闇夜行

 

 敗走した佐藤彦五郎率いる春日隊がようやく日野郷へ着いた頃には、

すでに官軍が入り込み不穏な空気となっていた。

早くも甲州鎮撫隊の残党狩が行われていたのだ。

近藤勇の天然理心流の門下生が多い日野は賊軍の本拠地として知られていた。


 八王子の横山町が参謀隊長の板垣退助の本営となっている。

番兵が厳しく往来の人々を取り調べていた。

ヤクの毛の陣笠は、

白(ハグマ)が長州、黒(コグマ)が薩摩で赤(シャグマ)が土佐。

武器を手にしたダンブクロ(ズボン)姿の物々しい官兵たちが、

三十名ずつ隊を組み近隣の村落を巡邏じゅんらしている。

 

 密告する者がいて佐藤家は目をつけられていた。

日野郷が焼き払われるという噂もある。

帰宅した彦五郎はすぐに荷物をまとめた。

歳三、近藤、沖田からの手紙や鉢金などの貴重品、

先祖代々の刀などを分けて家族に持たせた。

そして、他の村の親類縁者の家にかくまってもらう為に、

家族はちりぢりばらばらとなって逃亡した。

土方家も同様に日野の石田村を出て親類宅に身を寄せる。

  


官軍の兵たちは佐藤家の屋敷、日野宿本陣に土足で上がり込む。

何故かそこには重厚な義太夫三味線の音が響いていた。


数十人の兵に囲まれた一人の男は気にもせずに、

ベベベンと屋敷の空気を震わせて、力強く三味線を掻き鳴らしている。


招かざる客人で溢れかえる、佐藤家の茶の間で、

名曲「伊賀越道中双六 沼津の段」を男がうなり始める。


兵たちは呆気にとられながらも聴き入った。

演奏が終わっても、しばらく動けないほどの余韻が残る。


「おまえは何者だ」


ダンブクロ官兵の一人が怒鳴りつけた。


閑山亭石翠かんざんていせきすいと申します。

ただの三味線弾きでございます」


野太い声で悪びれることもなく為次郎は答えた。


「ふむ、目が見えぬのか。ここで何をしている?」


官兵は乱暴に石翠の胸ぐらを掴み、生臭い息を吐きかける。


「留守番を頼まれましたゆえ、三味線の稽古をしておりました。

これはこれは、たくさんのお客様方。

どちらから、おいでのお客様方ですかな?」


見えない目で周囲を見回す。

官兵達にひどいお国訛りはない。


「見事な義太夫節であった。聞き惚れたぞ。

さては、家の者を少しでも遠くへ逃す為に、我らを足止めさせたのだな」


「はて、何のことかわかりませぬが・・・・・・

もう一曲弾きましょう。

お望みの曲をおっしゃってくだされ」


飄々としている。


兵たちはドッと笑い、怒鳴りつけてきたが、石翠は聞き流す。

まもなく兵たちは日野宿本陣の家捜しを始めた。

隠してあった元込め銃十九丁を持ち去る。


閑山亭石翠こと土方為次郎はそのまま放っておかれた。

三味線を弾き続ける。

兵たちの邪気を祓い、祈るような音色に変わっていた。

 

 

 

 彦五郎とノブと五歳の末娘トモを、おぶった十八歳の下女アサの四名は、

東光寺道を通り平村の東照宮近くにある大蔵院の奥座敷に隠れた。

もう夜になり、あたりは真っ暗だ。


寺の留守を預かる女中が渋茶でもてなしてくれて一息つくことができた。

四人の為に、囲炉裏で握り飯を焼いてご馳走してくれるという。

醤油の焦げる香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


「お腹空いたね」


無邪気にトモが言う。

奥座敷の隅で家族がくつろいでいると、

ザワザワと不吉な気配がする。


「おい、この寺に佐藤の家の者たちが隠れているだろう?」


いつの間にか居間に上がり込んできた大男の官兵が声を荒げて、

囲炉裏端の女中に問う。


「いいえ、誰も居やしませんよ」


女中は涙目で震えている。


「それならば、奥の座敷の襖を開けてみろ。開けなければ撃ち殺すぞ」

そう言って女中の背に銃口をつきつけた。


「は、はい、わかりました」


女中はこれから起こる惨劇を思い、泣きながら襖を開けた。

しかし、そこには誰もいなかった。

茶碗もきちんと、かたづけられている。

小さく安堵の溜息をついた。

 

 彦五郎たちは危機が迫ったことを感じ、

こっそり座敷の小窓から寺の外へ出て裏山へ走っていた。


急な斜面の裏山をよじ登る。

寺から出てきた官軍の兵が、裏山に向かって数発の銃弾を撃ち込んできた。

ノブの白い足袋が闇に浮かび、それが目印になったのだろうか。

頬を銃弾がかすめるが、ノブは気丈な女だった。


「馬鹿、弾なんて当たるわけない」


興奮したノブが叫ぶ。


「おい、静かに歩け。声を出すな。敵に気づかれるぞ」


ひるむことなく、わが子を背負ったアサを励ましながら裏山をよじ登り、

彦五郎と共に闇夜を逃げた。



 


 甲州鎮撫隊解散の数日後、江戸の向島の宿に潜んでいた近藤と土方を、

三度笠を被った怪しい商人風の旅人が深夜に訪ねてきた。


「こちらに、内藤先生はいらっしゃいますか?盛車というものです」


男は宿の主人に取次ぎを頼んだ。


その名を聞いた歳三が宿の階段を転がるように下りてきた。


「兄さん、よくぞご無事で。

まさか、訪ねて来てくれるとは思わなかった。

心配してました」


歳三は意外な再会に驚きを隠しきれない。

いつの間にか、幼い頃のように彦五郎の手を強く握っていた。


「誰かと思えば、彦五郎さんでしたか。

ご無事で何より。どこから歩いて来たのですか? 

さすが健脚で神出鬼没だ」


泰然と階段を降りてきた近藤が豪快に笑う。


「日頃から日野農兵隊の調練で鍛えている。

いくらでも、一晩中でも歩けるわい。

だが、今夜はちょっと疲れたから、ここに泊めておくれ」


彦五郎もつられて笑った。


貧しい旅人姿だが脇差の他に、武器となる愛用の重厚な鉄扇を懐に潜ませている。


「大変でしたね。

早く部屋へあがってください。

姉さんは元気ですか? 」


何よりも気になるのは姉のことだった。


「数日前、間一髪で官軍から逃げて四人で夜通し歩いたよ。

そして、今は大久野村の羽生家にかくまわれている。

深い山奥だから官軍に見つかることはないだろう。

今宵は月を友にして砂川街道(五日市街道)を歩いて来たよ。

ノブもトモも元気にしているから安心しろ」


懐かしい彦五郎の笑顔に歳三は、ほっと胸をなでおろした。

三人は宿で酒を酌み交わしながら夜通し話をした。


「今、こんな句が浮かんだ。

きじなくや つまずく石に のこる闇   どうだ? 」


くつろいだ様子で句を詠み始めた彦五郎だったが、

歳三はこぶしを握りながら、うなだれて何も言えない。

険しい暗い山道を怯えながら、つまずきながらを歩いて行く家族の姿が見える。


「いい句ですな。

夜の闇の中を逃げる怖さが、ひしひしと伝わってくる」


近藤が感心して何度もうなずく。


「病気を患って、ずっと寝込んでいた源之助は、

栗の須村の井上忠左衛門の家に逃げ込んだのだが、

井上家の倅の錠ノ介と一緒に居たところを捕まってしまった。


八王子本営へ連れて行かれて拷問を受けた。

死を覚悟したらしいが、

東山道先鋒総督参謀の板垣退助の意向で放免された。

板垣という土佐人は、先祖が東国武士で武田の家臣だったそうだから、

少しは人の心が残っているのだろう。


栗の須村では村人たちが、

観音堂に御百度を踏んで二人の無事を祈ってくれていた。

ありがたいことだ。

おれも早く元の暮らしに戻りたいが、どうなることか」


彦五郎が深いため息をついている。

黒々としていた髪だったが、急に白髪が増えたと歳三は気づく。

近藤と二人で幕府に彦五郎の赦免しゃめんの嘆願書を出すことを約束した。


 江戸から近い日野郷は、

多摩の米蔵で幕府の直轄地(天領)

豊かで恵まれた土地だった。

そこに住む民の徳川家への忠誠心は並々ならぬものがある。

そんな武州多摩に君臨する豪農たちの中心的な存在が

日野郷総名主・佐藤彦五郎だ。


文久二年、日野郷でコレラが大流行した際には、

私財を投じて感染した家々に薬を散布して施米をした。

義侠心厚く名主としての責任感は人一倍強い。

彦五郎は日野郷にとってかけがえのない人物だ。


「それにしても、源之助は病身だったのによく耐えたものだな。

さすがは佐藤家の跡取りだ。

愛刀の会津正宗は分捕られたに違いない。

松平容保公から拝領した、大切にしている刀を源之助へ贈りたい。

兄さん、これを持って行ってください」


土方は彦五郎に愛刀を託した。


彦五郎の長男の十九歳の源之助を、実の弟のように思っている。

愛刀は稀代の名刀「越前康継」鞘は朱色の会津塗りで、

刀身の茎には葵の御紋が刻まれていた。


一夜明けた日の夕暮れに、

筵(むしろ)で包んだ名刀を大切に胸に抱いた彦五郎は

夕闇の中に消えて行った。


兄さんに闇夜は似合わない。

明るい日差しの中を堂々と歩くべき人なのだ。

こんなことになるとは・・・・・・


歳三は、言いようの無い苛立ちと悔しさを噛み締めていた。



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