流山の別れ 土方歳三物語

オボロツキーヨ

 寂しくないと言えば嘘になる。

幼くして、両親を病で失くした歳三は、

武州多摩の農村で兄弟たちと静かに暮らしていた。

すでに父と母の顔も忘れかけている。

四つ年上の、しっかり者の姉のノブが母親代わりをしていた。

石田村の土方家は「お大尽」と呼ばれる豪農だった。


 ある秋の夕暮れ時、家の近くを流れる浅川越しに、雄大な富士山を眺めていた。

歳三の頬に川面を伝って冷たい風が吹きつける。

富士山は燃える赤い夕日に焼かれたのか、やがて巨大な黒いかたまりになっていく。


川沿いに続く一本道。

二人の浪人が歩いて来るのが見える。

汚らしくボサボサの髪をしている。

袴や羽織は擦り切れて、腰の二本差しがなければ、

ただの浮浪者に見えるような怪しい浪人たちであった。


気味悪く思い、そ知らぬ顔で河原へ降りる。

すると浪人の一人が歳三に声をかけてきた。


「そこの娘、道をたずねたい」


歳三は、いつも姉のおさがりの着物を着ている。

長く伸ばした艶やかな黒髪を赤いひもで束ねていた。

夕日の元で、少し風変わりな村娘に見えても不思議はない。

しぶしぶ河原から道へ戻ると、

浪人たちの目がギラリと光った気がした。


「はい、お侍様、どちらに行かれるのですか」


「谷保天満宮」へ行きたいのだが・・・・・・


次の瞬間、一人の侍が歳三の腕を強く掴んだ。


「あっ、何を」


驚いて歳三が二人の顔を見上げると、

茶色い歯を見せた二人は、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。

腐った魚のような変な臭いがする。

歳三は顔をしかめた。


「多摩の田舎に、こんな上玉がいるとはな。

見ろ。この白い肌と切れ長の大きな目を。

さては、おまえは人間じゃないな。狐だろう。

女狐が化けて男を誑かそうとしているな。けしからん。

だが、気に入った」

 

浪人の一人が品定めするように、

歳三の細い顎を掴み口吸いしようとする。


「いやだ」


歳三は首を激しく振り、浪人の顔面に頭突きを食らわせた。


「痛て、こいつめ」


浪人が痛みに、のけぞって手を離した隙に逃げようとしたが、

もう一人の浪人に、腰を抱きこまれて地面に乱暴に倒され、

うつ伏せにねじ伏せられた。

両手を着いて受身をとったが、口の中は砂の味がした。

悔しい気持ちを込めて、唾を吐く。


「おっと、ずいぶん生きのいい娘だ。何だ、まだ子どもじゃないか。

痩せすぎだ。尻も硬いし、板きれみたいな胸だな」


着物の袂に手を入れ歳三の体をまさぐる。

執拗に乳首だけをいじられ、歳三はくすぐったくて仕方がない。


「あはははは」


体をくねらせて無邪気に笑う。


「よしよし、まんざらでもないようだな。感じやすいな。

拙者が、もっといいこと、してやる」


浪人は道端の茂みに、すばやく歳三を引きずり込んだ。


「あん、もうやだよ」


今度は仰向けに押さえつけられながら、わき腹を触わられる。

すらりと伸びた、しなやかな手足が、乱された着物から剥き出しになった。

足を広げてバタつかせ、歳三は笑い転げる。


「くすぐったいよお」


「淫らで、かわいらしい女狐じゃ。

昨日、手篭めにした百姓娘は、ずっと悪態ついて泣きわめいていたが」


「どけ、俺の獲物だぞ。俺が先だ」

 

頭突きされ鼻を痛めた浪人が、

歳三に覆いかぶさる浪人の襟首を掴み放り出した。


歳三の体を地面に押さえつけると、

足を撫で上げ、太ももの内側に手を滑らせる。


「くすぐったい。やめてえ」


「うん? こいつ娘じゃないな。付いているぞ。

ふん、この際どちらでもかまわん。

たまには衆道もよかろう」


浪人が驚いて、

体を押さえる手を緩めた瞬間、

歳三は素早く身を起こす。

それと同時に手で地面の砂を掴み男の顔に叩きつけ、

目潰しをすると、すっくと立ち上がった。


「馬鹿、助平」


真っ赤な舌を出すと、

目にも止まらぬ早さで土方家の門の中へ走りこんだ。


「なんと逃げ足の早いガキだ」


「いかん。あのガキ、でかい家に入って行った。

百姓どもが追いかけてくるかもしれん。

この辺の百姓どもは気が荒い。

槍で一突きされる前に、この村から逃げるぞ」

 

二人の浪人は慌てふためいて走り去った。




「昨日は、お手柄だったね」


井戸水を汲み上げながら、ノブが言う。

まくり上げた木綿着物の袖から、

輝くばかりの瑞々しい二の腕が頼もしく上下する。


「歳が、すぐに知らせたおかげで、村はずれで、

ふていろうにん(不逞浪人)を捕まえることができたって、皆喜んでる。

多摩のあっちこっちの村で

若い娘たちを手篭めにしていた極悪人だったらしいよ。

木に縛り付けて、皆が散々殴ったから、死にかけてるけど、

これから代官さまに引き渡しに行くそうだよ。


「へーっ。そうだったのか。

あいつらはどうなるのかな。うちくび、はりつけかな」


「知らないけど、きっと、しまながしだよ。

それでね、もう十になったことだし、

あたしの赤い着物を着るのは、そろそろ止めて。

また浮浪者から娘に間違えられて、

いたずらされたり、連れ去られそうになったら困るもの。


彦五郎さんまで・・・・・・嫁にするなら、

あたしより歳のほうが美人だからいいなんて言うのよ」


「えっ、彦五郎兄さんが」


歳三は頬を赤らめて、うつむく。

従兄弟の彦五郎に憧れていた。


「ちょっと、何喜んでいるの」


「別に。それより姉さんが、あいつらに出くわさなくて良かった」


もし姉さんが、あんな薄汚い浪人たちに体を触られたり、

連れ去られたら、どうしょう。

考えただけでもゾッとする。


「あら、私なら大丈夫よ。歳よりも強いもの」


「そりゃ、姉さんは強いけど太ってる。

それに、おいらより走るのが遅いから、

逃げられなかったと思う」


歳三は目の前の、

重たそうに大きく膨らんでいる姉の二つの乳房を掴んだ。

とてつもなく、やわらかい。

体全体も丸みを帯びている。

少し前までは自分と、ある一ヶ所以外は同様の細い体をしていていた。

でも、今は違う。

いつの間にか、やわらかい芳しい肉に覆われていた。


「さわらないで」


手をはねのけられて、頬を叩かれた。


「ずるいよ。姉さん、いつ彦五郎兄さんと会ったの。

乳さわらせたの」


「あんたみたいな、子どもには関係ないわ」


今度はノブが頬を赤らめながら、

汲み上げた井戸水を運んで行ってしまった。



 

 ある春の良き日に、ついに姉が従兄弟の佐藤彦五郎の元に嫁ぐ。

佐藤家の家紋は源氏車。

紋付袴姿も凛々しい十八歳の花婿の彦五郎が、高張提灯を先頭にした供揃えで、

日野宿から甲州道を通り石田村の土方家に姉を迎えに着た。


夕暮れ時になり、土方家の鎮守ちんじゅ「とうかん森のほこら」と、

道のあちらこちらで灯明とうみょうの炎がゆらいでいる。

特別な日を迎えた村は、歳三が今まで見たことも無い幻想的な影絵に変わっていた。

大勢の親族や村人が見守っていたはずだが、

歳三の目には姉と彦五郎の姿しか映っていない。

十一歳になった歳三は、

別人のように美しく着飾った十五歳の花嫁に見とれている。

やがて花嫁は栗毛の馬に乗せられた。

そして彦五郎が手綱を引いて連れ去ってしまった。


なんて似合いの二人なのだろう。

まるで錦絵を見ているようだった。

彦五郎兄さんに守られる姉さんは幸せ者だ。

でも、何だか胸が苦しい。



 花嫁の後姿をいつまでも見送っていた。

ふと気づくと暗闇の中に、ただ一人取り残されている。

もう家に帰っても姉の姿は無いのだと、自分に言い聞かせる。

寂しさが込み上げて涙が溢れた。

 

そんな歳三を後ろから、

ふわりと温かく包み込むように抱きしめる者がいる。

そして骨ばった指で乱暴に涙を拭ってくれた。

それは一番上の兄の為次郎だった。


「何で、ここに居るのがわかったの」


「ふん、目は見えなくても、おまえの居場所ぐらいわかるさ。

音と匂いでわかる」


時々暖をとろうとする兄たちに捕まり、抱きしめられて甘やかされる。

だが、年の離れた末っ子は普段あまり構ってもらえない。

気まぐれな猫のように扱われている。



 ノブが嫁いだ数日後、歳三は日野本郷にある佐藤家に遊びに行った。

そして、そのまま歳三は石田村の土方家へは帰らなかった。

まるで歳三までが、佐藤家に嫁いだかのようだった。

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