを頑なに否定するんだ。

 どうして、僕の考えにも一理あると、そう言ってくれないんだ。

 どうして、僕を認めてくれないんだ。

 亜門介。あなたは僕が唯一認めた人間なんだ。それなのに、あなたは僕という人間を認めてくれない。認めようとすらしてくれない。あなたにとって僕は、何の価値もないのか。

 何故こんなにも苛つくのか。それが分かった。あの不快な男。元衆議院議員の金平は、世間の評価こそ、自身の価値だと思っていた。自分はそれを内心で嘲笑った。他人の物差しで自身の価値を決めるなど下らないと。

 自分は違う。自分の価値は人類を繁栄させること。客観的な物差しで、自身の価値を計測している。そう思っていた。

 しかし、自分はその価値を得ることで、誰を見返したかったのか。それを成し遂げることで、誰に認めてもらいたかったのか。それが、分かってしまった。

 だから、このリボットを前にすると、苛ついてしまうのだ。何をしたところで、亜門介が自分を認めることなどない。それを、突きつけられてしまっているから。

 ストラスは、おもむろに口を開いた。

「リボットを支配することはできない」

 トントン……トン、とストラスが靴で地面を叩き始める。

「……どうして。僕がやらないとでも?あなたが寄越した女。そいつに僕は勝った。勝者は僕だ。僕の好きなようにやらせてもらう」

 平は口早に言った。もう、ストラスとの会話は切り上げるべきだ。そもそもこいつは亜門介ではない。これ以上、このリボットと話しても、虚しいだけだ。

 平が拳銃をストラスに三度向ける。その時、「いや……」と、ストラスが小さく呟いた。

「勝ったのは先織杏リボットだ」

 トン……

 

 ブチッ!

 肉が引きちぎれる音。

 平の首筋から、噴水のように赤い飛沫が、勢い良く上がった。

「……あ……が……」

 平が口をパクパクさせながら、喘ぎ声を出す。目玉が飛び出るほどに瞼を見開き、彼は前のめりに倒れた。

 床に倒れ、ビクビクと痙攣を繰り返す平。それを暫く見下ろしていたストラスは、おもむろに面を上げた。平が立っていた場所。そのすぐ背後に立つ影を見据える。

 先織杏。

 正確には先織杏だった『器』。

 表情のない顔。焦点の定まらない瞳。呆けたように半開きの口が――口元だけでなく口腔内までも――、おびただしい量の血で、真っ赤に染まっていた。先織杏だった『器』が一体何をしたのか、ストラスは一部始終を見て、知っていた。

 平の首筋を噛みきった。

 ストラスは黙って彼女を見つめる。すると、彼女はガクンと躰を震えさせ、糸が切れた人形のように床に崩れ落ちた。

 そして動かなくなる。

 ストラスはそこまで見届けると、平のそばまで歩き出す。

 平は生きていた。だが死ぬ直前だ。激しく繰り返す呼吸。それにはもはや、生きようとする生命の力強さは感じない。消える直前の炎が刹那に猛る。そんな虚しさだけが、彼の呼吸からは感じられた。

 血管の浮き上がった眼球。平はそれをストラスにギョロリと向けた。

「……なに……を……した……」

 荒い呼吸の合間を縫って、平が掠れた声で問うてきた。ストラスはフッと息を漏らすと、それに答えてやる。

「彼女――先織杏に頼まれてね。彼女の『器』に、あるプログラムを仕込んでおいたのさ」

 ストラスはちらりと先織杏を見て、再び平らに視線を戻す。

「そのプログラムは、彼女の死を引金トリガーにして起動する。どんなプログラムかは、君にも、すでに予想がついているだろう。自身を殺した者を殺すプログラムだよ」

 六日前のコルヴォ劇場。そこで、このプログラムを組み込まれた『器』に先織杏は殺された。再生した彼女は、その当時の記憶を持っていないかったが、仲間たちや録音テープから、自分がどう殺されたのかは知っていたようだ。そして彼女は、人間と戦う前に、ストラスに言った。前の先織杏を殺したプログラムを、この自分の『器』に組み込んでくれないかと。

「彼女の名誉のために言うけど、彼女は初めから死ぬつもりなんかなかった。必ず生きて戦いから戻る決心をしていた。でも彼女は、想いだけで現実は変えられないことをよく知っていた。そんなご都合主義の展開を、心から信じられるほど、彼女は愚かにはなれなかったのさ。だから保険をかけた。例え自分が死んでも勝利を得られるように」

 平が激しく咳きこんだ。そして徐々に、呼吸が弱まっていく。彼の死が近いことは、誰が見ても明らかだった。

 だからストラスは、いままで言えなかった心のうちを、彼に伝えることにした。

「平。さっきも言ったように、私は誰の味方にも敵にもならない。結果的に君が負けたのは、やはり先織杏になんだ。彼女の覚悟に、君は負けたんだよ」

 そしてストラスは、悲しく笑った。

「ただ本音を言うと、君には、人工知能AIの研究を私とともにしてほしかった。私の研究の手助けをしてほしかった。君ほど有能な技術者を、私は知らない。私が唯一認めた人間。それが君だったんだ」

 平は息絶えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る