第17話 黒幕登場

 レジを西園に任せ、暦は店内の巡回へ行く事とする。万引き犯が出たのであれば、売り場が乱れているかもしれない。それに、村田の話では犯人は大きい方の粗相をしてしまったらしいので、場合によっては掃除も必要だろう。

 床に茶色い物が落ちてたりしなきゃ良いな、などと考えつつ、暦は恐る恐るコミックコーナーへと向かう。すると、何やら人影が見えた。

 ……いや、影と言うか、黒い人間だ。全身、影のように真っ黒い。

「……?」

 目を凝らして、じっと見る。それで、わかった。別に、推理漫画の犯人像のように全身が黒い人間、というわけではない。単に上から下まで黒づくめでコーディネイトしているだけのようだ。

 黒のジャケットに黒のロングパンツ、黒いブーツに黒い皮手袋と、ギャングのような黒い帽子。帽子と皮手袋とブーツ、ジャケットには燻色の金具を使ったベルト飾りがついている。

「何と言うか……こじらせてる……」

 中学生から大学生ぐらいの若者の一部が罹患する事があるメンタル的な病を。今見えているのは後ろ姿だが、前から見れば多種多様なシルバーアクセサリーも見えるかもしれない。歳は、体格や姿勢から考えて暦と同じぐらいだろうか? 髪を肩まで伸ばしているが多分、男だ。

 そんなちょっと話しかけるのに勇気が要りそうな格好をした人物は、コミックコーナーで棚をじっと見詰めている。本を探すでもなく、立ち止まってスマホを見ているでもなく、ただ、棚をじっと見詰めている。

 ……怪しい。そう思わせずにはいられない、何かがある人物だ。

 何か良からぬ事を企んでいる。そう見えてしまうのは、考え過ぎだろうか。さっき聞いた天津家の話の影響か、はたまたここ一ヶ月ちょっとの間に非現実的な対万引き犯対策を見てきたからか、どうも暦の脳も非現実的になりつつあるようだ。

 一応、怪しい事は怪しいんだし、おかしな事をしないか気にはかけておこう。そう考えて、暦は辺りの埃をハンディモップで掃いながら様子を伺う事にした。

 バックヤードの方から、バタンと扉が開いて閉まる音が聞こえた。ぼそぼそ微かに聞こえてくる話し声は、松山と警察官のものだろうか。先ほどの漏らした万引き犯が連行されていくらしい。果たして彼は、パトカーの座席に座らせてもらえるのだろうか。

 ぼんやりと考えながらハンディモップを動かし、それと同時に黒づくめの人物の動向に目を光らせる。……が、常日頃から人手不足の書店業。音妙堂はマシな方だが、それでも日々の業務量を考えるとスタッフ数は多くない。別の仕事が発生すれば、見張りはそれまでだ。

「すみません、この本を探しているんですけど」

 振り向けば、会社員と思わしき女性がメモ用紙を暦に差し出してきている。見覚えのある作家名だ。もう少し詳しい事を訊いてみれば、「新書らしい」という答が返ってきたので、女性と共に新書コーナーへと向かう。途中でレジの前を横切ったら、何故か西園が睨んできた。二川が後を通りざまに「浮気は駄目ですよ」などと言ってくる。

 首を傾げながら新書コーナーへ案内し、目当ての本が無いか探してみる。三分ほどで見付かり、女性が嬉しそうにレジへ向かっていく。その後姿を、何となく嬉しい気持ちになりながら見送って、暦はコミックコーナーに戻った。

 しかし、そこには既に、先ほどの黒づくめの姿は無い。単に帰っただけなのか、それとも何かひと仕事して消えたのか。

 おかしな点は無いかと、コミックコーナーを一巡りする事にする。少年漫画の棚に、不自然な空きがあるような気がした。近寄って、よく確かめようとする。意識が、その棚だけに向かった。

「おやおや、隙だらけじゃありませんか。とても、表天津家に関わる者とは思えませんねぇ」

「!?」

 耳元で声がして、反射的に振り向く。先ほどの黒づくめが、目の前にいた。予想通り、シルバーアクセサリーをじゃらじゃらと身に付けている。そして、後から見た時以上にベルトだらけの服だ。陰気な顔付きだが、割とイケメンで、中性的な印象である。どこか、栗栖に面影が似ているように思えた。

「まさか、裏天津家……」

「気付くのが遅いですよ。音妙堂書店アルバイトチーフ、本木暦さん?」

 言うや、黒づくめの裏天津は右手を素早く動かし、暦の胸を突いた。

「かはっ!?」

 一瞬呼吸が止まったかと思うと、次の瞬間には暦の目には床しか見えなくなっている。倒れたのだと理解するまでに、十数秒かかった。

「気道に関わる一点、兪府に圧力を加えました。どうです? 動けないでしょう?」

 兪府、聞いた事があるな……と、上手く働かなくなっている頭でぼんやりと思う。そして、働かない頭でもよくわかるのは、今暦は、嘗てないほどピンチな状況に陥っているという事だ。

「何を言っているんですか? 兪府はたしかに気道に関係ありますけど、気道の病気の治療に用いられたり、肋間神経痛による胸の痛みや気管支炎の胸苦しさを和らげるにも効果がある健康のツボですよ。本屋で普通に売ってるツボの本に載っているツボに、そんな危険な効果があると思ってるんですか?」

 ゆっくりとした足音と、栗栖の声が聞こえた。彼の登場にここまでホッとした事は無い、と暦は思う。

「……まぁ、どうせ霊力を無理矢理本木さんの体に叩き込んで一時的に動けなくしたけど、それだけだと何となくカッコ良さの決め手に欠けるから、触れた部分にあるツボの名前を適当に言ってみただけなんでしょうね。裏天津家のやる事なんて、そんなもんですから」

「……現れましたね。表天津家当主、天津栗栖……!」

「現れるも何も、僕はこの一ヶ月と少し、毎日この店にいましたよ? それは寧ろ、お前達との因縁の対決――今回分を早く終わらせたい僕の台詞です。……裏天津家当主、天津栗庵!」

 あぁ、やっぱり栗の字はつくのか。

 あまりの急展開に、頭が追い付かない。どうでも良い事ばかりが頭に浮かび、そして消えていく。

「栗の字には今更ツッコミを入れる気もしませんけど、平成の世で名前に庵ってどうなんですか? あと、特に専門的に学んだわけでもないのなら、如何にもその道の大家ですとでも言わんばかりに知ったかぶりして語るのやめてもらえません? 本当の素人さんが誤解してしまうと後々厄介ですから」

「やってる事が如何にもな悪役で、笑えてきますね。どういう事情があるのか知りませんけど、店内の風紀を乱すなら、この俺が天津君や二川さん共々許しませんよ!」

「ちょっと、本木さんに何したわけ!? しかも、全身真っ黒でナルシストっぽくてキモいし!」

 二川、村田、西園までやってきた。力を振り絞って視線を上げれば、後方には松山の姿も見える。こんな状況なのにまだ余裕がありそうな顔で楽しそうなのは流石にどうなのか。

 二川と村田が、一歩前に出た。

「このままでは終わらせませんよ」

「クールフラワー二川涼花と、仏の村田健児。この二人を相手にして、ただで済むと思わないでくださいね!」

 駄目だ、この二人も楽しんでいる。この店、本当に駄目だ。主にスタッフの真面目さの意味で。

「二川さんはクールフラワーって言うかドライフラワーだし、村田さんは仏って言うか阿修羅じゃん! ……って言うか、今の状況わかってんの? 本木さん人質に取られてんのに、何でそんな悪ノリしてるわけ!?」

 良かった。少なくとも、一人はまともだった。しかし、言葉遣いだけは本当に何とかした方が良さそうだ。

「み、んな……」

 何とか、声を絞り出す。空気を吐き出す音の混ざった声に、全員が暦に視線を寄せた。

「……馬鹿やってないで、お客の安全確保……!」

 栗庵と松山を除く全員が「あ」と短く間抜けな声を発した。暦は、脱力して折角上がっていた上体を再び床に伏してしまう。

 二川と村田が暦の安全など知るものかと言わんばかりに栗庵との距離を詰め、栗栖と西園がレジへと走った。役割分担がどう考えてもおかしい。

 しばらくして、レジの方から「急急如律令!」と叫ぶ声が聞こえてきた。何をやっているんだあの陰陽師Gメンは。

 叫ぶ声が聞こえたのとほぼ同時に、ピン、と空気が張り詰めるような気配がした。ここ一ヶ月ほど、バックヤードで頻繁に感じている気配。……栗栖が、結界を張る気配だ。

「その様子だと、本木さんも気付いたようですねぇ? 表天津家が、この店の一部に結界を張った気配に。……結界を張る気配に気付くとは、貴方も随分と表天津家に馴染んだようだ」

 栗庵に言われて、暦は頭を抱えようとした。……が、まだ体が思うように動かない。その様子を見て、栗庵は実に楽しそうに嗤う。

「おやおや、随分嫌そうですねぇ。これは中々良い闇が生まれそうです」

 言い方……あぁ、うん。確実に天津家の一族だな。表も裏も関係無く。

「えっ。本木さん、遂に闇に負けちゃうんですか?」

「出しちゃいますか? 邪悪なるモノ本木さんヴァージョン。しばらく恰好のネタになりそうですね!」

 何でそこはかとなく嬉しそうなんだ。なってたまるか。闇の力に負けるな、自分。

 暦が必死に己を鼓舞している間に、栗栖が早足で戻ってきた。元の位置に立つと、二川と村田に呪符を一枚ずつ渡す。

「他のお客さん達に気付かれないよう、いつもの結界を張ってきました。これで、ここでいくら暴れても大丈夫です。今、店内には西園さんが一人しかいません。二川さんと村田さんは、この呪符を持っていれば、結界を潜り抜けても結界が破れる事はありませんから!」

 言われて、二川と村田は後ろ髪を引かれているような顔をしながらこの場を離れていく。……しかし、そんな符があるなら、もっと早い段階で渡して欲しかった。そうすれば毎回毎回邪悪なるモノとの攻防に巻き込まれる事も無かっただろうに。

「今日、聴講中に内職して作ったものですから」

 大学の講義は真面目に受けろ。あと、何で声に出してないのに話が通じているんだ。

「いえ、何かもうそろそろ、本木さんがこういう時にどういうツッコミをするか読めるようになってきましたので」

 それはまぁ、素直にすごい。……と、半ば感心していた暦の背に、ドスンという衝撃が加わった。突然のそれに暦は空気を吐きだし、「ぐっ……」と呻く。

「さて、では……舞台も整った事ですし、前哨戦を始めましょうか。表天津家!」

「その前に、本木さんを解放してくれますか? はっきり言って、本木さんを人質に取られているとやり辛いです。そしてお前も、人質を逃さないよう確保しながら戦うのは面倒でしょう?」

 そんな交渉で人質を解放する悪役がいるだろうか。

「舐めないで頂きたいですね、表天津家! 私を誰だと思っているんです? 裏天津家当主、天津栗庵ですよ? 人質を確保しながら戦うなど、お茶の子さいさいに決まっているではありませんか!」

 ほら、やっぱり駄目だった。……と言うか、裏天津家の元々の目的はまず自ら裏方的な悪役となって世間を荒らして、その後自分自身が正義の味方として活躍する事ではなかっただろうか。栗栖が結界を張ったとは言え、先ほどからあまりに表立ち過ぎているし、ここまでやってしまうと最早正義の味方にジョブチェンジするのは厳しいのではないだろうか。

「さて、お喋りの時間はおしまいです。そろそろ、始めますよ」

 栗庵は栗庵で、結構長々と喋っていたように思う。主人公を追い詰めた悪役か。

「……やっぱり、悪役じゃないか……」

 思わず、呟いてしまった。その瞬間、先ほどよりも強い衝撃が暦の背中を襲う。さっきのも今のも、思い切り踏まれたんだな、という事に気付くまで、数十秒の時を要した。

「悪役? 何をおかしな事を仰っているんですかねぇ? 我が裏天津家は、世界を救う正義の味方! それを悪役とは……侮辱するにも程があります!」

 不満そうに、何度も何度も、暦の背中を踏みつけてくる。背骨が、肋骨が、ミシリと音を立てた。栗栖が、顔を更に険しくして叫ぶ。

「やめてください! 天津家同士のこの戦い……本木さんはあまり関係ありません!」

 あまりって何だ。全く関係無いだろう。

 そんな言葉も、衝撃を受け続け、息を吐き出し続けている今の暦には言う事ができない。踏まれ続け息を吐き続け、吸う事はほとんどできない。酸素不足で、次第に意識が遠のいてきた。

「……あのさ。いい加減にしてくれないかなぁ?」

 微かに耳に届いた声に、暦の意識は少しだけ現に引き戻された。声を受けての事なのか、背中への衝撃も止む。呼吸が少しだけ楽になり、暦はノロノロと視線を上げた。

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