終幕
第22話 先輩と後輩
(なんつうか、やばいな)
瀬戸は思った。根拠などない。ただ、春日を見て直感した。
アダム。確か、世界初の
(だから、気にするこたあねえ。スパっと殺ってくれよな)
春日が伏せていた面を上げる。感情の欠如した表情。眼鏡の奥にある眼光だけが、怪しく光っている。
春日が床を蹴った。
予備動作も助走もない。だが――
(まじかよ!)
身をかがめ、床を滑るように接近する春日。その速度は、人間の筋力が出せる限界を、遥かに超えている。
瀬戸は右足を引き、腰だめに右拳を構えた。
肉薄。瀬戸の右足が床を叩き、腰を捻って右拳を撃ちだす。急接近する春日に叩き込まれる、最良のカウンター。躱せるは――
ボンッ!
瀬戸の右腕が、上空に弾け飛んだ。驚愕に目を見開く。何をされたのか。瀬戸はそれを、自身が殺されるまでの僅かな時間を使って、冷静に整理する。
春日に打ち込んだ拳。こいつはそれを、軽く手の甲で振り払った。まるで虫を追い払うように。すると、振り払われた腕の、肘から先が千切れとび、宙を舞った。
春日の右手に構えた刀が、横薙ぎに払われる。知覚すらできない速度。気付いた時には、すでに瀬戸の頭部は二つに分かれ――
(どうなった?)
近くのビルに春日と瀬戸が入って、すでに二分が経過している。大内は狙撃銃を構え、照準器越しにビルを覗きながら考える。
(狭い建物の中なら、瀬戸に分がある)
瀬戸に殴殺されるか。自分に射殺されるか。どちらにせよ、遅かれ早かれ、春日は二係の手によって殺されるだろう。
と、ビルの中から人影が現れた。目を細め、照準器に映るその人影に、意識を集中する。
春日幹也だ。
うつむきがちに伏せられた顔。前傾姿勢。ふらふらと力なく歩いている。両脇にだらりと垂らした腕。左手は空手。右手には刀。日本刀。刀身にべっとりと付着した血。先端からポタポタと血の滴を垂らしている。
(瀬戸を……殺ったか)
引金に力を込める。標的の動きに全神経を集中させ、一挙一動を見逃さない。
春日の動きに変化。返り血で染まった顔。それをゆっくりと持ち上げている。眼鏡の奥に黒い瞳。前髪の隙間から覗くその瞳が――
まっすぐこちらを見ていた。
春日が照準器の視界から消えた。すぐに照準器の倍率を変更し、春日の行方を追う。
春日は走っていた。まるで野生の豹のように身を屈め、疾走している。彼が向かう先は、容易に知れた。それは、自分が身を隠しているこのビル。『ROUND PARTY』の屋上。自分と春日を結ぶ直線を、一切外れることなく、最短距離で接近してきている。
(どうして俺の場所がわかる)
そして閃く。六日前、自分は劇場でストラスの捕獲任務についた。自分の役割は、劇場出入り口の監視と狙撃による援護。つまり、現在と同じ状況だ。
自分には劇場任務時の記憶はない。バックアップを取っていなかっため、その記憶は失われた。だが、当時と類似したこの状況。この場所が、当時の狙撃ポイントと、一致していたところで不思議はない。
瞬く間に距離を詰める春日。その速度は異常だった。狙撃を試みるようとするも、照準器にその姿を収めることすらできない。
固定した狙撃銃から離れる。そして、床に置いてあった拳銃を手に取り安全装置を外した。スライドを素早く引き、薬室に弾丸を送り込むと、建物の外に向け銃口を構える。
春日は階段を使って、この屋上に来るような真似はしない。直線だ。迂回せず、まっすぐここに来る。不思議とその確信があった。
息を止め集中する。音が聞こえた。壁を蹴る音。壁の凹凸に脚を掛け、駆け上がってくる。その音が、徐々に大きくなる。
建物の縁から黒い影が躍り出た。
発砲。
ガキン!
銃声と同時に響いた金属音。
屋上に現れた春日がこちらに接近してくる。乱れのない動き。彼に負傷した様子はない。
銃弾が外れた。この距離で。
一瞬の困惑。そして気づく。こちらの喉元に向け、春日が突き出した日本刀。それが、半ばでポッキリと折れている。
刀で弾丸を弾き飛ばした。
理解と同時に、喉を切り裂かれた。
峯岸は駆け出した。
先織杏が放った弾丸。それが、コンマ何秒か前に、自分がいた場所を貫く。
姿勢を限界まで低くして疾走。拳銃を持った先織の右腕。その腕の懐に躰を滑りこませると、バネのように躰を跳ねさせてナイフを突き出す。狙いは心臓。
先織が反応。躰を捻りながら、横に身を躱す。同時に先織は、こちらの背後に躰をスライドさせてきた。防御と次の攻撃への布石。悪くない。が遅い。躰を低く回転させる。脚を伸ばし、背後にいる先織のくるぶしを蹴る。先織の躰が宙に浮く。無防備な態勢となった先織の胴体中心に、ナイフを打ち下ろす。
先織が自身の左手を、ナイフの軌道に差し込む。先織の左手にナイフが突き刺さる。
背中から床に落下する先織。彼女は激痛に顔を歪めながらも、ナイフの根本まで左手を滑らせ、こちらの――ナイフの柄を握っている――右手を力強く掴んできた。
先織が腕を横に振る。小柄なこの躰。彼女との体重差は歴然。抗いようもなく躰が振られる。ナイフを手放し、地面を転がる。
先織が身を起こす。ナイフが左手に突き刺さったまま、右手の拳銃をこちらに向ける。地面に四つん這いの自分。銃弾を躱せる態勢ではない。と先織は思っているのだろう。
先織が引金を引く直前。躰を少し左に振る。先織の視線が動いた。彼女の向ける銃口が、無意識の内に左にわずかに逸れる。発砲。銃弾が左耳をかすめ、背後に着弾。
先織の眼が驚愕に見開く。なぜ銃弾を外してしまったのか、彼女は理解していない。その隙に躰を起こす。再び引金を引こうとする先織。だがすでに移動を開始している。意識の隙間を縫う走法。自身の感覚で紡ぐ魔法。相手の認識から自身を消去する。
先織の背後へ。
背中の急所。脊髄めがけてナイフを差し込む。一瞬速く先織が反応。躰を回転させ、拳銃を持つ右手を、背後に回す。だがその動きはよんでいる。ナイフを返す。拳銃を握る右手。その手首をナイフで切り裂いた。
鮮血が飛び散る。先織の右手から拳銃がこぼれ落ちた。
終わりだ。武器を失った先織にもう、勝ち目はない。自分を慕ってくれている後輩を、自身の手で殺す。胸が締め付けられた。だがそれでも、意志は揺るがない。そう書き換えられている。逆らうことのできない、人間の思惑。リボットの殲滅への意志。
再び狙いを心臓に定め、ナイフを突き出す。
先織が動いた。左手を素早く振るう。その左手には、ナイフが握られていた。気付く。これは自分のナイフだ。先程先織の左手に突き立てた物。こちらから見えないよう引き抜き、この瞬間まで隠し持っていた。
先織の狙いは眼球。
どちらの攻撃が先に届くか。瞬間に判断。脳に叩き込んだ戦闘技術に裏打ちされた反射的思考が自身に告げる。勝敗は紙一重。だが勝つのは――自分だ。
互いのナイフが交差する。
先織の胸にナイフが吸い込まれていく。
眼球に鋭利なナイフが迫る。
そして――
(よかった。先織。あんた気付いたのね)
さすが、私の自慢の後輩。
峯岸舞の思考は、そこで途切れた。
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