第16話 髪の毛は個人情報
「これが……僕がこの店に来た理由。そして、大量万引き事件と今回の万引き、二つの事件の犯人であると思われる、裏天津家が罪を犯した理由です」
「長過ぎ! こういうのは、百字以内にまとめて簡潔にするべきじゃん?」
即座に西園が怒り、暦が思わず頭を捻る。
「えーっと……天津家は千年前から続いていて、天津君は本家。馬鹿な祖先を持つ分家が、自分達が正義の味方になるべく、まずは正義の味方が活躍できる舞台を作ろうとして犯罪を犯している……って事で良いのかな?」
力無く、栗栖が頷いた。はぁ、と深いため息を吐く。
「万引きなんて、言ってしまえば地味な犯罪……繰り返したところで正義の味方が活躍する舞台なんて作れるのか、と思われるかもしれませんが……結局万引きは、奴らにとってほんの下準備の一つに過ぎないんです」
「どういう事?」
「……万引き犯は皆、裏天津家の人間ではありません。裏天津家に操られた、極々普通の一般人です」
「は……!?」
暦と西園が絶句し、松山と二川の顔も真剣なものになった。栗栖は休憩室からミネラルウォーターのペットボトルを持ってくると唇を少しだけ湿し、また口を開く。
「人間には、操り易い人間と、操り難い人間がいるんです。操り難い人間とは、確固たる己の意思を持ち、簡単な事では揺らがない。困難に見舞われた時、自らの力で立ち向かっていく事ができる強い人間です。そして、操り易い人間とは……」
「……今までの話から考えると……心の弱い人間? 自信が無く、何かしらの不平不満を持ち、外部から少しでも圧力を受けると折れて自分の意思を貫き通せなくなるような……?」
その通りと、栗栖は頷いた。その振動で、手にしたペットボトルの中身がちゃぷんと揺れる。
「裏天津家は、外を歩いている人々の中から、心が弱りかけている人間を探しだし、近付きます。千年もの時をかけて磨き上げてきた術を使い、相手の個人情報をいともたやすく手に入れて……その情報を元に、相手に呪いをかけるんです」
「呪い……」
平成のこの時代に、これほど似合わない言葉があるだろうか。そもそも、呪いをかける事ができるほどの個人情報とは。
「名前と住所と生年月日、それに髪の毛の一本でもあれば充分ですからね。式神に後をつけさせれば、何の苦も無く手に入る物ばかりです」
家までついていけば名前と住所はわかる。式神なら住居への侵入は容易く、侵入してしまえば髪の毛の一本くらいすぐ手に入る。免許証、保険証、学生証……生年月日のわかる物だって、誰だって一つくらいは持っているだろう。
「裏天津家は、目星を付けた人間を操り、小さな罪を犯させます。万引き、ねこばば、歩きスマホをして前が見えていない人間にわざとぶつかる……。そうして罪を犯させて、しばらくすると呪いが解けるんです。すると……どうなると思いますか?」
「どうなるって……何も覚えてないんじゃないの?」
栗栖は、緩やかに首を振った。
「いえ、全て覚えています。覚えているように、裏天津家が仕組んでいるんです」
「何で? 覚えてたら、どうなるワケ?」
西園の問いに、栗栖は「二つに一つです」と答えた。
「ある人は、罪を犯したという事実に思い悩み、気分がどんどん落ち込んでいきます。元々弱りかけていた心ですからね。あっという間に闇の底まで落ち込み、強力な邪悪なるモノを生み出す事でしょう。そこで生み出された邪悪なるモノの近くには、僕のような陰陽師はいません。いたとしても、監視していた裏天津家です。調伏する者がいないまま邪悪なるモノは暴走を始め、街の人々に危害を加えるようになる……」
「……二つ目は?」
暦の問い掛けに、栗栖は顔を歪めた。一つ目よりも、更に厄介な結末らしい。
「もう一つのパターン……。小さな罪を犯した事で、リミッターが外れるパターンです」
「リミッター?」
「えぇ」
頷き、栗栖は大きく息を吸った。そして、深く深く吐く。
「小さな罪を犯してしまった。もう、自分は失う物は無い。……そう考えて、今まで我慢をしていた事が馬鹿らしくなる。そうして、更に大きな罪を犯すようになる……そんな人もいます。勿論、その場合でも邪悪なるモノは生み出されて、暴走を始めます。ネガティブな……負の感情がそこにあるわけですからね」
「じゃあ、その……裏天津家を放っておくと……」
「早めに手を打たないと、街中に邪悪なるモノが満ち溢れます。落ち込みやすくなる人、体の調子がおかしくなる人が、続出するでしょう。……酷いと犯罪が増え、この町の治安は悪化の一途をたどる事になります」
「そんな……」
そんな、一族同士の馬鹿馬鹿しい争いのために町一つ巻き込むというのか。……いや、治安の悪化という物は、周りの町にも伝染する。下手をしたら、国一つ丸ごとおかしくなってしまう可能性だってある。
「なんて迷惑な一族なんだ、天津家……」
暦の呟きに、栗栖がムッと顔をしかめた。
「何言ってるんですか、本木さん! 迷惑なのは裏天津家ですよ! 表天津家は、むしろ振り回されている被害者です!」
「一族だけで片を付けないで、町の本屋を巻き込んでるあたり、表も充分迷惑だし!」
切り捨てるような西園の言に、栗栖は「うっ」と言葉を詰まらせる。ここを攻め時と言わんばかりに、西園が更に問いをぶつけようとする姿勢を見せた。その時だ。
扉を挟んで、店の方から叫び声が聞こえてきた。次いで、バン! という音と共にスタッフの一人が入ってくる。その手は、三十代と思われる男性の腕を掴んでいた。
「店長、コミックコーナーでまた一人かかりましたよ。式神にビビり過ぎてウンコ漏らしてるんで、椅子に座らせないまま尋問するようにしてください」
無慈悲な報告をさらりとして、スタッフの青年は暦と西園の方を見た。
「あ、本木さんと西園さん、そろそろ店に戻ってください! 俺、今からこいつの尋問に立ち会うんで」
暦と西園は、思わず鼻を摘みながら頷いた。トイレぐらいは行かせてあげた方が良いんじゃないだろうか。
「……村田君、やり過ぎないようにね?」
「誰に向かって言ってんスか、本木さん? 俺、後輩達には仏の村田って呼ばれてんですよ? ……あ、二川さんもいたんですね。良い機会なんで、ご指導よろしくお願いします!」
ほどほどに済ませる気は無いな。何が仏だ。
「仏って言うか、皆が想定してる村田さんのイメージ、阿修羅だし」
「……正義を司る戦闘神? それは、また……」
村田がそんなイメージを後輩達に持たれている事など、初めて知った暦である。暦の目が届かないところで、一体何をやっているというのか。
胸元で十字を切り、哀れな万引き犯の心の冥福を密かに祈りつつ、暦は西園と共にバックヤードを後にした。背後から、松山と栗栖の会話が少しだけ聞こえた。
「うーん……このお馬鹿さんが捕まったって事は、呪符の不具合じゃなさそうだね。やっぱり、裏天津家か」
「そうだと思います。こうして、僕のテリトリーで万引きを完遂させて……自分達の力が僕より……いえ、表天津家よりも上だと示したかったんでしょう」
「お馬鹿だねぇ。そんなお馬鹿を相手に、時には命までかけなきゃいけないっていうんだから、お疲れ様だね。こりゃ、一層早く目当ての人物を手に入れないとね、天津君」
「はい。……さて、それはさておき」
「そうだね。まずは、姿の見えないお馬鹿さんじゃなくって、目の前のお馬鹿さんに地獄を見せてあげようか」
そこで、扉は完全に閉まってしまった。邪悪なるモノが発生する気配を感じてしまいながら、暦と西園は顔を見合わせる。
「……本木さん、どう思う?」
「どうって……馬鹿だなぁ、とか、迷惑だなぁ、ぐらいにしか……」
暦の答に、西園は「そうじゃなくって!」とじれったそうに言った。
「店長も天津さんも、まだ何か……隠してる気がする」
西園の顔が険しい。「それに……」と言葉を足した。
「二川さんも。さっき説明された事以外にも何か話を聞いてて、それを私達に隠してるような……」
暦も、「うん」と頷いて見せる。
「そんな感じだったね。……けど、あの場で追及したところで、相手が二川さんじゃ、何も話してくれなかっただろうなぁ……」
「そもそも、万引き犯を捕まえた時って、この店じゃ店長と天津さんと、捕まえたところに居合わせたスタッフでやるじゃん? 何で二川さんがそのままバックヤードに残ったわけ?」
それは、暦も不思議に感じた。今回の万引き犯は女性ではない。だから、二川が同席する必要は無い。もう一人スタッフがいた方が良いという判断なら、経験年数が長い上に男性である暦を残して、二川を店に戻しそうなものだ。
「……店長も、何考えてるんだろうね……?」
ため息を吐きながら、二人揃ってレジへと向かう。扉を挟んだバックヤードから、男の悲鳴が聞こえるような気がした。
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