シゴト(死事)
百姓のくせに生まれながらの武士よりも武士らしくふるまう、あいつが大嫌い。
おれは土方の家業の石田散薬で一儲けしたいんだ。
こんなこと辞めちまいたい。
京都の治安を守るのが役目だった。
それは、終わりの見えないシゴト(死事)
嵐の夜の海のように荒れ狂う幕末の京都に投げ出された。
路地裏の闇を照らす光の中に、ちらちらと
ましてや、今夜は祭りの日。
喧騒と息ができないような熱気を
心揺さぶる祇園祭りの音色に包まれた京の町並は、
笑い合う人々の群れで溢れている。
目に映るすべてが歳三の心を苛立たせた。
京の奴らの俺たちを見る目が、そもそも気に食わねえ。
何か
おれ達はソンジョウハの長州人とキンノウトウとかいう土佐人から、
都を守ってやっている んじゃねえのか。
京の奴らめ。
てめえらの町ぐらい、てめえらで守れって言うんだよ。
京都守護職の会津様のお抱えになったのはいいが、安い給金でこき使われる。
おれたちは番犬以下の汚れシゴトばかりさせられている。
話が違うだろ。
すったもんだがあったことは確かだが、
とにかく俺たちは上洛する将軍警護のお役目だと聞いて、
遥々東国から来てやったんだぜ。
ここは地獄だ。
武州多摩の涼しい緑の風に吹かれたい。
兄さん、もういいだろう。
このシゴトが終わったら、おれは日野へ帰るつもりだ。
姉さんは、どうしてる。
人々を蹴散らすように新選組の土方隊が行く。
着込んだ
歳三の目の奥には異臭を放つ赤い肉の塊となって、
ぶらさがる古高 俊太郎が焼きついていた。
壬生の屯所の薄暗い蔵の中で奴は、なかなか口を割らなかった。
同志を守ろうとする根性は見上げたものだ。
だがな、おれたちにも意地がある。
何としてでも
浪士たちを
一軒ずつ店を回ったが祇園に不逞浪士たちは、いなかった。
三条小橋の旅籠、池田屋に集まっているだと。
おれたちの到着は遅かったか。
先に向かったあいつらは無事か。
血の臭いがすげえ。
倒れているのは誰だ。
まさか沖田か。
おれ達が来るのを待たずに宿に突入するとは、クソ度胸にもほどがある。
わずか十人で数十人を相手にするなんて、無茶なことを。
近藤隊の後に池田屋へ駆けつけた歳三は、
店の入り口で返り血を浴びながら戦う、鬼神の如き近藤の後ろ姿を見た。
暗がりの中で
それほどに、近藤の敵を圧する気組は凄まじい。
ふと、歳三が足元を見ると、
地面には無数の切り落とされた人の耳と指が散らばっている。
池田屋から外へ出てきた近藤は、
愛刀を握った右腕を大きく縦に回して血振りをした。
愛刀が吸った生温かい血は飛び散り、歳三の青白い頬を汚す。
その刹那、自らも武士として生きることを決めた。
これが武士って奴か。
もう、おれは戻れない。
血塗られた修羅道を、この男と共にどこまでも行くしかない。
歳三は、かつてないほどの高揚感を感じて全身を震わせた。
壮烈で甘美な思いが胸に迫る。
袖で頬の血を拭うと、さらに遅れてやって来た会津藩士たちを寄せつけずに、
新選組隊士だけで池田屋を囲むように命じた。
それは敵の逃亡を防ぐ為だったが、
近藤の活躍と新選組による手柄を際立たせたいという思いもあった。
この働きが認められて以後、
新選組は会津藩預かりの有志による武士集団として名を轟かせ、
京都の治安維持に奔走することとなる。
三年後の慶応三年(一八六七年)六月、近藤勇は旗本に取り立てられた。
土方歳三以下の主な新選組の幹部の隊士たちも徳川幕府の御家人となる。
新選組は〈会津藩預かり〉から徳川家の〈幕臣〉に出世した。
土方同様に多摩の豪農の末っ子だった近藤勇は驚くべき早さで、
京都での幕府親藩会議に出席するほど出世して政治的発言力を得た。
そして、この年の十二月、まさにこれからという時に近藤は狙撃される。
翌年の鳥羽伏見戦いで激戦の末に敗走。
金と名誉と都の美姫を手に入れた新選組隊士たちは全てを失った。
それは、突然高い崖から突き落とされたかのような苦しみの始まりだった。
一方、歳三の故郷日野で彦五郎もシゴト(死事)をしていた。
日野の代官は有名な伊豆の
その人で、早くから農兵隊考想を持っていた。
異国からの脅威や横浜港開港による貧富の差は広がり、物の値段も上る。
世の中は殺伐としている。
上層農民からなる日野農兵隊は厳しい軍事訓練を行っていた。
代官からはゲベール銃が支給されている。
教官も派遣され洋式隊列による歩兵銃隊訓練を行った。
日頃の努力の甲斐あって、
日野農兵隊は武州一揆から村々を守ることに成功した。
その他にも剣術で日野を守る撃剣組がある。
いずれも隊長は佐藤彦五郎であった。
慶応三年頃から西郷隆盛は薩摩浪士隊を結成して各地で暗躍させる。
薩摩浪士隊は、ゆすりたかりに押込み強盗、強姦、殺人、放火など
悪行の限りを尽くす。
江戸の治安を悪化させ、大混乱に陥れることが目的だった。
義弟たちの京都での活躍に負けず劣らず、
彦五郎も多摩を守る為に大忙しで駆け回ることになってしまった。
慶応3年12月のある晩、佐藤家の土間に
彦五郎ら総勢七名の撃剣組の腕に覚えのある剣士たちが、
集まって夜食を取っていた。
お上から八王子宿の妓楼の
薩摩の不貞浪人を捕縛するようにと、お達しが来た。
相手は江川代官が前々から追っている「甲府城を乗っ取り」を実行する為に、
八王子に潜伏している十二名の薩摩浪士だった。
「こんな時は、やはり白飯を腹いっぱい食うに限る。
もし、腹を切られて腹から麦飯がこぼれ出たらみっともないからな」
近藤勇の門下生だった馬場市次郎が陽気に
馬場は佐藤家のたくわんをおかずに、すでに何杯もの白飯をおかわりしている。
出陣前の豪快なその姿に一同は大笑いした。
「さて、そろそろ行くとするか」
彦五郎が無銘の大刀を手に立ち上がる。
鉢金を手ぬぐいで頭に巻きつけ、鎖帷子を着込んで出陣の準備を整えた。
「一番の剣の使い手は、あらかじめ江川様の間者が
壷伊勢屋から連れ出して泥酔させ始末するということだから心配はいらない。
残っているのは雑魚ばかりだが、短銃を持っているらしい。
それに腐っても相手は武士だからな。
くれぐれも油断するなよ」
彦五郎は日野の剣豪達の顔を一人ずつ見て言った。
「日野の百姓の力を見せつけてやりますよ。
薩摩の芋侍なんかクソ食らえだ」
誰かの言葉に六人は深くうなずいた。
そして夜も更けた頃、壷伊勢屋へ意気揚々と向かう。
夜の
二階の部屋の
薩摩浪士の一人が階下へ数発の銃を撃つ音が響く。
そして物音が消えた。
窓から逃げたのかもしれない。
「すげえ、こりゃ、まるで八王子の池田屋事件だな」
誰かがつぶやきながらカチリと
「冗談じゃない。池田屋で短銃は無かったぞ。行くな。隠れろ」
彦五郎はすでに抜刀して二階へ駆け上がろうとする日野剣士たちを止めたが、
はやる心が抑えられなかった若い馬場が階段を駆け上がって行く。
馬場の雄叫びの直後にズドンと大きな音がした。
そして何かが倒れた。
銃弾を体に撃ち込まれてしまったのか。
座敷から物音が消える。
薩摩浪士たちは全て逃げ去ったのだろうか。
まだ二階のどこかに潜んでいるに違いない。
用心深く彦五郎は階段を上がり二階へ行く。
若い馬場のことが気になる。
廊下側の壁に肩を寄せて、入り口から座敷を除く。
馬場がうつ伏せに倒れているのが見えたが、全く動かない。
死んでしまったのか。
怒りと悲しみで叫びそうになったが、ぐっと堪える。
他には誰もいないようだ。
窓が開いているらしい。
冷たい風が吹き込んでくる。
彦五郎が用心深く鯉口を切りながら、座敷に足を踏み入れると、
奥には逃げ遅れたのか、二本差しの白袴を穿いた浪士が一人立っていた。
彦五郎は腰に沿ってグルリと左手で鞘を引くと、
喉を狙って勢いよく大刀を横に
浪士は後ずさりしてかわした。
彦五郎は刀を大きく振りかぶり、踏み込む。
すると三尺の大刀は見事に、天井の
必死に刀を引き抜こうとしていると、
白袴の浪士が短銃を構えている姿が目に入った。
次の瞬間、彦五郎は耳をズドンと吹き飛ばされた。
やられたと思い畳に倒れこむ。
半分気を失っていたが、チリチリとした焼けるような痛みを手に感じるだけで、
触れてみると頭も耳も付いている。
幸いにも弾は大刀の柄をかすめたようだ。
柄巻きの糸が焦げる臭いがする。
彦五郎はすっくと起き上がり、なんとか刀を引き抜いた。
窓から飛び降りて逃げようとしている。
隙だらけの浪士の背中を
見事に刃筋が通り、浪士の体は斜めに両断された。
膝と両手をつき、畳に崩れ落ちそうになって呻き声をあげている。
浪士の白袴は噴き出す血で赤く染まっていく。
命のやり取りを西洋の短筒に頼るとは・・・・・・愚かな。
そもそも、こいつは武士だったのか?
武士なら剣術で勝負しろ。
怒りで気がおさまらぬ彦五郎は奇声をあげて、馬場の仇うちとばかりに、
銃を持っている浪士の右腕を斬り落とした。
大刀に付いた血を横に振ると抜き身のままで、
息を静めて用心深く次の部屋を覗く。
「旦那、やられました・・・・・・」
道案内役の若い
「大丈夫だ。しっかりしろ」
声をかけて山崎の背に手を触れると、手がズブリと入ってしまうほどの
深い酷い傷だ。
彦五郎は驚いたが、なんとか励ましながら、
戸板に乗せて日野に連れ帰り治療を施した。
山崎は翌々日「悔しい」という言葉を残して息を引き取ってしまった。
傍らには泣きじゃくる妻と幼い娘がいた。
無残に腹に弾を喰らった若い馬場も死んだ。
彦五郎率いる撃剣組は数名の浪士を捕縛または即死させた。
薩摩浪士隊による「甲府城乗っ取り計画」を未然に防ぐことに大きく貢献した。
取り逃がした首領の上田修理を含む四名は
八王子千人隊が追っている。
しかし剣撃組の大切な仲間二名の犠牲を出してしまった。
幕府天領でこのような騒ぎを起すとは・・・・・・
おれたちの剣は故郷を守る為の剣なのだ。
ふだんは皆それぞれ、汗水たらして田畑を耕している。
それなのに、何故?
つつましく幸せに暮らしている罪も無い他国の民を殺傷するのだ。
薩摩の芋侍たちめ、許せん。
彦五郎は深い悲しみに沈む。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます