断髪


  勝海舟が用意した丸の内の大名屋敷に、

歳三と数名の新選組隊士たちは潜んでいる。

屋敷外には数人の見張りがいて、勝手に外へは出れない。

すでに流山から多数の新選組隊士は会津へ向かっている。

近藤が放免された際に護衛させるようにと、

数名の隊士を江戸近郊に潜ませている。

 

首を長くして待っているが、

二日が過ぎても近藤が放免されたという知らせは入って来ない。


板橋宿の〈東山道総督府本営〉へ、

書状を持って向かった小姓の相馬主計そうまかずえも帰ってこない。

つまり、近藤と一緒に官軍に拘束されているということだろう。


考えたくは無いが最悪の事態となった。

書状が届く前に大久保大和が近藤勇だと知られてしまったのだ。

官軍の中に近藤を見知った者がいたのかもしれない。

 

歳三は、近藤と二人の小姓の生死を確認する為に、

密偵を呼び寄せ板橋へ向かわせた。

官軍は坂本竜馬を暗殺した犯人を、新選組だと思い込んでいる。

土佐藩士から過酷な拷問を受けているに違いない。

これまでの頑健な近藤なら拷問で命を落とすことはないだろうが、

今は違う。

手負いなのだ。

肩の傷が悪化すれば命に関わるかもしれない。


 

 近藤の目の前で、左腕の内側に短刀の刃を当て轢いた。

白い肌に赤い線が現れ、線はにじみ鮮血が滴り落ちる。

そして、腹に短刀を突き立て十文字に切り裂いた。

多量の血を流す歳三を近藤はただジッと見ている。

生温かい臓腑がヌルリと滑り出た。

凄惨な姿の自分を見られることに悦びを感じる。


気づくと、いつの間にか近藤の目は黒い節穴に変わっていた。

歳三は焼けつくような喉の渇きを覚え、次第に血の海の底へ身体を沈める。


身体が重くて動けない。

汗に濡れた寝間着が身体に纏わりつく。

ようやく寝間着を畳の上に脱ぎ捨て、まだ頼りない障子越しの夜明けの光の下で、

恐る恐る腕と腹の傷を確かめるが、傷は無かった。

夢の中で心中立ての真似事と自刃をさせられたと気づく。


「今、近藤先生は責めさいなまれて苦しんでいるのだな。

おれは、一体どうすればよかったんだ。 

やはり、あの日、流山で全てを終わらせればよかったのか。

先生、おれを残して先に死んだら許さねえ」


そうつぶやくと、歳三は再び夜着にもぐり固く目を閉じた。


 

 鉄之助が何故か不機嫌そうな面持ちで、

六尺四十貫余、新選組一の巨漢の島田魁の居室へやって来た。

刀剣に丁子油を塗り、刀の手入れをしている最中だった。


「土方先生がお呼びです」


十四歳の鉄之助は前髪姿の白梅のような美少年だが、

気が強く喜怒哀楽が顔に出る。


 緊張の面持ちで島田は手についた丁子油を拭い、居室へ向かう。

歳三に呼ばれるということは、

何か特別な仕事を頼まれるということに他ならない。

これまでも裏の仕事を度々たびたび命じられてきた。

斬り殺せば血が飛び散り屋敷を汚すことになる。

今度は誰を締め殺せというのだろうか。

様々な思いを巡らせながら、ゆっくりと縁側を歩き、静かに障子を開ける。


「おや」


そこには見たことの無い光景があった。

歳三が一心不乱に針仕事をしている。

どうやらダンブクロ(ズボン)を縫っているようだ。


「副長、上手いものですな」


声をかけると、土方は手を止めて上目遣いで島田を見た。


「西洋の軍学書を読むのは飽きた。

ちょうどいい黒い布が、この屋敷にあったから、

試しにダンブクロを縫っている。

これからは洋装がいい。

縫い物はガキの頃からやっているから朝飯前だ。

針を持つと案外心が落ち着くものだぞ。

何だったら島田君にもダンブクロを縫ってやろうか?」


「ぜひ、いや、恐れ多いです・・・・・・」


島田は口ごもる。


「ところで、つまらんことで呼びつけて悪いが、この髪を切ってくれないか」


「はっ」


素っ頓狂な声をあげる。


 ここ数日で副長は変わった。

以前は冷たく青白く、無表情で眉間に皺を寄せていた。

今は別人のように穏やかな顔をしている。

まるで何かから開放されたかのようだ。

故郷に近い江戸に居ると落ち着くのだろうか。

それとも他に理由があるのか。


歳三の冷酷な鬼の仮面ははずされていた。


「やはり、洋装には西洋人のような断髪が合うと思うのだが、どうだろう」


洋装に夢中のようだ。

歳三は甲州鎮撫隊の頃から洋装の侍となった。

それは少し大きめの黒羅紗の軍服だった。


「は、そうですね」


島田の声は裏返っている。


「心形刀流の剣士で立派な元大垣藩士に、こんなこと頼むのは、どうかと思うが、

何しろ島田君は今じゃ一番信頼できる古参の新選組隊士だ。

他の奴らは皆死んじまったり、消えちまったりしたからな。

子どもに刃物を持たせるのも何だしな」


島田は苦笑した。


鉄之助は子ども扱いされて怒っていたのか。


 渡された漆塗りの黒鞘の短刀には、

水面に映りこみ、ゆらりとゆがむ蒼い月が蒔絵で描かれている。

一見すると地味だが、夜の蝋燭の炎の下では、

妖しく銀箔の月が浮かびあがるのだろう。


「これは風流なこしらえですね」


「ある人がくれたのだ。

おれのことを月のようだと言いやがった」


なるほど、局長が太陽で副長が月ということか。

しかし、そんなに親しくしていた人物とは一体、何処どこの誰だ。

小刀の贈り主に島田は嫉妬した。


 後ろに立ち、総髪のまげを解いて背中まで垂らされた豊かな黒髪を

大きな左手で、首の辺りで一纏めにして強く握った。

初めて触れたその髪は量が多く張りがある。

最近、寂しくなってきた自分の髪との手触りの違いに驚き、

あらためて歳三の若さを感じた。

このうるしのような黒髪の男は血を見ることを嫌う。

拷問も殺人も命をうけた自分がやってきた。

新選組の副長が、これまで一度も人を斬ったことがないと知る者は少ないだろう。


だが島田には歳三に対する憎悪は無い。

新選組は内部粛清で命を落とした者が多い。

命じられるがままに、

裏切り者や間者の疑いのある若者を、情け容赦なく始末した。

新選組を安定させ、近藤を盛り立てる為の生贄いけにえのように。

それが徳川幕府の為、やがて国の為になると信じて疑わなかった。

 

 これほどの信頼を得るとは・・・・・・

今でこそ幕臣となったが、自分よりひとまわり近く若い、

この男から何度も陰惨なシゴト(死事)を押し付けられてきた。

その代わりに特別な報酬と自分の体に付いた血の匂いを消してくれるような、

ねぎらいの言葉を貰ってきたのだ。

つまり篭絡ろうらく、操られているということか。

いつの間にか深く心酔していた。

妻子は京に残してきた。

命の限り副長を守りたいと思っている。

地獄の果てまで付いて行くつもりだ。


断髪するという大役を光栄に思った途端、緊張して柄にも無く手が震えてきた。


「どうした? 島田君、首まで切り落としてくれるなよ」


笑いを堪えているような、抑揚の無い歳三の声が耳に心地よい。


ザックリと音を立てて、長い黒髪は切り落された。


島田は丁寧に黒髪を懐紙に包むと、

歳三の後ろに正座して白いうなじを陶然と見つめていた。


「驚いた。頭が軽くなったぞ」


嬉しそうに振り向くと島田の横に、にじり寄り、

筋肉の盛り上がった肩に手を置き耳元で囁く。


「明日の夜、ここから脱走する」


それは、いつも歳三が島田に、やっかいな死事(シゴト)を頼む時の、

どこか蠱惑こわく的な仕草だった。

その手の上に島田は初めて、自分の丁子油の匂いが残る大きな手を重ねた。


「よく、ご決意されました。

これまで誰よりも副長は局長に尽くされてきました。

もう副長は充分に役割を果たされたと思います。

いつまで潜んでいても仕方がありません。

我々は、これから新たな道を探して進むべきです」


「何を言っている・・・・・・どういう意味だ?

おれは近藤先生が、もうじき戻ってくると信じている。

先生のことを片時だって忘れることなど、ない」


 いつもと違う様子に戸惑い、歳三は島田をにらみつける。

重ねられた手を振り払おうとしたが、島田は強く握って離さない。

そのまま引き寄せ、丸太のような頑強な腕で抱き締めて自由を奪う。

互いの心の臓の音が溶け合い温かくて心地良い。

もう記憶には無いが、父親に抱かれているようだと歳三は思った。

身をゆだねていると、やがて首筋に獣のような荒々しい息づかいを感じる。


「おれと契りたいのか」

歳三が問うと、島田は慌てて体を放した。

申し訳なさそうに頭を下げると無言で立ち去った。


 

 その夜、歳三が眠っていると大きなけものがやって来た。

獅子のような大きな獣は舌舐めずりをしている。

歳三は震えた。

薄い月明かりが差し込む寝所で、乱暴に寝間着を剥ぎ取られ、

獣にひどもてあそばれている。


おれは、また夢を見ている・・・・・・体が熱い。

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