第8話 災厄
峯岸は別段人を見る目があるというわけではない。特にこと男性においては人並み以下といえるだろう。今まで彼女が付き合ってきた男性たちは、どいつも外面だけは立派に飾り立てていても、内面はひどいものだった。
だから彼女は、初対面の人物に対する、自分の第一印象をあまり信じていない。几帳面そうだとか大雑把そうだとか、そういったイメージを持つことはあるが、決して色眼鏡で人を見るような真似はしない。
しかしそんな彼女が、この男だけは、自分の第一印象を信じて疑わなかった。端的に言えばそう――嫌な感じだ。
「おお。あなたが峯岸舞さんですか。お会いできて光栄です」
その男はそう言うと、だらしない躰をゆすりながらこちらに近づいてきた。どこかガマガエルを思わせるような潰れた顔に、テカテカと脂汗が光っている。膝が悪いのか、不格好な歩き方で自分の眼の前まで来ると、こちらの全身を舐めるように、ゆっくりと視線を這わせた。背筋に悪寒が走り、反射的に眼球に指を突っ込んでやろうかと思う。この男はなんとも形容し難い、気味の悪い笑い方をして、馴れ馴れしく話しかけてきた。
「いやお噂はかねがね。とても優秀でとびきりの美人だと聞き及んでおりましたが、なんともはや。想像以上にお美しいお方だ。どうぞ今後ともお見知りおきを」
「元衆議院議員の
握手を求め差し出してきた金平の左手を、峯岸は完璧に無視してやった。金平は少し不快そう顔を歪ませるも、すぐに愛想の良い――少なくとも金平にとって――笑顔に戻ると、スッと左手を席に向け「どうぞ」と言った。峯岸は席に座ると、素早く周りを見渡した。
場所は神奈川県警察署の会議室。広い会議室に自分と課長、そして署長がそれぞれ難しい顔をして座っていた。そして、その会議室の正面に、金平が立っている。
金平は、会議室にいる面々を視線で一度なぞり、演説宜しく、大きな声で話し始めた。
「みなさん。お忙しいなか、お集まり頂き誠に有難うございます。さて、すでに幾度もお話したことで恐縮ではありますが、我々がいま陥っている現状と、今後起こりうる問題、そして、その解決法について、再度確認させて頂きたいと思います」
金平はそう言うと暫く黙り込んだ。こちらの返事を待っているというよりは、この場を支配しているのが自分であるということを、暗に示したかったのかもしれない。
金平は目を細めて続けた。
「我々人類は約60年前、一度絶滅しました」
「――だから五人だぞ。五人の武装した連中を、目にも留まらぬ速さで叩き伏せたんだ。ああ分かってる。目にも留まらぬなんて、子供じみた言い方だよな。でも、そうとしか言いようがないんだ。私には何をどうしたのか、まったく見えなかった。で……おい春日聞いてるのか?」
「え……あ……うん。聞いてる」
「そうか。で話の続きだが、結局あの人ひとりだけで、30人ぐらいの武装集団を始末した。そしてだ。いいか?ここが重要だ。それだけのことをしておいて、あの人は息ひとつ乱してなかったんだ。それでこうやって髪をかき上げて、物憂げにこう言ったんだ」
先織は自分の髪をかきあげる仕草をして、少し声を低くして――恐らく係長の声を真似しているのだろう――言う。
「鍋に玉ねぎを入れて炒める。牛肉とマッシュルームを入れ色が変わったら水を――」
先織はぶつぶつと呟いたあと、「くぅう」と拳を震わせ、手に持っていた缶ビールを一気に煽った。彼女は缶ビールから口を離すと、頬を赤らめた顔を春日に近づけ言った。
「分かるか!」
「いや、分かんない」
「なんで分かんないんだ!ビーフストロガノフだよ!あの人は今夜、ビーフストロガノフを作るつもりだったんだ!その調理法を忘れないために復唱していたってことだ。信じられるか?命のやり取りをしている最中、あの人は夕飯のことで頭がいっぱいだったってことだ!どうだ!どう思う!」
「忘れたくないなら、メモすればいいと思う」
「そうか!お前もすごいと思うか!私も流石にその時は驚いたよ。そして私も、まだまだなんだと痛感させられた。私はせいぜい、ゆで卵止まりだ」
「もはや、どちらが上なのか分からないけど」
春日のつぶやきは無視して、先織は美味しそうに缶ビールを飲み干すと、グシャリと缶を潰して背後に放り投げた。潰された空き缶は放物線を描き、一度壁にバウンドした後、口の開いたゴミ袋――すでに大量の空き缶が入っている――に吸い込まれていった。
いそいそと新しい缶ビールを開ける先織を見ながら、春日は溜息をこぼす。
(まあ、俺が勝手に期待しただけなんだけど)
虚しく思う。自分が先織に呼ばれたのは、単に飲み仲間としてだった。先織のマンションで行う理由も、特別な意味はないらしい。コンビニで大量の酒類を買っている時に、先織はその理由を、こう説明していた。
「再生直後で飲み歩くっていうのも、躰にはよくなさそうだろ?だから、今回は大事を取って自宅でやろうと思ってな。安上がりだし、たまにはいいだろう」
あるいはこれは、先織の照れ隠しなのではないかと疑ったりもした。だが、上機嫌にビールを喉に流し込んでいる彼女を見る限りでは、そういうことでもなさそうだ。春日は再び溜息をこぼし、缶ビールをチビリと飲んだ。
都心部に建てられたこのマンション。その部屋の間取りは3DKと、一人暮らしの先織にはやや広めだった。飲み始めてから3時間が経過し、時刻は深夜23時。この時間になると、高層階にあるこの部屋の窓からは、美しい夜景が楽しめた。闇夜に点々と灯る無数の光。それは60年前――旧時代の、莫大なエネルギーを費やして造り上げたそれと比べると、とても小さく弱々しい物だった。しかしだからこそ、川辺に光るホタルのように、一つ一つの光に、力強い命の息吹が感じられた。
そんな夜景が見える部屋で、男女がふたりきり。シチュエーションとしては申し分ない。
「おい。どうした春日。全然酒が進んでないじゃないか。私の勧める酒が飲めないというのか?生意気なやつだ。うらうら!」
ビールの空き缶を、先織が投げつけてくる。春日は特に避けようともせず、ポカポカと頭やら顔面でその缶を受け止める。
(シチュエーションは申し分ない。だけど、当の本人がこれじゃあな……)
春日はそう思い、三度溜息をこぼす。
(だけど……)
缶ビールに口をつけながら、春日は先織の様子を眺めた。グビグビと喉を鳴らしてビールを飲む彼女。その姿に、思わず彼はプッと吹き出してしまった。
その音に気付いた先織が、ビール片手に眉根を寄せた。彼女は酔いが回ってるのか、トロンとした眼つきで、春日に訊いてきた。
「なにが可笑しいんだ?お前は」
「いや別に。ただ杏。君なにか良いことがあったの?」
先織が眼をパチクリさせる。
「なぜだ?」
「だって、なんか嬉しそうだからさ」
先織のマンションで、期待した展開はなかった。しかし、こんなにも愉しそうにお酒を呑む先織の姿を、春日は見たことがなかった。彼女が何故、これほど上機嫌なのかは知らないが、春日も楽しい気分になってきたのだ。
先織は頭をポリポリ掻くと、飲みかけの缶ビールをテーブルの上に置いた。そしてふらりと立ち上がり、千鳥足で窓際まで歩き出す。
「杏?」
春日が怪訝に呼びかける。先織は窓の景色を眺めながら、ぶつぶつ呟く。そして、コクンと頷いて言った。
「そうだな。うん。そうだ。お前には話しても良いかもな。そうなんだ。実は喜ばしいことがあった。いや、正確には、これから喜ばしいことがあるんだ」
先織は首を回して、春日のほうに顔を向けた。彼女は子供のような無邪気な笑顔で、こう言った。
「凛音が生き返るんだ」
金平は、60年前に起こった災厄を、決して忘れられない悪夢の記憶を、語りだした。
「強い感染力と100%という致死率を誇るウィルス性感染症。これだけでも脅威なのですが、何よりこの感染症が恐ろしいのは、感染から発症するまでの潜伏期間の長さです。御存知の通り、潜伏期間は長ければ長いほど危険です。自分が感染していると気付かずに、病原体を広めてしまうからです。そしてこの感染症の潜伏期間は百年以上と言われています。これには諸説ありますが。その長い期間を得て、人から人、さらに母体から子へと病原体は広まり、ついには全人類がその病原体の保菌者となりました」
峯岸は苛立ちを隠せなかった。金平は良くも悪くも、昔の政治家らしい特徴を持っていた。誰もが知っている簡単で単純な話を、どれだけ複雑に長く話すのか。そんなどうでも良いことに、こいつは心血を注いでいる。
「そして突然の発症。これもまた特徴的でした。誰もが感染した時期は異なるはずなのに、発症した時期は同じだったんです。まるで誰かが合図を送ったように、大人しかった病原体が一斉に人類に牙を剥いたのです。1年後には人口の1割が、2年後には人口の3割が減少しました。これは驚異的な速度です。対抗策を練る時間もありません。このペースではあと数年で人類は滅んでしまう。当時このパンデミックを生物兵器だと疑う人もいましたが、私に言わせればそれはないでしょう。全人類を対象とした生物兵器など、そもそも兵器としての――」
「すまないが、話を早く進めてくれないか?私達も暇ではないんでな」
署長――名前は忘れた――が、彼女と同様苛立たしげに言った。金平は「これは失礼しました」と謝罪をすると、話を続ける。
「あと少しで終わります。その人類の危機を救ったのが独立行政法人の国立研究開発法人情報通信研究機構です。彼らは実に画期的な解決案を提示しました。我々全人類の躰の中に病原菌が潜んでいるのであれば、病原菌のいない躰に移動すれば良いと。つまり我々の記憶を内包しているこの『器』をまるまる取り替えてしまえば良いと――そう言いました」
金平は自分の躰を――自分の『器』を手で指し示す。
「それが、皆さんも御存知の『REbirthBOTシステム』つまり『REBOT《リボット》』です。私達は人工的な躰であるこの『器』に自分の記憶を移し替えることで、病原菌を克服し人類の永続に成功しました」
そして金平は大仰に手を広げると、声の調子を一段上げて捲し立てる。
「リボットの恩恵はこれだけではありません。全人類の記憶はデータセンターで管理されています。その記憶がある限り、躰を破壊され死亡したとしても、『器』を取替えて生き続けられる。つまり『不死』を人類は実現したのです。そしてその事実は、死に対する人間の倫理観をも大きく変えました。死は絶対のものではなくなり、
金平が峯岸をちらりと見る。ねっとりとしたその視線は、『殺人』という単語に彼女がどう反応をするのか、楽しそうに窺っている。しかし、峯岸が動揺の一つも見せないとわかると、つまらなそうに金平は再び正面を向き、先を続けた。
「さて、ここまでお話したようにリボットは我々現人類にとって最も重要なシステムです。しかし、それと同時に、我々にとっての最大の急所でもあります。その点に関して、皆さんも異論はないと思います。さて、そんなリボットシステムですが――」
金平は一旦言葉を止めると、さも深刻そうにこう言った。
「欠陥がみつかりました」
リボットシステムによって先織が初めて再生されたのは、いまから12年前になる。彼女は再生されてすぐに、麻木凛音の行方を探し始めた。まず彼女がしたことは、麻木凛音がすでに再生されているのかどうか、それを確認することだった。
「麻木凛音の再生情報の閲覧を申請してみたんだがな。でもダメだったよ。個人情報だって、けんもほろほろにあしらわれた」
「それは……仕方ないよ。親族以外には開示できないルールなんだから」
春日が何か喋ってる。しかしよく聞こえなかった。はしゃぎすぎて、少しお酒を飲み過ぎてしまったのかもしれない。頭がボーっとして考えがまとまらない。そのくせ口だけはいやに饒舌だ。
「だから最初は脚を使って探した。この街中を。毎日クタクタになるまで探しまわって、疲れたら眠って。起きたらまた探しまわって。それを繰り返して繰り返して」
少し吐き気がした。話を中断して、上がった胃液を強引に飲み下す。喉が少しだけ熱くなった。喋り始めてから、さらに酔いが回っていくのが分かった。足元がおぼつかない。
「そのうちに思ったんだ。凛音が再生されているのかいないのか。やはりそれを確認しないことには動きようもないとな。だが、麻木凛音の親族でない私には彼女の情報は得られない。だから、私は警官を志したんだ。リボットシステムに関わる情報はすべて、警察が秘匿してしまっている。外側からはその情報にアクセスする手段はないが、内側に入り込んでしまいさえすればどうにでもなると、そう思ったんだ」
「ちょ……ちょっと待って。杏。なんか嫌な予感がするんだけど……」
「もちろん苦労はしたが、結果的には上手くいったよ。警察のプライベート回線からデータベースにアクセスして、リボットシステムの情報と再生者のリストを根こそぎ――」
「ストップ!ストップ杏!君いまとんでもないこと言ってるから」
「そして凛音がまだ再生されていないことがわかったんだ」
「ああああああああああああああ!」
何やら春日が喚いてる。少しおかしかった。何をそんな驚くことがあるのか。私が凛音のために何でもするのは当然なのに。
だってそうだろ?
凛音と会うために私は生きているのだから。
ズキンッ!
頭痛がした。取り替えたばかりの躰に、大量のアルコール。悪酔いしている。それを熱ぽい頭で自覚する。
「……杏。君のその――凛音ちゃん?その子に対する気持ちは前から聞いている」
春日の声が頭に響く。
煩いな。何が言いたいんだ?
「でも……もう危険な真似はやめよう」
「……危険?」
「だからハッキングしたりとか、そういうのだよ。見つかれば懲戒免職――いや、下手すれば刑事事件にだってなり得るんだから」
何を言っているんだ?止める?どうして?彼女に会うのを止めたりしたら――私は何のために生きてるっていうんだ?
「どちらにしろ、もうできることはないだろ?だから凛音ちゃんがいつか再生される、その日を二人で一緒に……」
「できることはあるさ。さっきも言っただろ。彼女は生き返る。再生できるんだよ」
その言葉に、春日は口を開けたまま黙った。
面白くなってきた。何も知らない彼に、少しだけ教えてあげよう。きっと驚いて、彼もこの考えに賛同してくれるはずだ。
「劇場でお前も見ただろ。あの『器』を……」
「……それがどうかしたの?」
「『器』に
春日は弾かれたように声を上げた。
「杏!君は何を言っているかわかっているのか?犯罪者と取引するなんて許されるわけないだろう!第一、彼女の記憶を手に入れるだって!そんなこと、できるわけない!」
「できる。全人類の記憶はデータセンターに蓄えられている。そのデータセンターから麻木凛音の記憶を抜き取ってやれば良いのさ。もっとも、データセンターに関する情報は、いまは何も手にすることができていないがな。再生工場もそうだが、流石に人類の要ともいえる情報は、セキュリティが他の比じゃない。だが、いずれ暴きだしてやるさ」
「やってることがテロリストと同じだ!ねえ杏!頼むから冷静に考えてくれ!そんな馬鹿な真似しなくても、彼女はいつか再生される。時間の問題なんだよ」
「――馬鹿だって?」
先織は堪らず叫んだ。
「何が馬鹿だ!何が時間の問題だ!そんなもの期待できるか!お前こそ現実を見ろ!いま新規に再生されている人間は毎年数十人程度だ!そんなペースで、一体いつ凛音が再生される日が来るっていうんだ!」
「それは、今の技術水準で養える人間はいまの人口が限界だから。調整しなきゃダメなんだ!30年前、水準に見合わない人間を同時に再生したことで、長い間貧困の時代が続いたのは知ってるだろ?でも養える人間の数は増えてきている。いつか必ず――」
「そんなの信用できるか!私は私しか信用していない!他の誰も信用なんかしていない!彼女を生きかえらせるのは私だ!私だけがそれをできるんだ!」
「杏……」
春日が悲しそうな顔で、こちらを見ている。
やめろ。そんな顔で私を見るな。どうしてだ?どうしてわかってくれないんだ?凛音だけが私の友達であってくれた。凛音だけが私を認めてくれた。私は凛音がいなきゃダメなんだ。凛音だけが私の生きる希望なんだ。凛音のいない世界なんて――怖いんだ。
ズキンッ!ズキンッ!
頭の痛みが酷くなる。堪らず先織は頭を両手で抑える。暫くその痛みに耐え、そして絞りだすように声をだした。
「……帰れ。帰ってくれ」
「杏。俺は……」
「頼むから……今日はもう……帰ってくれ」
しばしの沈黙。そしてパタンと、扉の閉じる音が聞こえた。先織はその間、決して俯いた顔を上げることはしなかった。
金平の話が終わり、以降の段取りについて決めると、会議は解散となった。
会議室には警察の面々だけが残っている。
署長が峯岸に質問してきた。
「彼の話、信用できると思うかね?」
「できませんよ。当然」
峯岸は正直に答えた。
「いまさらシステムに欠陥があるなんて、ろくな証拠もなく信用できるわけないでしょう。しかも、それを何故元国会議員の人間が知っているのか納得できる説明をしていません」
「彼は、60年前にシステムの開発者から警告を受けていたと言っているが」
「ますます嘘くさい。それに、リボットシステムは人類の命綱です。そんな欠陥があって修復可能なら、60年など待たず、すぐに修復するはずです」
署長は黙り込んだ。彼もこの話に不可解な点が多いことは、峯岸に言われるまでもなく気付いているのだろう。
「峯岸。君の意見ももっともだが、しかし東京を始め各県警に、元議員がこれと同じ話を主張しに来たらしい。これをどう説明する?」
「そんなの分かりませんよ」
課長の問いに、投げやりに答える。
「事実か否か。それを判断する材料は今のところ私達にはありません。組織的に動いていることは間違いないですが」
彼女の言葉に、署長は深く頷く。
「そういうことだ。我々には情報が絶対的に不足している。そして事の真偽に関わらず、放っておくことはできん。事実なら彼をサポート。そうではなく、かつ、我々の害になるのであれば、それを阻止せねばなるまい」
署長はそう言うと、眼だけをこちらを向け、感情のこもらない声で続ける。
「峯岸舞。だから君にこの案件を一任したいのだよ。君ならばどんな状況であろうと、適切に事を処理できるだろう。不満はあると思うが、やってはもらえないか?」
ここまで会議に参加しといて今更嫌ですなんて言えないじゃない。
峯岸は嘆息して思う。
悪い予感がする。
先織は部屋の隅で壁を背に座り込んでいた。電気を点けていないため、部屋の中は暗く、1メートル先も見通せない。ただその部屋に関しては、暗闇を歩くのに不自由はなかった。何故ならその部屋には、歩いている時にぶつかってしまうような、家具や荷物などは何も置いていないからだ。
このマンションを借りて1年。この部屋だけは一切使わず、借りた時の状態のままにしている。ここは麻木凛音が再生された時に、彼女に与えてやろうと思っていた部屋だった。
(凛音の奴は……喜んでくれるだろうか?お節介だと思われてしまうだろうか?いや、あいつはそんなこと思うようなやつじゃないよな。人懐っこくて、きっと……春日とだって、すぐ仲良くなれる)
彼女はついさっき追い出した、春日のことを思い返した。
酔ったの勢いとはいえ、馬鹿なことを言ったものだ。自分の恋人が突然、犯罪に手を染めると、告白してきたのだ。春日がそれを止めようとするのは、当然のことなのに。
(でも……)
それでも我慢できなかった。凛音の再生を彼に認めてもらいたかった。自分以外の誰かに彼女を見てもらいたかった。
先織は、警察の内部システムにアクセスした時のことを思い出す。凛音の名前は、確かに再生者のリストには存在しなかった。
それどころか、システムそのものに、彼女の名前が登録されていなかった。
わからない。どうして彼女の名前がないのか。他県のシステムに登録さているのだろうか?あるいは麻木凛音というのは偽名なのかだろうか?だとすれば、そんな嘘をどうして私につく必要があったのだろうか?
わからない。
わからない。
先織は誰も居ないこの部屋で、少女に向けて呟いた。
「お前は何処に居るんだ。凛音」
ズキン。ズキン。
頭痛が止まない。
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