黒龍洞の職人さん
@onazimaimai
序 ホラ吹きの三吉
「黒龍様のお洞に大層腕の良い職人が居るらしい」
こう聞かされた五助が最初に抱いた感想は「また三吉の法螺が始まったか」というものだった。
隣家の三男坊の三吉は悪いやつではないのだが、どうにも軽々と法螺を吹くクセがあるのが傷だ。
先年も村中を巻き込んで「田部の後家様大炎上事件」を引き起こし、方方に平謝りして回る羽目になったと言うのにまだ懲りていないようだ。
今回も大方、どこぞで耳に挟んだ職人の話を手前勝手に変えてしまっているのだろう。
大体、黒龍様のお洞に人など住めるものかと五助は考える。
そりゃ黒龍様は穏やかで寛大な、我らのような下々にもお優しいお方であるし、人が訪れれば歓迎してくださるような方だが、住まわれている場所がどうにも不味い。
理由はわからぬが一日中重苦しい毒気が立ち込める洞である。
一刻二刻なら居ることもできようが、それ以上は気分が悪くなり退散する他無い。
それでも無理をして居続ければ、間違いなく身が腐りだすだろう。
そんなところに職人などが腰を据えて居られるものではない。
大方、流れの鍋釜職人がご挨拶にと立ち寄ったのを見たか、違うところの職人の噂がごっちゃになったものだろうと五助が言ってやると、いやそんなことはない、これは確かな話なんだとムキになる三吉。
確かな話も何も、手前が見てきたわけでもあるまいと五助が返してやると、いや絶対の絶対だ、そんなに言うなら直接確かめようじゃないかと三吉はいきり立ってしまった。
こうなってしまうと意固地になって法螺を守ってしまうのも三吉の悪い癖だが、もう引っ込みがつかないのだろう、さぁ行くぞと五助の薄い袖を引っ張る始末。
ここでピシャリと断ってしまうと、へそを曲げてまた面倒なことになると五助は嘆息。
幸い、黒龍様のお洞は村からさして遠くもない、鳥馬で半刻も走れば着く処であるし、まだ昼にもならぬ頃だから行って戻っても仕事はできる。己の目で確かめれば三吉の奴も納得するだろう。
そうして不承不承だが、五助は三吉と共に黒龍洞詣でを決めるのであった。
そんな訳で支度を整え、鳥馬の背に揺られること半刻。
進むに連れて段々と辺りの空気が澱み出し、ああ確かにこんなだったなと五助が思い返して居ると、お目当ての洞が見えてきた。
思えば最後にお参りしたのは十五の頃だったから、かれこれ七年はご無沙汰していることになる。
見れば三吉も同じようなことを考えているのか、指折り何かを数えている。
頻繁に参る用も無かったので仕様のない話なのだが、それでも何処と無く申し訳ない気持ちになりながら黒龍洞にたどり着いて、洞の前にて五助が挨拶をする。
「失礼いたスます黒龍様ぁ!川村の五助と三吉が参りますたぁ!もうしお手隙ならばご尊顔拝したく!」
正直、田舎の百姓でしかない自分と三吉が黒龍様を呼び出すなど恐れ多くて敵わないのだが、黒龍洞参りの時は必ず声を掛けるようにと黒龍様直々に村へのお達しだ。
何かあったら全て村長に押し付けようと考えながら五助は声を張り上げる。
三吉はと言えば、自分から連れ出しておいて強張った面だ。
大方、久しぶりの黒龍洞詣での緊張と、法螺が法螺とバレる決まりの悪さであろうと五助が呆れ混じりに考えていると、洞の奥から男女が一組歩いてくるではないか。
女性の方は分かる。あれは黒龍様が化身した姿であり、七年前に見た姿から寸分変わらぬ美しさだ。
夜闇よりも黒々と輝く御髪に、白粉など及びもつかぬ白肌。
十五の時は見とれるばかりだったが、今改めて拝見してもたまらぬ女身であると五助は息を飲んだ。
しかし、男の方は全く不審である。
「川村の五助に三吉か。覚えておるぞ。よう来たな、嬉しいぞ。川村の皆は息災か?」
高すぎず低すぎず、差し詰め土鈴でも鳴らしたような響き良い声で黒龍様が問えば
「は、はい!一昨年に沢爺がぽっくり逝った他は皆元気で御座います。新しい子もたんと産まれておりますし、実りも平らでありがたい限りでございます。」
と五助。
「これも全部、黒龍様が災いを遠ざけてくだすっているお陰だと皆感謝しております。」
と三吉。
そうして精一杯の丁寧さで答える五助と三吉だが、五助からは不審が、三吉からはもしやという期待の情が伝わったのであろう、男に目を向け苦笑気味に黒龍様が言う
「どうやらお主のことが気になってしょうがない様じゃの。この者の名は鋼治。ついこの前に儂の眷属になったのじゃ。ほれ、お主からも。」
黒龍様がそう言うと、鋼治と呼ばれた男がにこやかに話し出す。
「初めまして、私は黒鉄鋼治(くろがね こうじ)と申します。行き倒れていたところを黒龍さんに拾っていただいて、今は洞に住んでます。あいにくこの辺の出身ではないのでご無礼あるかもしれませんが、仲良くしてやって下さい。」
挨拶が終わるか終わらぬかのところで、待ちかねたように三吉が問う。
「もうし!鋼治さんは何かの職人さんでは無いかい? いや、違っていたら申し訳ないのだけど…」
勢い込んで問い始めておいて、段々自信が無くなって尻すぼみの声に鋼治が答える。
「よくご存知でしたね! はい、私はちょっとした鍛冶をやらせてもらってます。皆さんも何か鍛冶の用が有りましたら気軽に言って下さい。鍋釜でも鋤鍬でも喜んでやらせてもらいますよ!」
先程の挨拶がにこやかならば、今度は水を得た魚の顔だ。
なるほどこれは確かに職人なのだろうと納得する五助と、鼻の穴を膨らませてしたり顔の三吉である。
一寸シャクでは有るのだが、三吉が正しかったのだからしょうがない。
しばらくは得意顔をさせておいてやろうと我慢する五助であった。
その後も村の衆の様子やら、町で見聞きしたことなどを黒龍様にお伝えして、三吉と五助が場を辞して帰ろうとすると、鋼治から二人に土産をどうぞと小刀を渡された。
大きさは握り込んで一寸刃が出るぐらい。
笹葉型のスラッとした小刀で、ちょっとした細工や作業にはもってこいだ。
それが簡素な木鞘に入れて渡される。
作りも良さげなものであるが、何より色がすごい。
墨よりも艷やかで深い黒一色。
普通の鋼でないことだけは確かだが、はて一体何で出来ているやら。とにかく尋常の品でないことだけはわかる。
三吉は小躍りして喜ぶだけだが、五助は、いやこんな大層なものをタダでいただくわけにはと遠慮する。
しかし鋼治は、それを村の衆に見せびらかしてもらい、将来自分のお客になってもらえば安いものですと言う。
なるほど双方に益があるなら固辞するのも悪かろうと五助も受け取る。
内心は良いものをもらったと喜色満面だ。
その日はそうして帰り、後日その小刀を使ってみた五助はまた驚いた。
切れ味こそよく研いだ鋼の薄刃に一寸負けるが、そんなことは問題にならぬほどの刃持ちだ。
縄を切ろうとも木を削ろうとも一向に鈍らぬし、あまつさえ硬い岩の上に落としても欠けの一つも生じぬ。
ここまで硬いと研ぎ直しも到底出来ぬだろうが、これだけ保つならまた黒龍様のところに詣でがてら鋼治殿に頼めばよいのだ。
同じ物をもらった三吉は早速村中に吹聴して回って、なんでも試し切り御座候などとやっている。
五助も人に問われれば、いやはや素晴らしい品よと褒めちぎっている。これは早晩、黒龍洞の鍛冶には客が詰めかけるに違いないし、自分も押し出されぬように何か工夫せねばなと思う五助であった。
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