第4話 麻木凛音 その1

 麻木あさき凛音りおんは、時と場所に関係なく、笑顔を絶やすことない明るく元気な――そして少々、騒がしい少女だった。

「凛音……お前は少しの間くらい、静かにはできないのか?」

「え?」

 きょとんと凛音。顎に指を当て「うーん」と考えこむ仕草をする。そのまま数秒。暫くすると小首を傾げながら訊いてきた。

「もしかして遠回しにうるさいって言ってる?」

「直球でうるさいと言ったつもりだったが」

 ゲンナリと先織杏。

「えええええ!全ッ然うるさくないよー!普通だよ!普通に話してるだけじゃん!どうしてそんな傷つくこと言うの!」

 凛音が手をブンブン振り回しながら抗議の声を上げた。よほど頭にきたのか、頬をプーっと膨らましている。

 先織はこめかみを押さえ、静かに問う。

「凛音」

「何?杏ちゃん」

「ここはどこだ?」

「……哲学的な意味で?」

「いや、物理的な意味でだ」

 凛音はぐるりと頭を回し、周囲を確認した。

「……図書館にも見える」

 図書館だ。

 神奈川県横岳市立図書館。電子書籍から珍しい紙媒体の蔵書も取り扱っている、市内で最も多くの書籍を扱っている場所だ。

 電子媒体の書籍が一般に浸透したのは21世紀前半と言われている。だが、市立図書館で全書籍の電子データ化が本格的に始まったのは、21世紀後半であるらしい。そして、改築を繰り返すこと数回。2156年の現在では、紙媒体の書籍は全て地下の書庫に厳重に保管され、貸出も行っていない。この時代、一般的に貸出と言えば、それは電子書籍のことを指している。電子書籍はインターネットを利用した貸出も行っており、わざわざ図書館に足を運ばずとも、好きな本を好きなときに借りることが可能だ。

 しかし先織は、あくまで図書館で本を選び、試し読みをしてから借りるのが好きだった。紙媒体の書籍を全て地下に移動したおかげで、地上階は広々と開放的で、空調も人間にとって最適なものとなっていた。またドリンクバーも併設されており、市民カードに溜めたポイントを使えば、無料で利用することもできる。

 だが、先織が図書館を気に入っているのは、そのようなところではない。図書館では、本を読む人のために、誰もが意識的に静かに振る舞う。その静寂がたまらなく好きなのだ。

 だからこそ、その静寂をぶち壊しにする凛音の態度が、許せなかった。彼女は隣に座っている凛音をジロリと睨みつけると、抑えた声で、誠心誠意、真剣な面持ちで、注意する。

「ここは健全で高尚な精神をもった人間が雑多な俗世から離れ、魂を浄化する場所だ。君のような社会不適合者は家に帰れ。あるいは山とか川とかで埋まるなり沈むなりして地球に還れ」

「杏ちゃん……なんかそれ怖いよ」

 怖がらせた。良し。

 凛音を叱りつけてやるつもりが、つい、いつもの調子で軽口を叩いてしまった。

 先織は嘆息すると、手元の端末を操作して、空間に投映されたディスプレイを閉じる。本は読みかけだったが、大して面白くもなかったので、別に構わないだろう。結局のところ、自分が最も安らぎを感じるのは、凛音とふたりで話をしている時なのだから。

「それにしても、お前と図書館とは、またアンマッチな組み合わせだな。一体全体何をしに来たんだ?本を読むためなわけないもんな」

「どうして決めつけたの?ショック!」

 口をあんぐりと開け、大げさにショックを受けている凛音。だがすぐに「まあ確かに違うけと」などと言い、少しだけ神妙な顔をする。

「うんとね……杏ちゃんが、ひとりで寂しいくないのかなって思ったから」

 思いがけない言葉だった。

 先織がひとりで図書館に来たのは、この静かな空間が好きだからだ。決して寂しいなどと思っていたわけではない。寂しいなどと思ったこともない。

 むしろ、清々している。

 青葉児童養護施設。あそこは煩すぎる。四六時中、音で溢れている。自分に無関係な音で溢れている。自分に無関心な音で溢れている。

 自分に無関心な人間で溢れている。

 だから、施設から消えてやっただけだ。誰もが望むことをしてやっただけだ。

 もちろん、自分にとっても――

 と、凛音が心配そうにこちらの顔を覗きこんでいることに気づいた。突然こちらが黙りこんだことに不安を感じたのか、いつも明るい少女の表情に影が落ちている。

 そんな凛音の顔は見たくなかった。先織は気持ちを切り替え、少し大袈裟なぐらい明るく、凛音に言葉を返した。

「いまの答えになってないぞ。寂しくないかと思ったから図書館に来た?おい凛音。お前は私が寂しがっていたら、何処にでも現れることができるってのか?」

「そうだよ。だって友達じゃん」

 また答えになっていない。やれやれ。まあいい。大方、私が図書館に入っていくのを偶然見かけたとか、そんなところだろう。

 そう考えていると、凛音はグッと拳を握りしめ、力強くこう言ってきた。

「友達が辛い思いをしていたら、一緒にいてあげるのが友達としての使命だと思うの!だからGPSのひとつやふたつでガタガタ言っちゃいけないと思うの!」

「仕掛けているのか!どこに?」

 立ち上がって体中を弄る。ワサワサと発信器なるものを必死で探していると、後ろから怒鳴り声が聞こえた。

「お嬢ちゃん!さっきから騒いで駄目じゃない!図書館では静かにしなさい!」

 背後を振り返ると、図書館の職員が肩を怒らせ、こちらを睨みつけていた。確かに騒ぎ過ぎたが、自分だけが怒られるなんて理不尽だ。バッと先織は凛音を指さして「違います!コイツが……」と言いかけて言葉が止まる。

 さっきまで凛音が座っていた席は、空席となっていた。

 苦々しく、先織は思う。

(あいつ……逃げやがった……)

 何が友達だ……クソ!

 先織は、職員の延々と続く説教を聞き流しながら、心のなかで唯一の友人に向かって、口汚く罵り続けた。

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