義兄

 歳三は姉ノブが嫁いだ数日後には佐藤家に居ついてしまった。

だが、まもなく義兄佐藤彦五郎の口利きで、

江戸の上野広小路の呉服店に奉公することになった。

しかし一度目の奉公は十日ほどで終わる。

美少女のような容姿だった十代前半の歳三は、

番頭や年上の奉公人たちから夜の相手を迫られた。

それが嫌で夜道を一人江戸から逃げ帰った。


 二度目の奉公先では色恋沙汰に巻き込まれる。

女中をはらませたと言いがかりをつけられ店を飛び出す。

十代後半の歳三は江戸でしばらく自堕落な日々を送った。

遊び相手に事欠くことはなかった。


 やがて故郷へ帰った歳三は、またもやノブの嫁ぎ先の

日野郷総名主・佐藤彦五郎の日野本郷の屋敷に居候する。

幼い頃から姉の手伝いをしていたので家事は一通りできた。

読み書きもできる。

江戸から戻った歳三は佐藤家の雑用を手伝った。

土方家の家業の秘伝薬<石田散薬>を得意先の豪農や商家へ卸す仕事もある。

山丸印やままるじるし」の行商用の薬箱を背負い、

多摩地方は元より相州や甲州の村々を歩き見聞を広めた。

 

 歳三より二十三歳年上の盲目の長男、

土方為次郎も同じく佐藤家に居候することになった。


歳三は幼い頃から兄の身の回りの世話をしていた。

季節の移ろいを感じさせようと兄の手を引き、

小さな旅のような長い散歩に連れ出した。

二人は何処から見ても、仲の良い親子に見えた。


 土方家の家禄は、すでに次男の喜六が継いでいる。

三男の大作は隣村の医家へ養子に入った。


歳三の祖父は俳諧や書画に通じた人物だった。

その影響をうけたのか、閑山亭石翠という雅号を持つ為次郎も風流人の道を歩む。

俳諧をやり、彦五郎と共に連句を巻く。

義太夫三味線の名手でもあった。

 

歳三は為次郎から龍笛りゅうてきの吹き方を指南された。

時々、家族や客人たちに披露する。


龍笛の指穴を指の腹で押さえることを覚えた。

そうすると良い音が出る。

そして吹いている姿が風流で美しく見えるということに気づく。

義兄が目を細めて自分を見て、聴き入ってくれるのが何よりも嬉しかった。



 彦五郎は〈春日庵盛車かすがあんせいしゃ〉という雅号を持っている。

よく屋敷で連歌の会を催した。

江戸から多くの文人客たちが佐藤家を訪れた。

文人客の中には長期滞在する者もいる。

容姿端麗で愛想のいい歳三は客人たちに評判の饗応役となっていた。

時々、客人を退屈させないようにと近場の名所旧跡へ案内する。


 ある初夏の日、歳三は客人から名所案内を頼まれた。


遥山ようざん様、これから東光寺道を歩いて玉川へ向かって歩きます。

川沿いを歩いて、たいら村の東照宮へお連れいたします。

少し歩きますから、疲れたらおっしゃってください」


歳三は粋な着流し姿で、颯爽と慣れた田舎道を歩いて行く。


東光寺道には昔ながらの大きな屋敷が立ち並ぶ。

側らにはどこまでも大根畑が広がり、心地よい風が吹き抜けていく。


細身で長身ややなで肩。

すれ違った村娘が眼福とばかりに何度も振り返る。

とても百姓の倅とは思えない人目を引く、どこか華のある案内人だった。


「玉川沿いに東照宮があるとは驚きだな。楽しみだ」


遥山は江戸からやってきた文人だった。


「毎年必ず平村の東照宮へは参拝に訪れます」

彦五郎のお供として出かける御開帳の日の参拝を

歳三は心待ちにしている。

 

天正十八年(1590年)に徳川家康が関東に入国した際、

玉川渡船の世話をした名主のたいら家に、

家康は扇の上に載せた中国の貨幣「洪武通宝こうぶつうほう」を褒賞ほうしょうとして授けた。

家康公を背負って川を渡った伝説もある。

後に平家は、その銅銭を御神体とした東照宮を屋敷の庭に建立した。

それが平村(八王子市平町)の東照宮であった。

金銭権現明神とも呼ばれている。


「見事な用水路だな。ずいぶんと大きな鯉が泳いでいるのだね」


遥山は清らかな水と黒い鯉の群れに驚く。


「玉川から取水しています。

戦国時代に北条氏照の命を受けて、佐藤家が開削しました。

日野郷が豊かなのは、網の目のように張り巡らされた、

この日野用水のおかげです。

大工事でたくさんの金と労力がかかったそうです。

鮎が用水路に迷い込むこともありますよ」


日野用水の穏やかな水音を聞きながら、歳三は足を止めずに淡々と話した。

しばらく田舎道を歩き続けると玉川が見えてきた。


「うむ、やはり玉川の風景は素晴らしい。

鮎の季節にはまだ早いかな。

ぜひ次に来た時は玉川名物の鮎を賞味したいものだ」


「ぜひ、御一緒に賞味しましょう。

玉川の鮎は徳川将軍への献上品です。最高の味ですよ」


歳三は川面を見ながら微笑んだ。


遥山は豊かな川の流れを見ながら歩くので、

時々河原の石につまずき転びそうになる。


「遥山様、少し休みましょうか」


河原の大きな座りのよさそうな石にそれぞれ腰を下ろした。


「天然理心流に入門したそうだね。

天然理心流の木刀は太くて重い。

とし君の細い腕で振るのは大変だろう。

道場剣術と違って実戦向きということで多摩の農民だけでなく、

神奈川の武士の間でも流行っているよ。

とし君の遠い先祖も武士だろう」


小太りの遥山は手ぬぐいで汗を拭く。

歳三は文人客たちから、とし君と呼ばれていた。


「はい。うちの先祖は武士団の棟梁とうりょうで、

この辺に住んでいる百姓は皆、昔は武士でした。

今も、うちの神棚の横に戦国時代から伝わるやりが掛かっています。

<武州>と言うぐらいですから、多摩の百姓は先祖代々戦う百姓、

日野は武士もののふの里ですよ。

天然理心流の稽古には慣れました。

いつも全身痣だらけで、痣が消えることがありませんが」


歳三は袖を捲り上げて、腕の痛々しい赤青い痣を遥山に見せた。

女人のような白い肌だが幾重にも、

しなやかな筋肉を纏った鍛えられた剣士の腕だった。

近藤勇から、いつも厳しい指導を受けている。


「先日は府中の六所宮(大国魂神社)で天然理心流の野試合があって、

おれも赤組中軍の衛士えじとして出ました」


遥山に六所宮での野試合ことを話そうと思ったが止めた。

あの日の天然理心流四代目宗家を襲名した、

誇らしげな近藤の姿が目に浮かび、急に心が波立ってくる。

波立つ気持ちを仕留めるかのように、小石を川面へ勢いよく投げつけた。


彦五郎は近藤勇の出稽古用の道場を日野宿本陣内に建てるほど

天然理心流に、のめり込んでいる。

近藤とは義兄弟の契りを結んでいて親密だった。

歳三には、それがおもしろくない。


「そうか。多摩は幕府の天領だ。多摩には八王子千人同心がいる。

武田家の遺臣で日光東照宮を守る半士半農のたくましい武士団だ。

晴れた日には畑でくわを振るい、

雨の日は土間で木刀を振るのだろう。

戦国時代の荒々しい武士の気風が残っている土地柄で、

江戸の軟弱な侍たちとはわけが違うな。

彦五郎さんも、とし君も強くなるわけだ」


歳三の目をじっと見つめるが、

どこか遠くの空を見ているようで、遥山と目を合わせようとはしない。


人あたりの良い役者のような美貌のとし君は、

とらえどころのない不思議な男だと遥山は思う。

裕福な農村に住む、今時の若者なのだろうか。

百姓、武士、商人、風流人。

その間を自由に行ったり来たりしているように見える。

 

 佐藤家の客人たちの本名を歳三は知らない。

お互いに、かりそめの名か雅号で呼び合う。

佐藤家は風流人の集う家。


義兄の客人たちの間には素性や身分を明かさないという暗黙の約束事があった。

歳三にとって得体の知れない謎の多い客人たちばかりだった。

彼らを無償で宿泊させて連歌会と宴を催す。

その代わりに風流人たちは、

江戸や各地の新しい話題を手土産にして佐藤家を訪れる。

様々な情報をやり取りする場にもなっていた。


どうやら、兄さんは武州多摩だけではなくて、

あちらこちら他国の様子を知りたがっているらしい。


「さて、そろそろ行きましょうか。

前方に見える丘は百年に渡って関八州を支配した、

小田原北条氏の一族の北条氏照公の滝山城址です。

もう少し歩くと家康公ゆかりの〈平の渡し〉です。

家康公より拝領のご神体が祭られている、

平村の東照宮の社殿は、もうすぐですよ」


二人は、ゆっくりと玉川沿いを歩き出した。

数百年前から玉川を見下ろし、

平村を見守っている参道の大イチョウの木が二人を出迎えた。

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