無双の武者 二

 さて、勢い込んだままに黒龍洞まで来てしまった左兵衛だか、いざ洞の入り口に面すると途端に怖気づいてしまった。


 何しろ既に夕刻を過ぎて日が沈み、最後の残照を宛てにたどり着いたような状態だ。

こんな時間に何の約束もなしに乗り込んで良いものか。

友人知人ならまだしも、相手はあの黒龍様だ。

お優しい方とは聞き及んでいるが、まかり間違ってお怒りを買えば、果たして自身だけの問題で済むやらわからぬ。

そう考えて左兵衛がウロウロしていると、声をかける者が居た。


「えーっと、こんばんは。何か御用ですかね?」


声の方に振り返ってみれば、男が一人、薪にするのだろうか枝切れを抱えて立っていた。

背格好は中肉中背で、年の頃は二十の後半ほどか。

衣装は見慣れぬ様式だが、その他は特段怪しいところもない。

瞬時、付近の百姓かと考えるが、いやこんな時間に黒龍洞の前に薪を拾いに来る百姓など居るはずもない。

もしやと思いながら左兵衛は問いかける。


「ああ、いや、ここに不思議な技を持つ鍛冶師が居られると聞いて来たのだが、夜分の到着になってしまってどうしたものかと思っておりましてな。…不躾ながら、もしや貴方はその鍛冶師殿では?」


恐る恐るの問に男は喜色を浮かべて答える。


「ああ!お客さんでしたか。ええ、私がその話の鍛冶屋だと思います。それでしたら、さぁさぁ中へ!」


いやしかしこんな夜分に黒龍様を騒がせて良いのかと左兵衛が問えば、黒龍さんは夜更かしで、むしろ早朝のほうが辛いぐらいですので大丈夫ですよと鍛冶師が答える。

この口ぶりから共に暮らしておるのだろうし、その男が保証するならまぁ大丈夫だろうと洞に着いて入る左兵衛であった。


洞の中に入ってみると、実に簡素な装いであった。

いや、簡素というのは世辞も入っている。

有り体に言えば「何もない」所であった。

辛うじて茣蓙と、簡単な囲炉裏が有るぐらいか。


「いやぁ、黒龍さんは元々家具なんていらないですし、私もここに住んでからまだ日が経ってないもので…居心地良くはないかもしれませんが、そのへんはどうかご勘弁を。」


左兵衛の表情から察したのだろう、茣蓙を勧める鍛冶師が苦笑しながら話す。

流石に工房などはもっとしっかりしているのだろうが、本当に大丈夫だろうかと心配が出てくる左兵衛である。


そうこうしていると声を聞きつけたのか、洞の奥から女性が出てくる。

得も言われぬ艶めかしい女性、黒龍様の化身だ。


「おや、客人か。この時刻にまた珍しい。」


左兵衛は慌てて茣蓙を避け、平伏して述べる。


「ご機嫌麗しゅう黒龍様。こんな夜分に大変申し訳ございませぬが、こちら鍛冶師殿にたっての願いが有りまして罷り越した次第にございます。どうか、どうかご容赦の程を!」


「ああ、気にせんで良い良い。夜は妾の領分じゃ。むしろ皆にはこの時に訪うて欲しいぐらいじゃが、人はもう眠り支度じゃから無理も言えぬでのう。故、良く来たのうと言いたいぐらいじゃ。歓迎いたすぞ。」


返って来た答えはむしろ歓迎する言葉である。

なるほど鍛冶師殿の言うことは正しかったし、黒龍様と人とは生きている時が違うのだなと不思議な得心もする左兵衛であった。


「さて、折角の客人だ。妾も同席して話ぐらいは聞いても良かろうな?」と黒龍が問えば、「私は構いませんが…」と鍛冶師。

左兵衛は「勿論に御座います!」と答える他無い。


こうして二人と一体で火を囲んで話が始まる。

まずは自己紹介だ。


「さて、申し遅れましたが某、城付き武者である権左様の従者をしております、左兵衛と申します。主人のために良き武具をと思い国中を探し回りましたが、手がかりすらも得られず途方にくれておりました所、鍛治師殿の話を聞いて縋る気持ちで参った次第でございます。突然の推参、真にご無礼いたしますが、何卒、何卒よろしくお願いいたしまする。」

と、経緯も含めて左兵衛。


「これはこれはご丁寧に。私は少し前からこの黒龍洞に住まわせてもらっている黒鉄鋼治という者です。鍛冶仕事には多少なりとも覚えが有りますので、とにかくお話を聞かせてください。」

と、鍛冶師改め鋼治。


鋼治が姓も名乗ったことにオヤと思う左兵衛だが、職人も長い家ならさもありなんと直ぐに思い直す。


「妾については良かろうな。この鋼治は行き倒れて居ったところを拾ってな。以来、ここに住まわせておるのよ。さて、左兵衛も長く居れば瘴気にやられかねん。早う用向きを聞かねばな。」

と黒龍。


その通りここ黒龍洞には常に毒気が漂っており、そこそこ鍛えているはずの左兵衛ですら既に体に重苦しさを感じつつあった。

では目の前の鋼治殿は一体と疑問に思いもする左兵衛だが、いや今は自らの用件に専心するときと一先ず疑問を棚上げする。


「然らば、失礼して用向きをば。先程も申しましたとおり、某の主人は城付き武者の権左様と申します。権左様は音に聞こえる無双の武者にございますが、そのあまりのお力に尋常の武具は到底耐えられませぬ。」


こう前置きして、左兵衛は主人の怪力を示す例として件の三つ首討伐の様子を語る。

この話をすれば大概の職人は顔を引き攣らせて、どう断ろうかという思案顔になるのだが、鋼治殿は違う様子だ。

これはもしやもしやと、希望を膨らませつつ左兵衛は続ける。


「そうした訳で、権左様は常に丸太と石礫でしか武働きが出来ない有様にございます。某は、無双の武者たる権左様が斯様な事で小馬鹿にされるのが悔しく悔しくて仕様がないのです。綺羅びやかであることなど主人も某も求めておりませぬが、何とか武者振りに相応しい武具を…!」


話し終わった左兵衛は土に額を擦り付けんばかりに深々と頭を下げる。

するとそこに、黒龍様のとても優しい声が降ってきた。


「左兵衛、お主は本当に主人の事が、権左殿の事が好きなのだなぁ。」


土鈴を転がすように心地よく、それでいて大地のように慈しみを感じさせる声に、左兵衛は色んな気持ちがいっぺんに溢れ出してしまう。

そして平伏したまま語り始める。


「…某は元々、東の方の山村の田舎武者の倅でございました。武者とは言えその実は百姓と変わりなく、槍や剣より鋤鍬を振るっている方がずっと長うございました。またそれが通るほど長閑で平和な村にございました。」


そうだ、本当に平和な村だったのだ。


「されどある日、村は大きな妖に襲われました。小山ほどもあろうかという山巨人に御座います。村人は踏み潰され、菓子か何かのように食われ、家々はなぎ倒され、戦うべき某たちは何の甲斐もなく家の下敷きになりました。」


あの時の絶望は今でもよく覚えている。

守るはずだった民は貪られ、自分たちは身動きも出来ぬまま食われるかこのまま押し潰されるか。

しかし、あんな巨人に人がどう抗えるというのだ。

そう悲嘆する他なかった。


「もはやこれまでと覚悟を決めておりますと、某の上にのしかかっていた柱がメキメキと音を立てて持ち上がっていきました。陽の光が差し込むと同時に、生きて居るかと呼ばわれ、某はわけも分からぬままハイと返事をしておりました。それが権左様と初めてお会いした時で御座います。」


本当に訳がわからなかったのだ。

助けなど来ぬと、いや、誰が来てもどうにも出来ぬ。

これはどうにもならぬ天災の類だと諦めていたのだから。


「某を瓦礫から引きずり出した権左様は、心底良かったという顔をされた後、我が物顔でのし歩く山巨人に挑みかかっていきました。武器はその場で引っ掴んだ我が家の床柱で御座います。勝敗は申すまでもなし、権左様に山巨人のごときが敵うはずもありません。柱が折れては岩を掴み、岩が砕けては柱を掴みで散々に打ちのめされた巨人めは、四半刻後に物言わぬ肉塊になっておりました。」


人があんな大きな妖かしに勝てるのか。

しかも真っ向勝負で打ちのめしているではないか。

幼い自分は何かおとぎ話でも眺めているような心地で権左様の戦いを眺めていた。


「そうして山巨人を打ち倒し、戻ってきた権左様は、某を壊れ物のように抱きしめてオイオイと泣かれたのです。生き残っておったのはヌシだけだ、ヌシだけでも間に合って良かった、わしの怪力も無駄ではなかった、と。」


ここまで語った左兵衛はもはや涙声だ。


「さらに、身よりが無くなった某を権左様は従者として下さいました。

後に周りのお方に聞けば、権左様は山巨人の報せを聞くと同時に、大殿の許しも得ずに民草のためと駆け出されたそうです。斯様なお人が、無双の武者が、武具のごときで馬鹿にされるなど到底耐えられませぬ。」


幸い大殿も強くは咎めず形だけの謹慎で済んだそうだが、それでもなお罰も恐れず駆け付けたことは変わらない。


「何より!某を救ってくれた剛力を権左様自身が申し訳なく思うなど、許してはおけぬのです…!某はあの日、権左様の剛力に命だけでなく心も救われたのです…!」


後はもはや声にならぬ。

左兵衛は平伏したまま身を震わせ続ける。


ここまで聞いた黒龍はこちらも涙声で袖を引き引き鋼治に問う。

涙腺はとうに決壊している。


「ふぐ、ううう~。何といじましい話かのう。見事な主従じゃのう。良い主人じゃのう。鋼治や、何とかしてやれんかのう? こんな男を手ぶらで返してはあまりに無残じゃぁ~」


決壊こそして居ないが、流石にあてられて涙声混じりになっている鋼治が答える。


「そうですね、これに応えなくちゃ恥ずかしい話です。わかりました、やってみましょう。果たしてどこまで出来るかわかりませんが、精一杯やらせてもらいます。佐兵衛さん、一緒に権左さんの凄さ、天下に見せてやりましょう!」


左兵衛はもう声もないが、それでも何とか「有難うございまする」と絞り出すのであった。

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