甲陽鎮撫隊


  血の気が多く武張ったことを好むが連歌もたしなむ。

まるで中世の戦国武将のような、文武両道の名主の彦五郎は新選組の支援者で、

歳三と近藤の頼もしい義兄だった。


慶応四年三月

甲州鎮撫隊は甲州街道を進軍する。

日野の沿道には地元の英雄を一目見ようとする村人で溢れた。


京都以来の新選組隊士二〇余名は陣笠揃い。

近藤は大名並みの長棒引戸の駕籠に乗っている。

歳三は艶やかな総髪を風になびかせ、乗馬で日野宿本陣に来着した。


「姉さん、これは拝領したもので、騎馬武者が使う負い母衣ほろです。

縮緬ちりめん仕立てで三間もあります。

良い物ですから、よかったら何かの役に立ててください」


穏やかに話す歳三だったが頬肉は削げ落ち、酷く青醒めて見えた。

       

「いつも気にかけてくれて、ありがとう。

歳三、立派になったね。

それに今度は、ずいぶんと出世したね。

でも、少し痩せた?

洋装がとてもよく似合っているわ」

 

 新選組の副長になってからは、必ず高価な京土産を手に帰郷する。

こうして出陣の時にまで、土産を持ってきてくれるなんて・・・・・・

これまで、見とれてしまうほど美しい細工のかんざしや、色とりどりの花が描かれた景徳鎮の高価な茶碗を貰った。

京の恋人が見立ててくれるのかしら?

どれも使うのがもったいないような、驚くほど美しい品。

あたしの宝物。


 でも、目の前にいる弟は、かつての自分が知っている弟とは違う。

眼光鋭く近寄りがたい、暗い影を纏った洋装の侍。

洋装のせいだけじゃない。

歳三は数ヶ月前に会った時と比べると、

まるで別人のように変わってしまった。

可哀想に・・・・・・

近藤先生が怪我をされて大変だったのね。

鳥羽伏見の戦いでは負けて辛い目にあったに違いないわ。

もう昔みたいに、辛かったことを、あたしに話してはくれない。

ノブは涙をこらえた。


 

 多摩の新選組支援者たちや親族たちと挨拶を交わし、

威風堂々と近藤が弁舌をふるった後、

庭に面した客間に近藤と歳三の二人が残された。

まだ寒い季節だが庭の梅がほころび始めている。


「万が一の時の援軍は神奈川の海岸防備の菜葉隊なっぱたいだ。

地元の八王子千人隊を呼ぶことができないのは残念だが、

八王子千人隊は早々に新政府に恭順しているから仕方ない。

そういうわけで歳三、いざとなったら江戸へ走って、援軍要請を頼んだぞ」


どこから見ても立派な大名のように見える、

黒の丸羽織姿の近藤は痛む肩を撫でながら言った。


「承知しました」


歳三の表情は固い。


「そういえば以前、井上松五郎殿と訪れた、

八王子千人頭の石坂弥次右衛門殿の庭には

凛とした紅色の梅が咲いていた。

たしか血梅ちばいという名の梅だったな。

あれは何年前だろうか。

ここ日野宿本陣の庭に接木つぎきをする約束をしていたが、

おれは京の都へ行き新選組が忙しくなった。

約束は果たされないままだ。

石坂殿はお元気だろうか。

あの梅を、おまえにも見せたかったな」


そう言いながら、まるで遥か遠い昔を懐かしむかのように、

ぼんやりと庭を眺める。

実家同然の日野宿本陣に居ながらも進軍中の緊張感から、

固い表情を崩せなかった歳三が「ふふっ」と、はにかみながら笑った。


「ありがとうございます。この家の者たちも喜びますので、

この戦が終わったら、ぜひ接木をお願いします」


「うむ、そうだな」


近藤は久しぶりに見る歳三の笑顔を見て、心が和らいでいくのを感じた。

二人の間には濃密で温かい空気が流れていた。



「近藤先生」


突然、男の叫び声が庭に響く。


近藤と歳三が客間でくつろいだのは、ほんの一瞬だけだった。

地元多摩の天然理心流の剣客や大勢の若者たちが、

甲府城接収の為に進軍する大久保大和こと近藤勇の甲州鎮撫隊に、

入隊を希望して続々と庭に集まってきた。

近藤は危険が伴うということで、彼等の申し出を全て断った。


甲陽鎮撫隊は新選組と関東、伊豆、甲州と十万人の被差別民を統べる長吏頭ちょうりがしら浅草の弾左衛聞の配下から成っている。


だが、やはり彦五郎は弟達の奮闘を黙って見過ごす事が出来なかった。

自ら春日盛と変名して、日野の天然理心流の門人二十五名による春日隊を結成。

後陣の荷駄警護として加わることになる。


 しかし、甲州鎮撫隊二〇〇名が甲府城に着く前に

官軍一四〇〇名が一足先に、甲府城に入城していた。

戦の決着は早々に着いてしまった。

甲州鎮撫隊は勝沼の柏尾山での戦いに敗走する。

後方の春日隊も岩崎山で戦いに巻き込まれてしまった。

土佐藩の偵察隊と出くわし斬り合いとなり、一名が戦死した。



 甲州街道最大の難所、笹子峠の麓の駒飼宿から歳三は引き返して、

事前に打ち合わせをしていた、菜葉隊の援軍千六百名を呼びに向かったが、

江戸城内の空気はすでに恭順に変わっていた。

援軍を連れて行くことは叶わなかった。

甲陽鎮撫隊は幕府から見殺しにされたのだった。

歳三は己の無力感に苛まれる。  

 

 寄せ集めの甲州鎮撫隊だったが、

猿橋宿まで敗走した時には兵の間には悔しさだけが残っていた。

誰ともなく、もう一戦交えようということになる。


 雪が残る深い渓谷にある<猿橋>は日本三大奇橋の一つになっている。

目も眩みそうな高所の崖と崖を結ぶように架けられている。

橋を架けた先人たちの苦労は並大抵のものではなかった。

それだけに要害でもあり、この橋を落とせば官軍を足止めできると考えられた。

甲陽鎮撫隊の一部の兵たちが、

橋に薪を積み上げて油を撒き火をつけて焼き落として、

官軍の進路を妨害しようと企てる。


「おい何をしている?

待て、それだけは止めろ。

この春日隊の春日盛が不承知だ。

先人たちが苦労して造った橋ではないか。

そんなことをしては、土地の者たちの暮らしも断たれ、

甲州鎮撫隊は深い恨みをかうだけだ」


狂ったように怒鳴りながら駆け回った。

長年に渡って、土木工事に力を入れて、百姓の営みを守ることに心を砕いてきた、

日野郷三千石の総名主の彦五郎にとって、他所の村とはいえ、

橋を破壊するということは許しがたい暴挙だった。

何とか必死に説得して企てを止めさせる。


 甲州鎮撫隊は八王子の多賀神社で解散となり、新選組は江戸へ向かった。

その他の兵たちは、それぞれ家路に向かう。

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