ぬいぐるみと拳で語り合う

「先輩、こっちですよ」

「お、おう……」


 寮から少し離れたところに自主練習場はあった。テニスコートぐらいの広さの区画が六つほどある。いずれも上下左右が細かい目のフェンスで区切られている。


 ああ、そうだ、これは魔法フェンスといって、他のコートから魔法が飛んできても防ぐことができるスグレモノなのだった。だんだんと思い出してきた。


 俺たちは空いている五番区画に入る。現在、他にも二区画ほど自主練で誰かが使っていた。


「んじゃ、召喚するねー!」


 妹子は魔法少女が使うようなステッキを取り出すと、空中に魔法陣を描き始める。微風が起こるとともに、妹子の身体が淡い光に包まれていく。


「ええ~いっ☆」


 妹子がステッキを振りおろすとともに、ポンッと小規模な爆発がして前面に煙が舞い上がる。

 そして、現れたのは――クマのぬいぐるみのような存在だった。


 つぶらな瞳に丸っぽい顔、ずんぐりむっくりした体。ちなみに、額のところに三日月のようなマークが入っている。


「ツキノワグマののツキツキ・ツッキーだよ!」


 妹子がツッキー(長いので略す)に抱きつきながら、紹介してくれる。

 ツッキーは、俺のほうにペコリと頭を下げた。

 このツッキーは戦闘用というより愛玩用に近い。つまり、弱い。


 俺の記憶が正しければ、ヒグマのヒーちゃんもいたはずだ。そちらはぬいぐるみというより超ド迫力の剥製みたいな姿で、戦闘力も桁違いだと思った。ツッキーを召喚してくれたということは、最弱の俺のために気をつかってくれたのだろう。


「ま、先輩の練習相手にはいいんじゃないですか」


 今の俺は常人以下レベルだからな。いきなり無双は無理だ。コツコツ、地道にレベルを上げていくしかない。


「じゃ、さっそくツッキーと戦わせてもらうか」


 現時点では魔法はどうしようもないので、格闘戦で闘うしかない。俺は両手の拳を握って、格ゲーのキャラみたいに構えた。もちろん格闘や武道の経験なんてないので、ゲームやアニメの知識を基にやるしかない。


「それじゃ、始めてください」


 美涼の審判で、勝負が始まる。


 とことこと俺の前にやってきたツッキーからは、まるで戦意が感じられない。正直、こんな愛らしいぬいぐるみに拳を叩きつけるとか気が進まないのだが、一応は召喚獣だ。


 俺は、目のまでぼーっと立っているツッキーの腹部に向かって、思いっきり右拳を叩きつけてみた。


 ぼふっ!


 手応えは、まんまぬいぐるみだった。


 ……。なんか妹のぬいぐるみに暴力を振るっているようで、罪悪感に近いものを覚える。だが、そんなことを思うのも一瞬だった。なぜならば――


 次の瞬間。ツッキーからカウンターパンチが繰り出され、それをもろに顔面に食らった俺は吹っ飛んでいたのだから。


「……がはっ!?」


 背中から思いっきり地面に叩きつけられて、息が止まりそうになる。ぬいぐるみから放たれたとは思えないぐらいの威力だった。


 顔面のみならず、打ちつけた背中にも痛みが拡がっていく。頭では立ち上がろうとするも、体は動いてくれなかった。


「……いきなりKOですね」

「わわっ、おにーちゃん大丈夫!?」


 妹子が俺のところへ駆け寄ってきて、顔に手を当ててくれる。すると、手のひらが淡く輝いて殴られた場所から急速に痛みが消えていく。


 これは回復魔法だ。こんなものもあるんだよな、この世界。

 やがて、俺の全身から痛みが嘘のように引いていった。


「ありがとうな、妹子……」


 俺は立ち上がると、妹子の頭を撫でてやった。


「あぅ……お兄ちゃんの手、気持ちいいよぅ」


 猫のように目を細めて、気持ちよさそうにする妹子。うん、かわいい。さすがは俺の作り出した理想の妹だ。それはそれとして――、


「先輩の弱さはかなりのものですね。魔法を使えばチャッカマン並みの炎、格闘戦をやれば、ぬいぐるみのパンチで一発KO。もうこれは、期末試験は諦めたほうがいいんじゃないですか? 補習さえ受ければ退学にはならないと思いますよ?」


 鍛錬してくれるって言ったのに、いきなり美涼から見捨てられそうだった。


「そこまで俺、弱いのか……」

「今のパンチ、ツッキーは完全に手加減していました。ぬいぐるみから手加減されるレベルです」

「だ、大丈夫だよ、お兄ちゃん! 練習すれば、もっと強くなれるよ!」


 頂点を目指すとか言ったものの……道のりは果てしなく険しいものになりそうだった。最弱の名は伊達じゃなかった。


 しかし、このままで終わりたくない。俺は自分の力を取り戻して、この小説の主人公としての地位を取り戻すんだ!


 ……そうじゃないと、つまらないままじゃないか。つまらないのは、現実の人生だけで十分だ。


「よし、ツッキー……もう一回勝負だ!」


 俺は立ち上がると、再びツッキーと対峙する。


「先輩、まだやるんですか? それじゃ……先輩の気が済むまで付き合いますよ。では……始め」


 やる気のなさそうな美涼の号令とともに、俺はツッキーの腹に向けて右、左と連続でパンチを放つ。それを力の限り、続ける。


 ボスッ、ボスッ、ボスッ、ボスッ……!


 間抜けな音と、悲しくなるような綿の手応え。ツッキーにはまるで効いてない気がする。 ひょっとして、俺のやってることは徒労にすぎないのか? そんなことも思ってしまう。そして――。


 今度はツッキーの平手打ち(厳密にはぬいぐるみの手は丸まっているので、平手ではないが)をくらって、俺は左横に思いっきり跳ね飛ばされた。


「お、おにーちゃん!」

「……くっ、大丈夫だ。回復の必要はない! まだまだ行くぞっ!」


 俺は立ち上がると、涼しい顔で立っているツッキーに、渾身の力を込めて殴りかかる。さすがにぬいぐるみに遊ばれたままというのは癪だ。


 ――ぼこっ!


 俺の放った右拳はツッキーの顔面にもろに当たった。手応えは十分だ。


 そのままツッキーは後方に吹っ飛んでいった。宙を舞ってから地面に叩きつけられ、そのままピクリとも動かない。


「む……これは、KOですね。なんだ、やればできるじゃないですか、先輩」

「わわ、ツッキー!」


 妹子が駆け寄って、ツッキーを抱きしめる。……やっぱり、妹のぬいぐるみを殴っているみたいで、気分がいいもんじゃないな。


「先輩、意外と根性あるじゃないですか」

「根性とか熱血とか嫌いな言葉なんだけどな……体育会系っぽくて」


「それでも、今のはいい熱血でしたよ。シンクロ率が1%以下だったのが、一気に5%近くまで上がりましたから」

「お前には、そのシンクロ率ってのがわかるのか?」


「わかります。先輩が主人公っぽい行動をすると上がるんです。ですから、もっと先輩は自信を持って主人公らしく振舞えばいいんです」

「さっきは期末試験を諦めろとか補習を受けろとか、およそ主人公らしくないことを奨めていた気がするんだが……」


「まぁ、そこで諦めるようだったら、シンクロ率は上がらないままだったでしょうね。それなら、いっそ私が主人公になって、先輩を助け続けるのもよいと思ったんですが。ヒロインってのも憧れますし」


 いや、美涼に主人公の座を狙われると、到底俺に勝ち目なんてないんだが……。普通に主人公の座を奪われる。


「あ、ツッキー」


 妹子のほうを見てみると、ツッキーが起き上がっていた。そして、俺のほうへトコトコと近づいてきて――なぜか手を差し出してくる。


「ん……これは?」

「握手をしようというんじゃないですか?」


 美涼の言葉が正しいというように、ツッキーは頷いた。

 言葉はしゃべれないが、意思の疎通はできるようだ。


 そうか……俺は、ぬいぐるみと拳で語り合ってしまったわけか。


 俺はツッキーの手を握って、軽く上下に振った。モフモフした感触に、心が少し和んだ。


 ツッキーの顔は「いいパンチだったぜ」とでも言っているかのように思えた。表情なんてそこにないはずなのだが。


「お兄ちゃん、ツッキーに認められたみたいだよ!」


 妹子も嬉しそうだった。まぁ……これで少しは鍛錬の意味があったかな。


「次は魔力を高める方法ですが……これは、難しいんですよ。いかに冷静さを保ちながら集中力を高められるかどうかですから。まずは先輩……例の技を出してみてください」


 例の技……龍炎飛翔か。……ほんと、いつになったら炎の竜が暴れまわるのだろうか。まぁ、ここは鍛錬あるのみだな!


「……龍炎飛翔!」


 俺は全身の魔力を手のひらに集中させるイメージを描きながら、手を突き出す。すると、チャッカマン並みの火が手のひらから放出された。


「やはりこの程度ですか。これは扇風機で消せそうな勢いですね……試してみましょう。風力扇風(ふうりきせんぷう)」


 美涼がボソッと唱えるとともに、美涼の手のひらから扇風機から出てくるような風が吹いてくる。


「うわっ、俺の炎竜飛翔がっ!」


 マジで扇風機並(しかも弱レベル)の風で、消えてしまった!


「動じるからです。風が来ても、絶対に炎が消えないと信じていないから、消えてしまうんです。魔法というのは、いかに自分の妄想を信じられるかにかかっています。心頭滅却すればこんな風で火は消えません」

「そんなものなのか……」


「そんなものです。自分で自分の力を疑っているようでは、絶対に魔法の威力は上がりませんよ」

「さっき岩山田と戦ったときは、信じてたんだがな……」


「それに関しては、やっぱり十五年のブランクがあったからでしょう。あるいは、心のどこかで疑っていたというのがあったか」


 まぁ、寮で目が覚めたときに俺は糸冬了の意識でいたからな。この世界の主人公である永遠了にはなりきれてはいなかった。


 この先、永遠了になりきれるかというと、自信はない。どうしたって自分の意識と言うものがある。


「先輩は主人公なんですから、言わば英雄です。最強です。いけ好かないチート野郎です。ですから、自信を持ってこの世界を征服すればいいんですよ」


 いけ好かないチート野郎って……実は美涼はこの世界のことがあまり好きじゃないのだろうか。


「で、片っ端からかわいい女の子を落としてハーレムでも築けばいいじゃないですかね。そうすれば酒池肉林、ウッハウハです。……浅ましい男の夢ですね」


 なんだか支援してくれるようで、馬鹿にされているような気もする。


「やっぱり、先輩から主人公の座を奪って、私がこの世界を乗っ取ったほうがいい気がしてきました」

「いやいや、ちょっと待て。協力してくれるんじゃなかったのか?」


「……どうせ先輩は勅使河原凛のことが一番好きなんでしょうから」

「えっ? あっ……い、いや、そんなことは!」


 そう。この世界の、本来のヒロインは勅使河原凛だ。そして、美涼は妹子の友達キャラとしての役割しか与えられていないはずだった。それが、今ではこの世界を大きく変えることのできる存在になっている。


「……ふえ? 勅使河原さんって、お兄ちゃんと同じクラスの?」

「い、いや……俺と勅使河原にそんな関係はないから。あいつは学級委員長で、俺は落ちこぼれってだけで」


 しかし、まぁ……物語の大筋が変わらなければ、俺は勅使河原と接近していくはずだ。果たして、このあとどうなっていくのか。


「やる気がなくなったので今日は終わりにしましょう。あとは先輩は勝手に部屋で座禅でもして魔力を高めてください」

「そんなもので高まるものなのか?」

「自分が考えた設定に突っ込むんですか?」


 うあ……そうか、それも俺の考えた設定だったのか! 忘れていた。座禅と魔法って関係ないだろっ。東洋西洋ごっちゃごちゃじゃないか! 


 だが、文句を言っても仕方ない。全て自分に返ってくるだけだ。


 そのあとは、寮に戻って風呂に入り、共同食堂で勝手に飯を食って(バイキング形式のセルフサービスだった)、自室で座禅をしてみることにした。


 ……当然、考えることが多すぎて集中なんてできなかったが。


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