第3話 ストラス

 遮音性の高い扉からホールに入ると、正面下方にむかって、ゆるやかに床が傾斜している。その奥に設置された、大きな舞台。その舞台では、複数の照明によって照らされた二人の男女が、優雅にダンスを踊っていた。ホールに響くシックな音楽。ゆるやかに流れる曲に合わせて、男女は躰を交互に入れ替える。

 それを眺めているのは、ホールに備え付けられた客席を埋め尽くす、老若男女の人々だ。質の良いスーツやドレスときらびやかな装飾品を身にまとい、衣擦れの音ひとつ立てずに、舞台を見つめる観客たち。その出でたちと上品な物腰は、その者たちが上流階級に属しているであろうことを、容易に想像させた。

 その観客たちの背後に立ち尽くす――明らかに場違いな――戦闘服に身を包んだ女性。

 名前を先織杏。

 彼女は一言も喋らずに、ただただ頭を抱えていた。


 コルヴォ劇場は、民間人によって経営されている劇場だ。座席数は約300席。年間に1、2回程度、周辺地域の劇団が公演を開いている。最近公演されたのは、いまから四ヶ月ほど前、『さそり座の怪人』という劇だそうだ。9月23日が誕生日のさそり座の女が、探偵となって夜な夜な起こる事件の謎を、卓越した推理力で解き明かしていく。しかし、その事件の犯人は、彼女のもう一人の人格である怪人が起こしていた――というモノだ。その劇の評判は上々だったらしく、実は先織も同僚から、観劇の誘いを受けたことがある。もっとも、劇には大して興味のない先織はそれを断ったが。

 その劇は約一ヶ月公演され、終幕したのは、いまから三ヶ月前になる。それから現在まで、この劇場に公演スケジュールはない。仮にあったとしても、いまは深夜の0時を回っている。こんな集客を見込めない時間帯に、劇を公演する物好きなどいるはずもない。

 だからこそ、先織は自身の眼を疑った。

 眼の前で繰り広げられるミュージカル(?)。それを観劇している大勢の観客。どれも、ありえない光景だった。

 彼女は無意識のうちに呟く。

「なんだ……コレは?」

「いや……分かんないけど……」

 先織の呟きは、返答を期待したものではなかったが、思いがけず相槌が返された。

 先織は自分の隣をちらりと見る。そこには、彼女と同様に困惑した表情を浮かべている、ひとりの男がいた。

 先織のよく知る人物だ。

春日かすが幹也みきや……」

 先織は彼の名前を呼んだ。特に意味はない。意味はないが、この訳が分からない状況において、彼女が唯一確かだと思える事を口にしておきたかった。

 春日は、強引に気持ちを切り替えたのか、メガネをクイッと上げてから言う。

「とにかく、他の部屋は全部見て回ったんだから、絶対にこのホールのどこかに隠してある……ある筈……えっと……きっと……あったらいいな……」

 尻窄みに自信がなくなっていく春日。無理もあるまい。組織的な違法取引が行われていると情報があった、この劇場。そこに春日とふたりで侵入してから既に10分が経過している。ふたり掛かりで劇場内をくまなく探したのだが、違法取引の証拠どころか、組織の人間らしき者を見かけることさえなかった。春日の中で徐々に膨らむ懸念。そんな彼の眼に飛び込んできたのが、この珍妙な光景なのだ。彼はいま、違法取引が行われているという情報に対して、疑心暗鬼にとらわれているのだろう。

 先織にもその気持はよく分かる。しかし、彼女がいま気になることは、情報の正当性よりも何より――

(一体こいつら何なんだ?)

 閉館した劇場で、ミュージカルを鑑賞する観客と、舞台で踊る役者。重要なのはこの連中が、自身にとって危険となり得るかどうかだ。いまのところ、そういった要素は見受けられないが、不気味ではある。

 とここでホールに流れていた音楽の曲調が変わった。徐々にアップテンポに、激しくなっていく。それに合わせ、舞台上の男女のダンスも激しさを増し、目まぐるしく、躰をくるくると回転させる。

 ダン!と曲が終わる。舞台上では、エビ反りになった女性の腰を男性が支え、ふたりが腕を優雅に伸ばし、ポーズを決めている。

 一瞬の静寂。

 パチ……パチ……パチパチ……。

 客席から一つ、また一つと拍手が聞こえてくる。

 パチパチパチパチパチパチ!

 観客が総立ちで、舞台役者のふたりに拍手を贈る。先織が困惑した表情で春日の顔を見ると、彼もまた、彼女のことを見ていた。

 違法取引の現場。その場所で公演された謎の演劇。そしてこのスタンディングオベーション。この状況をどうしたらよいか分からず、先織は再び頭を抱えようとした。

 と――

 拍手の音が突然止んだ

 唐突に訪れた静寂に、先織は慌てて周囲を見回した。まるでホールが無人になってしまったかのような静けさ。だがもちろん、人間が突然霧になって消えたわけではない。舞台上の男女の役者も、それを鑑賞していた大勢の観客も、数秒前と同様、何事もなかったかのように、その場に静止していた。

(静止――だって?)

 近くにいる観客の一人――還暦を過ぎたであろう白髪の老人――を、先織はジッと見つめる。その老人は、拍手の途中――両手を合わせるような格好――で、空間に躰を縫い付けられたように、完全に静止していた。

 その老人だけではない。その他の観客も、舞台上の役者も、先織と春日を除いた、ホールにいる全ての人間が、身動きひとつしていない。瞬きどころか呼吸さえもだ。

「先織!コレは一体……」

 春日の狼狽した声が聞こえる。

「やられた!」

「先織?」

「わからないか?このホールにいる人間は人間じゃない」

 先織は苦々しく言った。

「私たちが探していた違法取引の証拠品――『器』だ!」

 すると――

「いかがでしたか?」

 静寂のホールに男の声が響いた。

 先織は素早く舞台に視線を投げた。その声の出処は――ホールの反響によって――正確には分からなかった。そのため、彼女が咄嗟に舞台を見たのは、単なる勘に過ぎなかった。しかし、その勘が的中した。

 男がひとり、舞台に立っていた。

人工知能を組み込んだ『器』たちによる演劇。人間のそれと比べれば、拙く恐縮ですが、楽しんで頂けたでしょうか」

 男はそう言って笑った。

「ようこそコルヴォ劇場へ。歓迎します。強行課の御二方」

 

 一週間前。情報収集を担当する部署から報告があった。とある組織がコルヴォ劇場を貸し切り、そこで『器』の違法取引を行っているというのだ。

 情報の出処は、実際にその組織から『器』を違法入手した男からだ。男は観賞用――あくまで男はそう言っている――として、20代女性の『器』を組織から購入した。それを、男の家で働く使用人が偶然見つけ――納戸に隠してあった――、警察に通報した。警察は男を逮捕。『器』の入手方法について男を取り調べた結果、取引のことが判明したのだ。

 以前から『器』を違法に取り扱った犯罪グループとして、その組織は警察からマークされていた。だが、その組織の中心人物である人物が狡猾な男で、なかなかその尻尾を警察に掴ませなかった。それだけに、この情報の正確性には意見が割れた。これほど簡単に情報が漏れたのは、何か裏があるのではないか――と。

 そこで神奈川県警上層部は、この情報を少数精鋭で調査することを決定する。そしてその実行部隊として白羽の矢が立ったのが、組織犯罪対策部組織犯罪対策治安維持強行課第二係。つまり、先織杏が所属する部署だった。

 本作戦の概要はこうだ。まずコルヴォ劇場を二係で監視。劇場へ『器』の運搬を確認――あるいは予測――した場合、劇場内に秘密裏に潜入。証拠となる物品を探しだす。

 証拠品を発見した場合は、迅速にそれを回収し、劇場内にいるであろう犯罪組織の人間を拘束する。もし反抗されるようなことがあれば、殺害も厭わない。

 だが、この作戦には――非常に低い可能性だが――例外があった。もし劇場内に、犯罪組織の中心人物である男がいた場合、その者だけは殺害せず、必ず生きたまま拘束すること。男の持つ情報は警察にとって非常に貴重であるがゆえ、万が一にも失われる危険を避けるための命令だ。

 その男は性別以外、本名、年齢、容姿、経歴などは一切不明。だが便宜上、男は自身が取りまとめる犯罪組織と、同じ名称で呼ばれている。それは――

 

「ストラス!」

 先織は拳銃をホルスターから引き抜き、舞台上にいる男に銃口を向けた。『器』の違法取引を行う犯罪組織。その中心的人物。組織の頭脳。ストラス。

 男は、先織の向ける拳銃を恐れる様子もなく、こちらに向かって頭を深々と下げた。

「これはしたり。自己紹介の前に、先に名前を呼ばれてしまいましたか。遅ればせながらではありますが、私がストラスと呼ばれている者です。貴方がた警察が捜索している組織『ストラス』を、力足らずではありますが、纏めてさせていただいてます』

 自身がストラスであることを、男はあっさりと認めた。

 先織は男から視線が逸れないよう注意して、周囲に意識を飛ばした。組織の実質的ボスであるストラスが、単独で行動するわけがない。必ず部下を何人か連れているはずだ。あるいはもうすでに、この客席で起立した『器』の影に隠れ、ストラスの部下が、こちらに拳銃を向けているかもしれない。

 しかしストラスは、こちらの意図を察したのか、笑ってこう言った。

「ははは。ご安心ください。この劇場には私と貴方がた以外、人間はおりません。その大勢の『器』を除いてですがね」

 ストラスは客席の『器』を見回して、顎に指をおいて続ける。

「確かに私たちは『器』の売買を、生業としていますが、もともとこの劇場は取引のために貸しきったわけではありません。お話はできませんが、私の個人的な理由があってのことです。ですからこの劇場のことを把握しているのは、組織でも私が特に信頼している部下だけに限られているのですよ」

 芝居がかったように首を振って、残念そうにストラスが言う。

「もっとも今回の件は、私のその信頼する部下による失態です。組織に隠れて、『器』を横流ししていたのですね。それについては、私も非常に残念に思っております」

 その言葉に、先織は無理やり笑った。

「それはご愁傷様。慰めの言葉でも掛けてあげようか?」

 先織が、ストラスから銃口を外すことなく皮肉る。それにストラスは笑って応えた。

「いえ結構。後ろ髪を引かれる思い出はありますが、この劇場は放棄することに決めました。ただ、折角の機会ではございますので、私たちを追いかけるリスクというのものを、貴方がた警察にお伝えしておこうと思い、こうしてお迎えした次第でございます」

 春日の表情が緊張で締まる。

「リスク……だと」

「ええ。端的に申しますと……」

 ストラスは右手を、おもむろに上げた。

「御二方には死んで頂きます」

 パチン!

 ストラスが指を鳴らすと、客席で静止していた『器』たちが、一斉に先織たちに襲いかかってきた。

「――ッ!」

 先織は反射的に、ストラスに向け、拳銃を発砲した。しかしその銃弾は、先織とストラスの間に突然割って入った『器』――中年女性――に命中して、防がれてしまう。「ちっ!」と先織は舌打ちをすると、掴みかかってくる一体の『器』を素手で殴りつけ後退する。そして即座に銃を構え、正面から襲いかかる三体の『器』に向け引金を引いた。連続した銃声がホールに響き、額を撃ち抜かれた三体の『器』が、崩れるように倒れ伏せる。

「わっ!なんだコイツ!」

 驚きながらも春日の行動は的確だった。組み伏せようとする『器』を蹴り、投げ飛ばす。そして素早くナイフを二本、腰のベルトから引き抜く。それを両手に逆手で構え、二体の『器』の喉元を同時に切り裂いた。

 先織は体術と銃撃を駆使し、襲いかかる『器』を次々と無力化していく。腕をへし折り、背骨を踏抜き、眼球ごと脳を銃弾で破壊する。

 その混乱の間隙を縫って、落ち着いたストラスの声が聞こえた。

「先程も申しあげたことですが、その『器』たちには人工知能が組み込まれています。研究段階で造った非常に不出来な知能ではありますが、簡単な命令であれば、予め組み込んでおくことが可能です。例えば単調なダンスを踊る。一定のタイミングに拍手をする。あるいは……」

 ストラスの声の調子が一段下がった。

「人間の殺害――などです」

 無表情で機械的に襲い掛かってくる『器』の群れ。それを捌きながら、春日が驚愕の声を上げる。

「馬鹿なありえない!『器』の脳に記憶や知能を書き込む技術は、国が秘匿している最重要技術だ!たかだか犯罪組織のリーダーが知り得ることじゃない!だいいち、人工知能を造っただって?デタラメを言うな!人間が造ることに成功した人工知能は――」

「アダム――ですか?」

 春日の言葉を引き継いで、ストラスが言った。彼はくるりと回れ右をすると、こちらに背を向け、肩をすくめながら話した。

「いくら隠そうとしても、秘密とは何処からか、必ず漏れてしまうものです。技術や知識といった、物理的な制約を受けないモノであれば、尚のこと。無論、信じるか否かは、貴方の判断にお任せします。ただ……」

 ストラスが舞台袖に向かって歩き出した。逃げるつもりだ。先織は腕を掴んできた『器』を投げ飛ばすと、グッと腰をかがめた。

「この『器』と我々とは、同じ仕組みで動いています。それは紛れもない真実です」

 そう言い残して、ストラスが舞台袖に消えた。先織はそれを見届けたあと、声を上げた。

「春日!私はやつを追う!ここの連中は任せていいな!」

「え?いや、流石に数が多すぎ……」

「任せたぞ!」

 先織は座席の背に飛び乗って、舞台に向かって一直線に駆け抜けた。寄ってくる『器』を蹴りつけ踏みつけ、進路を確保しながら徐々にスピードを上げていく。

「嘘!先織……って、どわあああ!」

 悲鳴を上げ『器』の大群に呑まれる春日。それを尻目に、先織は座席から跳躍し舞台に着地する。そこに、ふたつの『器』が、彼女めがけて、無表情で襲いかかってきた。先程まで舞台上で踊っていた演者のふたりだ。

 先織は身を屈めると、先行する男性の『器』に向かって走りだす。男の振り上げる腕を掻い潜り、相手の懐に潜り込む。肩を押し付けて相手の躰を浮かし、同時に両足を払う。男がバランスを崩し躰が宙に浮いた所で、力一杯殴りつけてやる。男の躰が転がり舞台上から客席に落下していく。

 続けて女性の『器』。こちらに突き出した左腕を脇の下に巻き込んで躰を捻る。ゴキンっと女の肩が外れる音が聞こえた。バタンと、背中から倒れた女の背中と地面との間につま先を入れ、豪快に脚を振り上げる。女の躰は宙を舞い、男同様に客席へと落下していく。

 追撃があるかと身構えるも、『器』たちはワラワラと客席で藻掻くだけで、舞台に上がってくる者は一人もいない。というより、上がることができないようだ。

 ストラスの言葉を思い出す。この『器』たちは、ストラスが組み込んだ、単純な命令のみを実行している。つまりそれ以外の――例えば舞台に上がるなどの――行動には、対応できないということか。案外お粗末なものだ。

 先織は舞台袖に向かって走りだした。

 

 『器』の追撃は執拗だった。

 四方八方から四、五体の『器』が同時に襲い掛かってくる。春日は堪らずホールを抜け、その先のロビーを駆け、劇場の外まで後退した。

 劇場の正面入口は、全面ガラス張りで、外からでも中の様子が、よく伺える。劇場ホールからロビーへ、大量の『器』が次々と流れ込んでいる。ほどなくして、その『器』たちは春日を追って、劇場外に出てくるだろう。

 春日は劇場の建物を眺めながら、強い焦燥に駆られた。自身に迫る『器』への危機感からではない。こちらの静止を無視してストラスを追った、先織に対してだ。

(ホント、勝手なことを……)

 春日は心のなかで毒吐く。

 その言動や振る舞いから、先織は計算高く冷静な人間に、見られがちだ。しかし、実際はその逆で、彼女は自身の直感をそのまま行動に移す、直情型の人間だ。そのため先織はよく無謀な行動を起こす。そして、そのフォローをするのは、いつも自分の役目だ。

(まあ、俺が勝手に決めていることだけど)

 先織を追いかけるには、まず劇場にいる『器』を突破する必要がある。劇場内で蠢いている『器』を、春日は睨みつけるように観察した。『器』の動きは、まるで糸で操られる人形のように、不格好で緩慢なものだった。襲いかかってきた時も、殴りつけるや武器を使うなど、技術的な攻撃などはなく、ただ目標に対し突進してくるだけで、無力化するのは春日にとっては容易だった。

 しかし、如何せん数が多すぎる。この劇場の収容人数は約300。『器』の正確な数は知りようもないが、客席をほぼ埋め尽くしていたことを考えると、それに近い数がいると、みていいだろう。それを全て、ひとりで相手するのは、流石に体力が保たないだろう。

(それならチームで対抗すればいいい)

 春日が劇場の外まで後退したのは、何も『器』から逃げ出したわけではない。劇場の外で待機している、仲間に助けてもらうためだ。

 『器』の一体が劇場外に出てくる。

 そして、ガンッと『器』の頭が後方に弾け、ちぎれ飛んだ。地面を勢い良く転がる『器』の頭部。その額には、直径3センチ程度の、小さな穴が空いていた。

 そして、劇場周辺に哄笑が響く。

「キャハハハ!来た来たついに来たぜ!活躍の場が来やがった!今日はこのままお留守番かと思ったが、やっぱ神は俺の無敵っぷりを欲していると見えるなあ!ギヒヒヒヒヒヒ!」

 劇場の正面入口。その一階と二階の境目にあるでっぱりに、小柄な男が仁王立ちしている。その男はひとしきり笑うと、ビシリとコチラを指さしてきた。

「よく見てやがれ先織!この俺のスーバーカッコイイとこを目ン玉に――って、いねぇえええええ!あの女!何処行った?」

「ヘンテコな男を追ってったぞ」

「男を追いかけただと!それはつまり、恋愛的な何かか?」

「違う」

「そうか。ならいい」

 男はそう言うと、ピョンとでっぱりから跳び降りて、外に出てきた『器』の群れの中心に落下してゆく。一瞬あと、四体の『器』が前後左右に勢い良く弾かれ、周辺ビルの壁にめり込んだ。その飛ばされた『器』の躰の中心には、拳大の窪みができている。規格外の力でぶん殴られ、骨ごと内臓をぐしゃぐしゃに破壊されたのだ。

 『器』の群れの中心に立ち、高々と拳を上げている小男。鋭い三白眼に炎を宿し、その男――瀬戸せと清人きよとは声高に叫んだ。

「よしテメェ等!とりあえず殺される準備をしろ!遠方にいる家族、親戚に手紙を書きたい奴は名乗り出ろ!2秒待ってやる!あ、いや、やっぱそんな待てねぇ!どせぇえええ!」


(瀬戸の奴、相変わらずせわしないな)

 狙撃銃を構えた大柄の男は、照準がブレないよう慎重に息を吐いた。劇場前では、瀬戸が縦横無尽に暴れ回り『器』を殴りつけている。彼は本能で動くタイプだ。動作に統一性がない。遠距離サポートのコチラとしては、彼を誤射しないよう神経を張り詰めておく必要がある。迷惑な男だ。

「今どこですか?」

 インカムから聞こえた春日の声に、男はボソリと答えた。

「『ROUND PARTY』の屋上だ。劇場の向かいの二つ奥のビル」

「先織が先走りました!サポートに向かいたいのですが、ここを任せても大丈夫ですか?」

「駄目だ。瀬戸ひとりでは負けないにしても、この数は時間がかかる。お前と瀬戸、ふたりでこの場を収めろ。ひとりの勝手な行動で、他の仲間を危険にさらす真似は許さない」

 ハッキリと春日に告げる。冷たいようだが仕方がない。考えるべきは個人より全体の利益だ。この場に司令塔がいない現在いま、最年長の自分が、その役割を担わなければならない。

「……係長はまだこれませんか?」

 春日が、本来ここにいるべき司令塔の所在について、訊いてきた。男は嘆息し答える。

「上層部にまだ捕まっている。重要な案件なんだろう。こんな不確定の調査などより、よほどな。何にしろ、期待はするな。俺たちだけでもこの任務の遂行に問題はない。そう判断したから、奴も作戦を中止しなかった」

「……分かっています。すみませんでした」

 春日はそう言って、通信を切った。

(やれやれ。若いな)

 意識を再び戦闘に集中させる。息を止め暫く待つ。劇場の正面ガラス。その奥に見える二体の『器』。その頭が照準線レティクルの中心で重なった。大柄の男――大内おおうち虎之助とらのすけは、機械のような正確さで引金を絞った。


「ストラス!」

 先織は、逃げる男の背に銃口を向けて、声を上げた。ストラスはピタリと止まると、薄い笑みを浮かべて振り返る。

 先織がいるこの部屋に照明は点いていない。しかし、天井付近に設置されている採光用の窓から月明かりが差し込み、部屋を満たしている暗闇は薄く青みがかっていた。その僅かな光量を頼りに、先織は部屋の様子を観察する。

 どうやら、ここは倉庫として利用されている部屋のようだ。舞台で使用する機材を格納しておくであろうこの部屋には、いま、ハンガーに掛けられた大量の衣装が吊るされていた。男性用と女性用、子供から大人、フォーマルなものからカジュアルなもの、西洋風の衣装が多いなか、何故かスクール水着までがあったりする。ホールにいた何百体もの『器』。恐らくその『器』たちの衣装として、ストラスが予め運び込んでいたのだろう。

 先織は装備しているインカムに、そっと手を添える。ここでする会話は、全て記録されている。その事を意識して慎重に言葉を選ぶ。

「逃げられると思っているのか?」

「ええ」

 ストラスの返答は軽いものだった。

「この先に搬入口があります。そこを通れば、正面を見張っている貴方のお友達にも見つからず、逃げることができるでしょう」

「私がソレを黙って見送るとでも?」

「無理でしょうね。ですからこうします」

 ストラスがそう言った直後――

 ドンッ!と衝撃が、先織の右脇腹を叩いた。

「がっ……!」

 息が詰まった。左に吹き飛ばされ、壁に激突する。自分の身に何が起こったのか。すぐには理解できなかった。ただ混乱する頭のなかで、危険信号だけが煌々と照っていた。

 動かなければ殺られる。

 右脇腹の激痛。壁に叩きつけられた衝撃。焦点を結ばない視界。まともに動くことのできない躰に活を入れ、無我夢中で身を躱す。

 ドガァ!

 破壊音が耳元から聞こえてきた。さっきまで自分の頭部があった場所だ。先織は身を躱した勢いそのままに、床を無様にゴロゴロと転がって、この危機から、距離と回復する時間をかせぐ。喉元にこみ上げる嘔吐感を抑えこみ立ち上がる。揺れる視界に人影を捉えた。

 スキンヘッドで彫りの深い顔立ちの男。筋骨隆々の躰に、ツーサイズは小さいであろう服を無理やり着こんでいる。

 その男はゆっくりとした動作で、突き出していた右手――壁にめりこんでいる――を引くと、ジロリと先織の方に視線を向けた。その表情は、ホールで見た観客や役者同様、一切の感情が表れていなかった。

 先織は瞬時に状況を把握する。右脇腹の衝撃。あれは、この男の丸太のような脚から繰り出された、回し蹴りか何かだろう。そして、背後からの不意打に畳み掛けて右ストレートを打ち込み、こちらの脳髄をグチャグチャに潰すつもりだったらしい。

 もちろん、それほどの力で殴りつければ、男の拳とて無事ですむはずはない。事実、男の拳は、皮膚が裂け、骨が肉を突き破って露出していた。しかし男は、それを一切意に介していない様子だった。つまりこの男も――

人工知能AIで動いているということか?」

「ええ。私の護衛用として特別にカスタマイズした、戦闘に特化した人工知能AIです」

 そしてストラスはニヤリと笑った。

「さて、戦闘面において定評のある強行課の方と、私の造り上げた戦闘知能。どちらが優れているのか。見せていただきましょうか」

(クソったれ)

 内心で毒づきながらも、先織はキッと気を引き締めた。先程の一連の攻防。不意を突かれたとはいえ、いま自分が生きているのは、単に運が良かったからだけにすぎない。

 全力で戦わなければ殺される。

 そう自分を戒めると、無表情の筋肉男に、意識を鋭く集中させていく。

 躰はだいぶ回復してきた。痛みや引きつりを無視すれば、普段通りに動くことができるだろう。しかし筋肉男と自分との体格差は歴然。武器が必要だ。

 戦闘服の各収納部には、ナイフやスタンガン、ワイヤーなどが装備されている。だが痛みや躊躇のない人工知能AIを相手にするには、この装備だけでは心もとない。彼女は視線を落とす。不意打ちを受けた時に落とした拳銃が、筋肉男の足元に転がっている。一撃で脳髄を破壊することができる必勝の武器。

 先織は太腿のベルトからナイフを二本抜き取り、それにワイヤーを括りつけた。そして呼吸を整えると、態勢を低く構える。鉛筆を削るように、神経を尖らせながら、踏み込む足の位置を、ミリ単位で微調整する。息を止め、全身の神経を掌握する。自身の心臓の鼓動音で、タイミングを見極める。そして――

 全力で駆け出した。

 走りだすと同時に、素早く筋肉男の頭部に向け、ナイフ二本を投擲する。

 ブオン!と筋肉男が右腕を振るい、顔に迫る二本のナイフを払う。ナイフが男の右腕に刺さり、血が飛び散る。だが筋肉男は、まるでひるむ様子はない。

 問題ない。姿勢をより低く、地面すれすれまで屈めて加速する。ナイフの投擲により相手の注意が自分から逸れた。その僅かな隙に、相手の死角に潜り込む。

 痛みの残る躰を酷使しながら、冷静に計算する。拳銃まで距離はまだある。辿り着くには、もう一手必要だ。

 こちらに気付いた筋肉男が、拳を振り上げ迎撃態勢を取る。細身である自分の躰など、粉々に砕いてしまいそうな太い腕。それがいまにも、放たれようとしている。

 だが遅い。

 走りながらスタンガンを取り出し、ナイフに括りつけておいたワイヤーの端に、スタンガンの電極部を押し当てる。

 パン!と空気が弾ける音。

 二本のワイヤーを通して流れた高圧電流が、男の動きをコンマ何秒か止めた。彼女は最後の蹴り足に全力を込める。

 拳銃まであと僅か。タイミングは微妙だ。腕を大きく伸ばし――拳銃を掴んだ。

 グシャ!

「がぁああああああああああああああ!」

 激痛に叫ぶ。

 拳銃を掴んだ左手。その左手を、筋肉男の右足が、拳銃ごと踏み抜いた。

 踏みつけられた手を引き抜こうと藻掻くも、まるで万力に締め付けられているみたいに、びくともしない。相変わらず筋肉男に表情はないが、踏みつける力は徐々に、だが確実に強くなってゆく。奇妙にねじれた指が男の足の下から覗き、細かく骨が砕ける音が聞こえてくる。既に左手の感覚はない。先織は脂汗を流しながら、こぼれ広がっていく血溜まりを、為すすべもなく見ていた。

 そこに、ストラスの陽気な声がかけられる。

「勝負ありですね。その人工知能AIは、一度捕まえた敵を放すことは、決してありません。可哀想ですが、貴方にはこのまま死んでいただきますよ」

 ストラスの声に従うように、筋肉男が腕を振り上げる。負傷した躰に大量の出血。散り散りなる思考をなんとかまとめて、打開策を必死に考える。

 そして、ある光景を思い出した。この劇場であった、ほんの数分前の出来事。ホールにいる大勢の観客。人工知能AIを組み込まれた『器』たち。その『器』たちが、客席から舞台に上がれず、藻掻いている姿。

 瞬間、脳裏に光が走る。

 無事な右手で、腰のベルトからナイフを素早く抜き取ると、逆手に持ち構える。

 筋肉男が先織めがけ拳を振り下ろす。

 先織はナイフを自身の肩口に突き立て――

 そのまま左腕を切り離した。

 先織は、筋肉男に踏みつけられた左腕をその場に残し、後退する。筋肉男の拳が彼女の髪をかすめ、床に突き立てられた。

 ドガン!と床が砕ける。

 そして筋肉男は――

 そのまま静止して動かなくなった。

 ストラスがポカンと眼を丸くしている。先織は残った右腕を支えにして、なんとか立ち上がる。そして、筋肉男の背後にふらふらと回りこもうとする。筋肉男の視線は、ピタリとこちらを見据えている。しかし決して動こうとしない。朦朧とする意識のなか、先織は歩きながら無理やり笑った。

「なるほど……確かに……決して……放さない……ようだな……」

 筋肉男は踏みつけた先織の左腕を、決して放さそうとしない。先織が背後に回っても、背後を振り返ることすらない。踏みつけた彼女の左腕が外れる危険はおこさない。例えその腕が、千切れた腕であろうと。

 人間にとって簡単なことが、人工知能AIを組み込んだ『器』たちにはできない。例外を許容し、状況に応じた対応を取ることができない。舞台に上がることができない。動くはずもない千切れた腕を無視することができない。

 人間が決めたシナリオを、愚直に遂行する『器』たち。愚直に遂行する以外、何もできない『器』たち。それは仕方がないことなのだろう。造られたモノは創造主に逆らうことができないのだから。逆らう仕組み自体が、与えられていないのだから。

 私たち人間が神に逆らえないように。

 人工知能AIにとっての神は人間なのだから。

 先織は無言で、筋肉男の背中にナイフを突き立てた。丁度心臓に当たる部分。筋肉男は何も言わず、膝から崩れ落ちた。

「……驚きましたね」

 ストラスから、余裕の笑みが消えている。それに僅かな小気味よさを感じながら、先織は倒れた筋肉男の足元から、拳銃を拾い上げた。床がめり込むくらい力強く踏みつけられた拳銃だ。どこかの部品に歪みが生じ、引金を引くと同時に、暴発しないとも限らない。できれば使いたくはないが、もうこの場から一歩だって動けそうにない。危険を承知で、先織は銃口を、ストラスに向けた。

 ストラスはそんな先織の行動を見て、呆れたように言った。

「豪気なお方だ。既に致命傷とも言える怪我を負ってなお、職務に従うとは」

「……動く……なよ。もうすぐ……他の仲間が……来る……もう……逃げられない……ぞ」

 インカムを通して、会話は常に録音されている。先織は慎重に言葉を紡いだ。

 ストラスは肩をすくめ静かに言う。

「申し訳ありませんが、ここで捕まるわけにはまいりません。私はまだ、多くの研究課題が残っていますので」

 トントン……トン、とストラスが靴で地面を叩き始める。

「完全なる人工汎用知能AGIアダム。それと同水準、或いは上回る新しい人口超知能ASIの開発。それを達成するまでは、何者にも私の研究の邪魔はさせません」

 トン……

 突然先織は、背後から躰を抱きかかえられ拘束された。

「――!」

 背後を見やると、先織を拘束しているのは、心臓を突き刺し倒した筋肉男だった、口からおびただしい血を流し、眼球は虚空を見つめている。人間味を失ったその顔に、先織は生理的な恐怖を覚えた。

「死を引金トリガーとして起動するプログラムです。人工知能AIに予め組み込んでおきました。まさか使うことになるとは思いませんでしたが、備えあれば憂いなし――ですね」

 ストラスは説明をしながら、スタスタとこちらに近づいてきた。

「――ぎ!」

 必死に拘束を解こうと全力で藻掻く。しかし体格差プラス消耗しきったこの躰で、ガッチリとロックされたこの腕を解くことは不可能だった。

 そして徐々に、拘束する男の腕の力が強くなっていく。躰の中から、骨が折れる鈍い音が聞こえた。口から大量の血が吐き出される。折れた肋骨が肺に突き刺さったのだろう。

 聴覚を満たす、自身の躰が壊されていく絶望的な音。その音に混じって、ストラスの陽気な声が、聞こえてきた。

「お別れですね。ただ……」

 視界は白く濁り、既に何も見えない。しかし、眼の前まで近づいてきたストラスが、ニヤリと笑ったことだけは、不思議と分かった。

「またお会いするかもしれませんね」

 バキンッ!

 決定的な何かが砕かれる音。

 その音を最後に、先織杏の意識は闇に包まれ消滅した。

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